日時 2024年11月4日(月、祝)
天気 晴れ
行程
09:15 西武線飯能駅
歩行開始
09:50 武陽山能仁寺
庭園見学(50分)
10:55 天覧山頂上(195m)
休憩(5分)
11:50 多峰主山頂上(271m)
昼食休憩(60分)
13:10 下山(多峰主山登山口)
13:20 吾妻峡(入間川)
13:45 河原べり
休憩(15分)
14:40 西武線飯能駅
歩行終了
所要時間 5時間25分(歩行3時間15分+休憩2時間10分)
最大標高 271m
最大標高差 166m
飯能駅から歩いて廻れる、低山+眺望+日本庭園+渓谷のバラエティに富んだ初心者ワクワクコース。
前回訪ねたのは当ブログ開始前のことだから、12年以上も前になる。
やっぱり記録をつけていないと、どんな道だったか、山頂からの眺めはどんなだったか、ほとんど思い出せない。
別に思い出せなくとも困るものでもないが・・・・。
西武線飯能駅
広小路交差点
飯能のまちには歴史的建造物が多く見られる
上は江戸中期から米穀商を営んできた新井家住宅
吉田屋呉服店
明治7年に旅館として創業、その後呉服店に
店蔵絹甚
明治37年(1905)に篠原甚蔵・長三父子によって建てられた。隣家への延焼を防ぐための防火壁(うだつ)が特徴。俗に「出世しないさま」を意味する「うだつが上がらない」は、うだつをつける財力がないところから来ている。
武陽山能仁寺
室町中期に武将中山家勝、家範親子によって創建された曹洞宗の名刹
本堂
毘盧遮那仏を祀っている。
曹洞宗のご本尊は釈迦如来では?――と思ったら、禅宗では宝冠をつけた釈迦を毘盧遮那と言うとか・・・。これは中国で禅と華厳教が思想融合する過程で、毘盧遮那仏と釈迦仏が同体視された結果と推測されている。
本堂内部
池泉鑑賞蓬莱庭園(桃山時代)
日本名園百選に選ばれている風雅な庭
天覧山の南斜面に築かれ、自然の木々を借景とする
板張りの広縁に座して、流水の音、水面に反射して周囲の岩や木々に映る光の揺らぎ、鳥の声、蝶の舞いに包まれる。豊かな時が過ごせた。(拝観料300円)
能仁寺から15分の登りで天覧山頂上に。
展望台に立てば、思いがけない圧巻な眺望が広がっている。愛宕山、羅漢山の名を経て、明治16年(1883)明治天皇の登頂を記念して天覧山と改称された。
この山こそ、三島由紀夫『美しい星』の冒頭に登場する聖地。UFOとの交信を目して大杉一家が真夜中に登った山である。
山頂から東南方向を見る。
飯能市を挟むようにして地平線に崖線が連なっている。崖線の上が武蔵野台地である。
拡大画像
武蔵野台地は、荒川・多摩川・京浜東北線・入間川に挟まれた面積700kmの台地である。その範囲は東京都区部(東部を除く)、多摩地区の大部分(南多摩を除く)、そして所沢市など埼玉県入間地域や志木市など新座地域を含み、川越市が武蔵野台地の北端に位置する。(ウィキペディア「武蔵野台地」より抜粋)
いったん下って、マムシ注意の湿原を抜けて多峰主山へ
見返り坂を登る
源義経の母・常盤御前があまりの風景の良さに幾度も振り返ったという急坂。現在は高い木々に囲まれ、振り返っても眺望は得られない。
雨乞池
この池の水はかつて枯れたことがない。近郷の人たちは旱魃が続くと、ここに集まって雨乞祭りをしたという。
多峰主山(たとうすやま)頂上
東京方面
拡大画像
武蔵野台地の上に新宿や池袋の摩天楼が蜃気楼のように立ち並ぶ。
川崎方面
さきほど登った天覧山
丹沢方面
富士山は見えなかった
秩父・奥武蔵方面
山頂は賑わっていた
空いたテーブルを見つけて、おにぎり2個、ブロッコリーサラダ、ゆで卵の昼食。11月とは思えない日射しと暖かさ。ランニングシャツの男もいた。
下山中に通過した巨岩塊
てっぺんに御嶽八幡神社が鎮座す
巨岩のふもとに建つ不動明王碑
こんがら童子(右)とせいたか童子(左)を具している
このあたりはワサビ畑にしたいような湿地
御嶽八幡神社の鳥居
ここが反対側からの登り口となる
吾妻峡
秩父大持山に源を発する入間川は、名栗郷を通って飯能市街を洗い、入間市、狭山市を通って、川越で荒川に合流する。
ドレミファ橋
しっとりした秋の光景に心くつろぐ
遊歩道とは名ばかり
結構きつい岩場の連続だった
今年の紅葉の遅いこと!
平野では11月下旬が見頃だろうか
キャンパーもまばらだった
池袋から小1時間
山と川と名刹に囲まれたのどかな町
飯能っていいところだ