1967年発表、初演
2005年河出文庫(併録『サド侯爵夫人』)

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 三島由紀夫晩年(と言っても42歳!)の戯曲。
 ウィキ『三島由紀夫』によれば、同じ年に、『豊饒の海第2部 奔馬』連載開始、最初の自衛隊体験入隊、『平凡パンチ』の「オール日本ミスター・ダンディはだれか?」で第1位獲得(2位は三船敏郎)、空手を習い始め、自決の介錯人となった森田必勝と出逢っている。
 今から思えば、1970年11月25日の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での壮絶な最期に向けての“秒読み段階”に入った頃合いという感がある。
 そのせいか、「承詔必謹の精神の実存的分析」と三島自身が解題し、「滅亡」というタイトルを持つこの戯曲は、三島の遺書のようにも読める。
 承詔必謹(しょうしょうひっきん)とは「詔(みことのり)を承りては必ず謹め」で、「絶対君主としての天皇を仰ぎ奉り、その御言葉に無条件に従え」ということである。
 承詔必謹の精神のもと侍従として代々の天皇に仕えてきた朱雀家の滅亡を描いたこの戯曲は、忠臣愛国を掲げて自衛隊に乗り込み、自衛隊員を前に憲法改正を訴え、「天皇陛下、万歳!」を三唱し割腹自殺を遂げた三島由紀夫の、あたかも文学的リハーサルのような感じがする。
 ソルティは初読であった。

 時は1944年春から1945年冬にかけて。
 場所は朱雀家の庭園。
 登場人物わずか5人の4幕物。
 第37代朱雀家当主朱雀経隆は、天皇に忠義を尽くすことを生きがいとしている。
 妻の顕子は嫁いで来てすぐに亡くなり、経隆は側仕えの女おれいとの間に、朱雀家の後継たる経広をもうけた。
 顕子の姪にあたる松永瑠津子と経広は、幼馴染で許嫁の間柄にある。
 他家の婿養子となった経隆の弟宍戸光康は、兄とは違い、世慣れた実際的な男である。

第1幕(1944年春)
 次第に日本の敗色が濃くなっている。
 経隆は、天皇の意を汲み、首相更迭のために奔走し、成果を得た。が、分を超えた自らの行動を潔しとしない経隆は侍従職を退き、今後は遠くから天皇に仕えると宣言する。
 一方、経広は海軍予備学生に志願したことを家族に報告する。

第2幕(1944年秋)
 経広は海軍少尉を任じられ、沖縄(ある島、とぼかされている)への出兵が決まった。
 それは死地に赴くのと変わりない。
 朱雀家の血が途絶えることを憂慮する光康と、実の息子の命を守りたいおれいは、コネを使って経広の任地を変えてもらうよう、経隆に迫る。
 が、経隆は首を縦に振らない。
 おれいは一計を案じ、経広自らが任地替えを望んでいると経隆に思わせようと画策する。
 が、下手な思いつきはすぐ露見してしまう。
 おれいの画策を知った経広は誇りを傷つけられ、実の母であるおれいを罵倒する。
 一方、瑠津子は「今夜自分と経広は結婚する」と宣言するが、経隆はこれをよしとしない。

第3幕(1945年夏)
 沖縄は玉砕し、日本の敗北はもはや目前に迫っている。
 さすがの朱雀家も貧窮に陥り、庭は荒れ放題。
 経隆とおれいは、経広の戦死を電報で知る。
 ショックと悲しみから、おれいは経隆を責める。「あなたが息子を殺した」
 二人の喧嘩の最中に空襲警報が鳴り響き、防空壕に逃げたおれいは爆死し、庭に残った経隆は九死に一生を得る。

第4幕(1945年冬)
 一面の瓦礫と焼け跡。
 日本はGHQ配下に置かれ、国の行く末は混沌としている。
 いまや一人ぼっちとなった経隆のもとに、弟の光康が見舞いに来る。
 光康は、西洋人相手の新しい事業の計画に兄の参加をもとめるが、経隆は断る。
 光康が去った後、庭の高台の弁天社から琵琶の音が聞こえ、中から十二単を来た瑠津子が現れる。
 その姿に、亡くなった元妻・顕子の面影をだぶらせた経隆は、瑠津子が朱雀家の花嫁であることを認める。
 瑠津子はその言葉を喜ぶ一方、息子経広と妻おれいを見殺しにし、何もせず一家が滅びるにまかせた経隆を責め立てる。
 「今すぐこの場で滅びてしまいなさい」と迫る瑠津子。
 経隆は答える。
 「どうして私が滅びることができる。夙(と)うのむかしに滅んでいる私が。」

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MollyroseleeによるPixabayからの画像

 この芝居は『鹿鳴館』、『サド侯爵夫人』、『わが友、ヒットラー』、『癩王のテラス』、『近代能楽集』など他の三島の代表的な戯曲にくらべれば、成功作とは言い難い。
 内容も内容なので、上演の機会も少ない。
 現在、「承詔必謹」「忠臣愛国」をテーマとし小難しいセリフが飛びかう芝居をわざわざ観に行きたがるのは、三島の熱狂的ファンかインテリ右翼くらいなものだろう。
 しかし、三島由紀夫という作家、平岡公威という人物、昭和を代表する一人の芸術家の衝撃的な最期を理解しようと試みるのであれば、この作品は非常に重要な位置を占めると思う。
 筋書きを記したのは、それゆえである。

 一読してすぐ思い当たることは、この戯曲はほとんど『鹿鳴館』の二番煎じである。
 二番煎じという言葉が作者に失礼なら、同工異曲である。
 『鹿鳴館』は明治の文明開化の政治がらみの話、『朱雀家』は昭和の太平洋戦争末期の家庭内の出来事という違いはあれど、男性原理と女性原理の衝突という点において両作は通じている。
 以前、ソルティは『鹿鳴館』について次のように書いた。

 この戯曲は男の論理(=政治、理想、計略)と女の論理(=愛、現実、感情)とが拮抗する物語である。あるいは、『サド侯爵夫人』同様、「女」の視点から描く「男」の姿である。むろん、女の典型が朝子、男の典型が影山伯爵や清原永之輔である。
 朝子と清原の息子久雄が、女(母親)の論理と男(父親)の論理との間で揺れ動き、最後には父親の手による銃弾を受けて殺されるというマゾヒスティックな筋書きに、作者三島由紀夫の分身と密やかなる欲望を見ると言ったら、うがち過ぎだろうか。 

 『朱雀家』で男性原理を体現するのは、むろん、当主の朱雀経隆である。
 ここでの男性原理は、「承詔必謹」「忠臣愛国」「滅私奉公」という形をとっている。
 “わたくし”より、妻や息子より、家系より、琵琶の名家としての伝統より、財産や世間的栄誉より、天皇に仕えることを優先する滅私奉公の他律的理想主義。明治天皇を追って殉死した乃木大将のような生き方である。
 『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』(中公文庫)において、「最後に守るべきものは何か」という問いに対して、石原が「自由」と答えたのに対し、三島が出した答えは「三種の神器」すなわち天皇制であった。
 こう言っている。

三島 形というものが文化の本質で、その形にあらわれたものを、そしてそれが最終的なもので、これを守らなければもうだめだというもの、それだけを考えていればいいと思う、ほかのことは何も考える必要はないという考えなんだ。
石原 やはり三島さんのなかに三島さん以外の人がいるんですね。
三島 そうです、もちろんですよ。
(ゴチックはソルティ付す)

 朱雀経隆という人物は、明らかに三島由紀夫の分身である。
 モデルは三島自身である。
 ただし、おれいや顕子ら女たちの口を借りて経隆を批判し責め立てていることから分かるように、必ずしも経隆の生き方、すなわち男性原理を全面肯定しているわけでも賞揚しているわけでもない。
 最後には「自分は夙うに滅びている」と経隆自身に告白させている。
 その意味で、経隆は三島の“自己戯画化”ということができる。

 一方、女性原理を受け持つのが、経隆の側妻(そばめ)にして大っぴらに名乗ることのできない経広の母親であるおれい、そして経広の許嫁である瑠津子である。  
 おれいは『鹿鳴館』の朝子の分身、瑠津子は朝子の息子久雄に恋する大徳寺顕子の分身である。(奇しくも、顕子という名は朱雀経隆の若くして亡くなった妻と同じであり、また瑠津子という名は17歳で亡くなった三島の妹美津子と響き合う)
 理想や観念を掲げそれに自己投棄するのを誉れとする男たちとは違い、近親者への情愛と日々の生活に生きる女たちは、常に男性原理によって圧迫される。
 我慢や忍耐を強いられ、あきらめることに馴れていく。
 父権社会の中ではとくに。
 戦争や内乱や革命がある混乱の時代にはとくに。

 『鹿鳴館』の清原久雄が、男性原理(父親)と女性原理(母親)の間で引き裂かれ、実の父親(清原栄之輔)の手によって殺されてしまうように、『朱雀家』の息子経広もまた、父・経隆と母・おれいの間で引き裂かれ、国体維持のための戦争という男性原理によって殺されていく。
 第2幕で経広は、大和男児たる誇りが傷つけられたことで生みの母おれいを罵倒し、任地替えを自ら拒否し、十中八九生きては戻れない沖縄へと旅立つ。
 柔弱な女性原理を拒絶し、武士道の男性原理をまっとうしたと言えば聞こえがいいが、無駄死には違いない。特攻同様の自殺行為には違いない。
 本来、経広は臆病でやさしい子供であった。
 脇腹の負い目を人一倍感じていた経広は、父親=朱雀家に認められんがために男性原理を内面化し、実の母親や愛する瑠津子よりも、父親が崇拝する天皇に身を捧げることを選び取ったのである。
 第3幕のおれいのセリフにある通り、

あの子は勇気があったのではなく、勇気を証明する必要があったのです。

 (間違いなく、戦死する直前の経広の言葉は「天皇陛下、万歳!」ではなく、「おかあさん!」だったろう)

ゼロ戦

 男性原理と女性原理の相克、その間で引き裂かれ犠牲となる息子。
 構造を同じくする『鹿鳴館』と『朱雀家』には、しかし、明らかな違いがある。
 それは終幕のニュアンス。
 『鹿鳴館』のラストでは、男性原理を象徴する影山伯爵は、朝子に象徴される女性原理に勝利し、日本の偽りの西洋化と列強仲間入りに向けて、ワルツのステップよろしく突き進んでいく。不敵な笑みを浮かべながら。
 一方、『朱雀家』のラストは悲愴そのもの。
 妻と息子を失った朱雀経隆は、朱雀家の滅亡を前になすすべもない。
 日本は敗北し、経隆の生きがいのすべてであった国体が崩れようとしている。
 GHQが天皇をどう処分するか、天皇制が存続するのか、見当もつかない。
 大和魂という男性原理は地に落ち、すべてが文字通り灰燼に帰した。
 戦争未亡人となった瑠津子に責め立てられるも、もはや返す言葉も知らない。
 ただ、「夙うに私は滅びていた」と呟くばかり。
 『鹿鳴館』が男性原理の勝利の物語なら、『朱雀家』はその敗北の物語である。

 この違いは、明治の文明開化と昭和の太平洋戦争敗戦という時代設定の違いだけが原因だろうか。
 ソルティにはどうもそうは思えない。
 『鹿鳴館』発表の1956年から『朱雀家』発表の1967年まで、11年間における三島由紀夫自身の内面的変化が関与しているように思われるのである。
 そこで気になるのが、朱雀経隆によって発せられる幕切れのセリフ。
 「どうして私が滅びることができる。夙うのむかしに滅んでいる私が。」

 「夙うのむかし」とはいつだろうか?
 日本の敗北=天皇制の危機?――ではない。それは最近の出来事だ。
 側女として仕えたおれいの爆死?
 息子経広の戦死と朱雀家の滅亡?
 あるいは、20年ほど前にあった妻顕子の死?
 その「とき」は、作品中にはっきりと明示されていない。
 だが、「夙うのむかし」はこの戯曲が始まる「とき」よりかなり前であることは、次の瑠津子のセリフから察しられよう。

あなたのうつろな心の洞穴が、人々を次第に呑み込み、何もなさらぬことを情熱に見せかけ、この上もない冷たさを誠と呼ばせ、あなたはただ、夜を昼に、昼を夜につないで生きておいでになった。そして朱雀家の37代を、御自分の一身に滞らせ、人のやさしい感情の流れを堰き止めておしまいになった。

 「夙うのむかし」とは、経隆の心が「うつろな洞穴」に成り変わった日、存在が虚無へと変容した日のことではないかと思う。
 そこで思い当たるのが、作家三島由紀夫の誕生を告げた長編『仮面の告白』のラスト近くにある次のくだりである。

「あと5分だわ」
この瞬間、私のなかでなにかが残酷な力で二つに引裂かれた。雷が落ちて生木が引裂かれるように。私が今まで精魂込めて積み重ねてきた建築物がいたましく崩れ落ちる音を私は聴いた。私という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見たような気がした。目をつぶって、私は咄嗟の間に、凍りつくような義務観念にとりすがった。

 『仮面の告白』の主人公(=語り手)の数十年後が、朱雀経隆ではなかろうか。
 もっとも、朱雀経隆には天皇への純愛を別とすれば、『仮面』の主人公のような同性愛志向はないけれど。
 「夙うのむかし」、存在が不在に入れかわった。
 それ以降、「うつろな心の洞穴」をつねに覗き込んでいた経隆がその空虚を埋めるのに役立てたのが、「承詔必謹」という生きがいであり、天皇制という男性原理だったのではあるまいか。
 そしてそれは、三島由紀夫自身についても言えることなのではなかろうか。

三島由紀夫
市ヶ谷自衛隊駐屯地の三島由紀夫

 自衛隊突入と自決という終着につながった晩年の三島由紀夫の言動について、ソルティもまた違和感をもつ一人である。
 石原慎太郎が述べているように、「三島さんのなかに三島さん以外の人がいる」としか思われない。
 芝居がかった幼稚性、柄にもなさ、すなわち“茶番”を強く感じる。
 前記の対談集のあとがきで、石原はこう述べている。

 結局、あの人は全部バーチャル、虚構だったね。最後の自殺劇だって、政治行動じゃないしバーチャルだよ。『豊饒の海』は、自分の人生がすべて虚構だったということを明かしている。最後に自分でそう書いているんだから、つらかったと思うし、気の毒だったな。三島さんは、本当は天皇を崇拝していなかったと思うね。自分を核に据えた一つの虚構の世界を築いていたから、天皇もそのための小道具でしかなかった。彼の虚構の世界の一つの大事な飾り物だったと思う。

 一見すると、三島由紀夫は乃木将軍のように天皇制という男性原理に殉じて死んだように見えるけれど、実際には、それを信じていなかった、それを虚構あるいは虚妄と知っていたというのである。
 ソルティは石原慎太郎が好きでなかったけれど、この説にはおおむね同意する。
 自分の人生が虚構であると知りながら、虚構の中核に天皇を据えた以上、それを信じ、それに殉じるしかなかった。
 その意味で、三島由紀夫のほんとうの分身は、朱雀経隆ではなくて、息子の経広である。
 経隆は息子についてこう語る。

一つの誉れの絵すがたに同化することを望んだのは経広自身だ。あれはこの世に生きるということの目的が、それ以外にないことを知っていた。若いながらにそれを知っている天晴な奴だった。

 だが、息子をそのように育てたのはほかならぬ経隆である。
 元来臆病でやさしい子であった経広は、父親に認められたいがゆえに、まぎれもない朱雀家の跡継ぎとして世間に認められたいがゆえに、自分の中の女性原理を否定し、男性原理を過剰に内面化し、男性原理を過剰に貫いて、しまいには男性原理そのものによって殺されたのである。それが虚構にほかならないことを目前の敗戦をもって悟りながら。

 三島由紀夫が敗戦によって失われた大和魂や日本古来の風土文化を偲び、天皇を「人間」に引きずり下ろした戦後民主主義を嫌悪していたのは事実であろう。
 なんといっても、平岡公威のアイデンティティは戦前につくられたのだから。
 しかるに、戦後保守派の言論人として発言するだけにとどまらずに、あのような過激な行動と終結に走ったのは、「うつろな心」が呼び込んだ男性原理への過剰適応が原因だったのではないかと思うのである。

 夙うのむかしに滅んでいる。

 幕切れのこのセリフは三島由紀夫の遺書の一行のようで、なんとも痛ましい。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損