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日時: 2024年11月17日(日)14:00~
会場: 光が丘IMAホール
曲目:
  • シューベルト: イタリア風序曲第1番
  • ハイドン: 交響曲第101番「時計」
  • モーツァルト: 交響曲第41番「ジュピター」
指揮: 小野 富士

 会場に向かうバスの中、アナウンスが言った。
 「次は、光ヶ丘いま、光ヶ丘いま、お降りの方はブザーでお知らせください」

 光ヶ丘IMAを知ってから数十年、今日はじめて「いま」と読むのだと知った。
 ちょっとした衝撃。
 たしかに、そのままローマ字読みすれば「いま」なのだが、「アイエムエー」と英語読みしていた。
 IBMを「アイビーエム」と読むのに釣られていたのかもしれない。

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光ヶ丘IMA

 本日はオール古典派プログラム。
 秋らしくて良き。

 シューベルトの『イタリア風序曲』、はじめて聴いた。
 20歳のときの作品である。
 当時ウィーンではロッシーニ・ブームが起きていて、それに触発されて作曲したという。
 たしかに、作曲者の名前を知らされずに耳にしたら、「ロッシーニかな?」と思うような、バーゲンセール風狂騒感がある。
 当時シューベルトは窮乏に苦しんでいたから、大金持ちのロッシーニに「あやかりたい」という思いがあったのかもしれない。

 ハイドン『時計』は親しみやすい曲。
 とくに時を刻む振り子のリズムさながらの第2楽章はCMに使用されることが多い。
 ソルティは、やはり、旺文社系列の(財)日本英語教育協会が制作し、1958~1992年まで文化放送で流されたラジオ番組『百万人の英語』のテーマ曲の印象が強い。
 この曲と、やはり旺文社『大学受験講座』のテーマ曲になったブラームス『大学祝典序曲』が蛍雪時代の音楽的記憶である。
 J・B・ハリス先生には直接お会いして、著書『ぼくは日本兵だった』にサインをいただいたこともあった。

 モーツァルトやベ―トーヴェンを押さえて「交響曲の父」と冠せられるだけあって、ハイドンのオーケストレイションの技と完成度は素晴らしい。 
 『時計』や『驚愕』やドイツ国歌になった『神よ、皇帝フランツを守り給え』など、メロディメイカーとしての才能にもきらきらしいものがある。
 もっとハイドンを攻めていきたい。

ぼくは日本兵だった
旺文社刊行

 生の『ジュピター』は久しぶり。
 名曲なのに、なぜか演奏される機会が少ない。
 i-amabile の「演奏される機会の多い曲」ランキングでも30位に入っていない。
 なんでだろう?

 『ジュピター』と言えば平原綾香、と言う人は多いと思うが、あの曲の原曲はイギリスの作曲家ホルストの管弦楽組曲『惑星』の第4楽章「木星」である。
 ソルティは『ジュピター』と言えば、かわぐちかいじのコミック『沈黙の艦隊』を思い出す。
 20代の会社員時代にずいぶんはまった。
 実を言えば、モーツァルトの交響曲41番『ジュピター』あるのを知ったのが『沈黙の艦隊』によってであり、BGMにしながら『沈黙の艦隊』を読もうとレコード店に足を運び、人生で初めて手にした交響曲CDこそ『ジュピター』であった。
 『ジュピター』と『沈黙の艦隊』こそは、ソルティのクラシック街道の日本橋(=出発点)であった。(声楽についてはキャスリーン・バトルである) 
 購入したのは、レナード・バーンスタイン指揮×ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1984年1月のライヴ・レコーディングである。

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交響曲40番と41番のカップリングだった

 そういういきさつがあるので、20~30代の頃は『ジュピター』を聴くとどうも戦闘的気分になりがちだった。
 還暦を迎えた今は、「天界からのお迎え」の響きのように聞こえる。
 第4楽章なんか、天使たちの吹きならすラッパと笛の調べに乗って、このままホールの座席で昇天してしまいそうな、「まっ、それも悪くないな」と思うほどの美と愉悦と神々しさに包まれる。
 ちょうど、高畑勲監督のアニメ映画『かぐや姫の物語』で、彩雲に乗ったブッダや天女たちに伴われて地上を去っていくかぐや姫のように。

かぐや姫の昇天

 数日前にベートーヴェンの第5番『運命』を「人類史上最高の名曲」と書いたばかりであるが、モーツァルトの第41番『ジュピター』もそれに匹敵する奇跡である。
 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。
 この4人はベートーヴェンを介して、つながっている。
 つくづく凄い時代だ。

 光が丘管弦楽団による演奏は素晴らしく、光ヶ丘“いま”を体感した。