1961年松竹
第5部90分、第6部90分
白黒
五味川純平の同名小説を原作とするこの映画は、戦争の悲惨さ、人間の愚かさを嫌というほど描いたまぎれもない反戦映画なのであるが、同時に、令和現在の視聴者にはなかなか理解しがたい政治的モチーフが埋め込まれている。
それは社会主義・共産主義に対する希望と懐疑のアンビバレントな思いである。
仲代達矢演じる梶は、戦前・戦中「アカ」と蔑まれた共産党のシンパであり、彼のヒューマニズムへの希求も兵役拒否の姿勢もそこから来ている。
であるから、志を同じくする丹下一等兵(演:内藤武敏)同様、プロレタリア革命を成し遂げ史上初めての社会主義国となったソ連に、憧れと理想を抱いていた。
その彼が、北満州でソ連軍と闘うはめになり、圧倒的な戦力差で敗北する。
「たとえ捕まって捕虜となっても、プロレタリア(労働者)独裁であるソ連で、無産階級の庶民しかも共産党シンパである自分が、酷い仕打ちを受けるはずがない」
そう心の中で願いつつも、仲間の敗残兵や日本人避難民らとともに、満州の荒野や深い森の中を逃げ惑う。
その道中、梶が目撃したのは、逃げ遅れた日本人女性を集団レイプして、ぼろくずのように道端に捨て去るソ連の兵士たちであった。
「いや、どんな集団にもどうしようもなく下劣で乱暴な奴はいる。軍という組織に関しては、日本軍よりまっとうで話が通じるだろう」
自ら抱いていた理想の崩壊の予感におびえつつも、「社会主義の未来を信じる」と丹下に語る梶。
ついにはソ連軍に投降し、捕虜となって強制労働に従事することになる。
そこで目撃し体験したのは、かつて梶ら日本人が中国人を強制連行し働かせていた老虎嶺鉱山の現場(第1部・第2部)と、まったく変わりない非道であった。
梶は収容所を脱走して、ひとり雪原を彷徨する。
妻三千子の名を呼びながら――。
原作者の五味川純平と小林正樹監督が共産党員あるいはシンパだったのかどうかは知らない。
が、太平洋戦争終焉時の1945年においても、この映画が公開された1961年においても、ソ連はアメリカに匹敵する強大な力を誇っており、社会主義国の内幕すなわち革命の失敗は鉄のカーテンによって西側には隠されていた。
1956年にはフルシチョフによるスターリン批判が起こり、世界中の左翼運動に影響を与えたが、それでも社会主義や共産主義という思想自体が駄目ということにはならなかった。
が、太平洋戦争終焉時の1945年においても、この映画が公開された1961年においても、ソ連はアメリカに匹敵する強大な力を誇っており、社会主義国の内幕すなわち革命の失敗は鉄のカーテンによって西側には隠されていた。
1956年にはフルシチョフによるスターリン批判が起こり、世界中の左翼運動に影響を与えたが、それでも社会主義や共産主義という思想自体が駄目ということにはならなかった。
マルクスやレーニンを信奉し、ソ連を理想国家と信じていた60年代日本の左翼の目に、この映画はどんなふうに映ったのだろうか?
梶らと共に逃げ惑う避難民の娼婦を岸田今日子が演じている。
たいへんな存在感。
色っぽさが画面(スクリーン)から零れ落ちている。
避難民の少女を演じる中村玉緒の初々しさ。
「今の君はピカピカに光って」の頃の宮崎美子を思い出させる。
「今の君はピカピカに光って」の頃の宮崎美子を思い出させる。
後年、明石家さんまによって引き出されたボケキャラが想像できない。
日本の女たちが寄り集まって住み、ソ連兵相手に売春している部落が出てくる。
そこのたった一人の男にして長老を、なんと笠智衆が演じている。
そこのたった一人の男にして長老を、なんと笠智衆が演じている。
『男はつらいよ』の御前様とまったく変わらないのどやかな空気を醸して、一瞬、これが戦争映画であることを忘れさせる。
さしものソ連軍も御前様には手をかけられなかったと見える。
春をひさぐ女たちの中の、春のごとき笠智衆。
恐るべし。
娼婦の一人で高峰秀子が出ているのも驚き。
ストリッパーの役はあっても娼婦の役は珍しい。
『浮雲』でも見せたやさぐれ感が印象に残る。
本作の最大の熱演者は、寺田二等兵役の川津祐介である。
熱に浮かされ、糞にまみれて、野垂れ死んでいく最期が哀れ。
愛らしいルックスのためか見過ごされてしまうが、川津は若い時から演技が上手かった。
仲代の演技は終盤に行くほど風格を増し、演劇的になってくる。
気が狂ったような面持ちで雪原を彷徨し非業の死を遂げるさまは、日本の敗残兵というより、シェークスピアのリア王である。
その迫力ある風格に若干の違和感を覚えたものの、9時間半の大作のラストを飾るには、これくらいのスタンドプレイがちょうどいいのかもしれない。
制作が松竹なだけに、最後は日本に戻って三千子と再会するのだろうと、何とはなしに思っていたので、この結末は意外であった。
だが、理想に敗れ、自ら殺めた幾人もの血で染まった手をして日本に帰ったところで、梶は廃人同様に生きるほかなかったろう。
“人間たる條件”をいともたやすく破壊する戦争の恐ろしさ。
それがこのタイトルの意味だったのである。
日本にも、これほどの映画がつくれた時代があった。
そのことが奇跡のように思われる。
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損