1968年新潮社
働き盛りのサラリーマンがはまったホステスとの浮気が、妻にばれるまでを描いたスティーヴン・キングばりのホラー小説(笑)。
日本経済新聞に連載されていたというから、読者の多くはまさに既婚サラリーマン男性だったろう。
通勤列車の中で戦々恐々として読んでいた男は少なくなかったと思われる。
世の男たちの肝を冷やし、背筋を凍らせ、警告を発する、有吉のサディスティックな(あるいは慈愛に満ちた?)一面がうかがえる。
「不倫は文化」、「浮気は男の甲斐性」、「英雄色を好む」、「三年目の浮気くらい大目に見てよ」・・・・。
昭和という時代は既婚男性の浮気にやさしかった。
当事者の一方にして被害者たる本妻の立場や気持ちはともかく、世間的には「よくあること」であり、それによって当の男が仕事をクビになったり、干されたり、地位や名誉を失ったり、世間から一斉バッシングを浴びるほどの罪悪とはみなされなかった。
小指を立てた男が、「わたしはコレで会社を辞めました」というCMが昭和59年に流行ったけれど、ゴールデンタイムにお茶の間に流されて流行語大賞をとるくらい、世間的には笑い話にできる類いの話だった。
令和の現在このCMが流れたら、世間(とくにSNS)はどんな反応を示すことか。
「浮気を冗談ネタにするな!」、「女性を小指でたとえるな!」、「浮気するのは男と決めつけるな!」、「この商品は絶対買わない!」といった批難が殺到するのではあるまいか。
本書はまさに「THE 昭和っ!」を感じさせる物語で、令和の若者が読んだら、SF小説のように現実離れしたものに感じられるのではないかと思う。
夫の2度の浮気――1度は女に堕胎させ、1度は子供までこさえている――を許し、それもこれも自分に魅力が足りなかったせいと美容とおしゃれに励む妻。
銀座のホステスとねんごろになって、不用意に孕ませ、生まれた子を認知しないながら父親面する男。
40歳も年下の風俗嬢に入れ込んでマンションに囲い、贅沢させ、子供を産ませる中小企業の会長さん。
そういう男らの共犯者となって、互いの“密か事”を助け合う仕事仲間や上司の男たち。
令和の今でもこういったことは珍しくないとは思うが、それが社会通念のようにまかり通っていた戦後昭和のジェンダー規範、夫婦関係、性意識は、令和現在のそれらとは文字通り隔世の感がある。
20世紀後半の日本の男たちの性の奔放ぶりは、あたかも平安時代の貴族のよう。
そこで思うのだが、そのような性の奔放を許し、可能にし、世間も大目に見たのは、景気の良さと関係しているところ大なのではないか、ということである。
景気がいい、収入が増える、好きに使える金がある、羽振りがいい、やりたいことができる、気持ちもアゲアゲ、男たちが元気である、盛り場が賑わう、社会に活力がある、未来も明るい・・・・。
高度経済成長(60~70年代)とそれに続くバブル(80~90年代前半)の景気の良さあってはじめて、欲望の解放と発散すなわち性の奔放が起こりえたのではないか。
というのも、女性の社会進出が一気に進んだ70年代以降、性の奔放は男性のみならず、女性にも起こったからだ。
不倫の流行、ボディコン、金曜日の妻たち、援助交際、ホスト狂い、素人女性の性風俗バイト、アッシー君、メッシー君・・・・。
女性たちもまた、好景気の明るくパワフルな空気の中で、自らの欲望をとめどなく解放していった。(そうでないとは言わせないぞ)
本書を読んでつくづく感じたのは、昭和後期の日本の景気の良さとそれに煽られた登場人物たちの欲望のうごめきである。
つまり、社会経済とそこに生きる人間の意識や言動には切っても切れない関係があるという、あたりまえの事実である。
令和現在の性やジェンダーをめぐる、ともすれば“戦前へのバックラッシュ”のようにすら見える世間の道徳意識(品行方正)をつくっているのは、ジェンダー平等の高まりとか人権意識の向上とか性に関する倫理の向上とか某宗教組織の影響とかもさることながら、あまり人々に意識されないところで、景気の悪化――というより不景気の恒常化――が影響しているのではないかと思うのである。
国民の多勢を占める庶民層の収入や財産が目減りし、生活を回すだけで手いっぱいで好きなことができなくなったので、庶民は、富裕層に可能な性の奔放という“贅沢”を許さなくなったのではなかろうか。
つまり、やっかみからの下からのバッシングである。
SNS文化がそれをバックアップしたのは言うまでもない。
人間の性道徳が半世紀そこらでブラッシュアップ(品行方正化)するなんて、ソルティはあまり信じていない。
結婚している男は、ほとんど例外なく自分の結婚を失敗だったと思っている。妻の気分次第で、家庭ほど彼に重圧を加えるものはない。あるときは家長としての責任ゆえに、 あるときは遊心ままならないのを嘆いて、男たちは結婚を後悔し、あるときは自分に家あることを呪う・・・・
有吉佐和子の『悪女について』を読んで、「サカサクラゲ」という性用語をはじめて知った。
本書でも、はじめて知ったものがあった。
- 丹次郎・・・・「色男」の代名詞。江戸時代後期の戯作者・為永春水の人情本に出てくる登場人物。遊女屋の養子で女性にもてた。炭次郎(@鬼滅の刃)ではない。
- 一盗二婢三妾四妓五妻(いちとうにひさんしょうしぎごさい)・・・・男にとって“具合のいい”セックス相手の順位。「盗」は人妻・他人の女、「婢」は下女・家政婦・使用人、「妾」は愛人、「妓」は遊女・娼婦・売春婦、「妻」は正妻。
- 悪露(おろ)・・・・分娩後の数週間、子宮や膣から出る分泌物。おりもの。語源は仏典らしい。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損