1959年松竹
第1部105分、第2部96分、白黒
日本語、中国語
音楽 木下忠司
撮影 宮島義勇
ひと昔、いやふた昔前まで、お正月番組の定番と言えば、新春かくし芸大会(フジテレビ)、大学箱根駅伝(読売テレビ)、そして東京12チャンネル(現・テレビ東京)の新春ワイド時代劇であった。
いまも残っているのは箱根駅伝だけだ。
いまも残っているのは箱根駅伝だけだ。
新春ワイド時代劇は、大方の人が初詣をすませた1月2日の昼過ぎから深夜にかけて、忠臣蔵や宮本武蔵や新選組といった日本人が好む時代劇を中心に、CMやニュースや天気予報などを挟みながら、だらだらと流されていた。
これがまあ、正月と言ったところで、どこ行く当てもない、なにする当てもない、世の仕事人間のお父さんたちのツボにはまった。
おせち料理をつまみに酒をちびりちびりやりながら、寝転んで観るのに打ってつけの番組だった。
その栄えある第1回、というか新春ワイドが恒例化するきっかけとなったのが、この五味川純平原作、小林正樹監督の『人間の條件』だった。
全編9時間31分である。
3年目からはテレビ東京制作のオリジナル作品となったが、第1回(1979年)の『人間の條件』と第2回(1980年)の『宮本武蔵』(内田吐夢監督、萬屋錦之助主演)は、何十年も昔に劇場公開された映画のテレビ放映。
つまり、白黒だった。
当時高校生のソルティは、その日の新聞のテレビ欄で、テレビ東京の時間枠が何コマもぶち抜かれているのに驚き、『人間の條件』という仰々しいタイトルを持つ昔の映画が放映されるを知った。
が、当時は戦争ドラマにも時代劇にも興味なく、そもそもせっかくの冬休みを家でじっとしているなんて無理難題。
友達と初詣に出かけた。
が、当時は戦争ドラマにも時代劇にも興味なく、そもそもせっかくの冬休みを家でじっとしているなんて無理難題。
友達と初詣に出かけた。
とくに、構図や色彩(白黒も含めて)といった映像の美的センスが素晴らしく、溝口や小津や黒澤ら日本が世界に誇る巨匠たちと遜色がない。
もっと高く評価されてもいい監督と思ったが、代表作である『人間の條件』を観ないことには断言できない。
やっと、観る機会を得た。
第1部と第2部は、昭和18年の北満州の鉱山が舞台。
召集免除を条件として鉱山の労務管理を命じられた梶(演:仲代達矢)は、妻・美千子(演:新珠三千代)とともに、老虎嶺鉱山に赴任する。そこには、事なかれ主義の所長や、現地の中国人や捕虜を酷使しながら賃金のピンハネをする日本人現場監督らの姿があった。ヒューマニストたらんと欲する梶は、待遇改善に努めるが、周囲との摩擦や衝突は避けられず、捕虜の脱走事件をきっかけに軍部に目をつけられ、捕らえられてしまう。
原作の五味川純平(1916-1995)は、大学卒業後、満州鞍山の昭和製鋼所で働いた。1943年に召集を受け、ソビエト国境地帯に配属される。1945年8月のソ連軍の満州侵攻時、部隊全滅のなか辛くも生き残り、ソ連軍の捕虜となる。1948年復員後、文筆活動開始。
本作は五味川自身の従軍体験がもとになっているので、ノンフィクションとは言えないまでも、それなりにリアルな話なのであろう。
非日常にして非情な国家総動員の戦時下にあって、あくまでもヒューマニズムを貫こうと苦闘する主人公の姿と、彼を信じ支える妻の姿は、感動を呼ばずにはいない。
が、それをいささか“青臭く”感じてしまった還暦のソルティは、青年の潔癖を失い、世間の汚辱にすっかり染まってしまったのだろうか?
梶夫婦の身の上に降りかかる様々なヒューマニズムの危機を観るたびに、「自分だったらどうするだろう?」と自問したが、梶のようには振る舞えないと答えざるを得なかった。
自分の命や人生だけならまだしも、家族や友人の命や人生を犠牲にしてまで、自らの信念を貫くことの難しさ――それはある意味で究極のエゴイズムなのかもしれない――を思う。
出演陣が豪華きわまりない。
小林作品常連の仲代達矢の精悍なルックスと安定した演技。ただ、ガラス玉のような目は表情に乏しい。
新珠三千代の芝居をちゃんと観るのはこれがはじめてだが、上手である。なにより、美しく品がある。
梶の職場の所長を演じる三島雅夫、同僚で味方の沖島を演じる山村聡、ともにベテランの味と風格。
小間使いの陳を石濱朗が、中国人娼婦役を淡島千景、有馬稲子がそれぞれ演じている。日本人が中国人に扮して中国語を喋っているわけだが、その出来はソルティには判定できない。石濱朗はやっぱり菅田将暉に似ている。
ほか、佐田啓二、宮口精二、小沢栄太郎、三井弘次、中村伸郎、東野英治郎、芦田伸介、殿山泰司ら、往年の名優がクレジットに名を連ね、本作の質のグレードアップに寄与している。
劇中、捕虜となって働かされている600人の工員のために、一晩で30人の娼婦をあてがうという話が出てくる。
「労務費から料金は払う」と梶は言っているので従軍慰安婦とは違うと思うが、とんでもないハードワークである。