2012年中公新書
『源氏物語』について思うことの一つに、紫式部はどうやってあの長編小説を書いたのだろう、という謎がある。
最初にどこまで全体の構想を作っていたのか、どの程度きっちりと先の筋を決めて人物を動かしていたのか。
近現代の物故した作家ならば、創作ノートまたは担当編集者や家族の証言などから、ある程度、創作過程を推しはかることもできようが、なにせ1000年以上も昔のこと。
『源氏物語』がどのような経過で成立したのかを根拠づける外部資料は今のところ存在しないのである。
紫式部が、光源氏という絶世の美男貴族を主人公とした恋愛物語を書こうと思って筆をとったのは間違いないと思うが、その生涯を彩る出来事――たとえば、義母との不倫、正妻の死、須磨流し、六条院普請、柏木にコキュされるe.t.c.――を最初にどこまで決めていたのだろう?
ほかの登場人物(多くは女人)のキャラや物語内での身のふり方――たとえば、死や結婚や宮中入内や自殺未遂や出家――を最初にどこまで決めていたのだろう?
創作ノートならぬ創作巻き紙や、登場人物表や、主要な出来事を整理した年表のようなものを別に作っていたのだろうか?
ソルティは、一巻書き上げるごとに発表し、周囲の反応を見ながら、次の展開を決めていったみたいなイメージがあった。
千夜一夜物語いわゆるアラビアンナイトがまさにそうであるように、物語のはじまりはお伽噺、すなわち寝物語のように即興的なもので、語る本人も先の展開がしかとは読めないところにあると思うからだ。
一方で、『源氏物語』のように、400字詰め原稿用紙約2,400枚に及ぶ長編で、500名近い登場人物を擁し、70年あまりの出来事が描かれる小説で、それほどの矛盾や破綻なくストーリーが編まれているからには、行き当たりばったりでないのは明らかである。
人物関係だけとっても非常に複雑である。
それぞれのキャラについてのプロフィールとライフヒストリーを前もってある程度決めてそれをきちんと覚えておかないと、書いているうちにあちこちで矛盾や破綻が生じ、混乱をきたす可能性が高い。
パソコンのような記録媒体もなく、紙が貴重な時代に、どうやってこういった情報を整理していたのだろう?
紫式部の頭の中だけですべてを行って、すべてを記憶していたのだとしたら、たいへんな天才というほかない。
頭の中の音楽を譜面にそのまま書き写すだけだった(ゆえに譜面に訂正跡が一つもなかった)と言われるモーツァルト並みの。
著者の工藤重矩は国文学者で、とくに平安時代の文学や婚姻制度を専門としている。
「平安時代は一夫多妻制だった」という長いこと流布されてきた説に対し、重婚を禁じていた養老律令の規定を根拠に批判し、実態は、両家の合意のもとの正式な結婚によって娶った女性が唯一の正妻であり、それ以外は妾や愛人であったと喝破したのが、工藤である。
言ってみれば、一夫一妻多妾説。
それによると、光源氏の正妻は、元服時に結婚した葵の上と、晩年になって朱雀院のたっての願いにより娶った女三宮だけである、
紫の上は光源氏の妾の一人にすぎない。
紫の上は、親王が妾に産ませた娘で、当の父親から見捨てられていたので、年齢のことは別としても、光源氏と正式な結婚できる境遇になかったのである。(光源氏が北山から少女の彼女を誘拐して同居を始めた時点で、もはや正妻になれる資格はなかったと思うが)
紫の上を光源氏の正妻(の一人)として読むのと、あくまでも妾であるとして読むのとでは、読み方がまったく異なってくる。
ほかの女人と浮気する光源氏を見守る紫の上の心情にも、紫の上が正妻なら単なる嫉妬で済むが、立場の不安定な妾であるならもっと複雑な色合いを帯びてくる。
「今度こそ、源氏の君は正妻を娶られて、わたしは妾に落とされるんじゃないかしら? いいや、飽きられて捨てられるんじゃないかしら?」
その思いを理解する光源氏はじめ周囲の配慮のさまや好奇のまなざしも見えてくる。
そうしたフラジャイルな状況をわざと用意しながら、実際は妾に過ぎない紫の上をあたかも正妻のようにみせ、制度に依らない二人の愛情の深さを読者に伝えようとした紫式部の創作上の工夫が見える。
本書では、光源氏の最初の正妻である葵の上が亡くなったあと、空いた正妻ポジションを埋めないために、つまり、紫の上を妾の立場に落とさないために、紫式部がいかなる操作をしたかが解析されている。
このとき候補として上げられたのは、六条御息所、朝顔の姫君、朧月夜の君の3人。
3人とも、光源氏の正妻となるにふさわしい高貴な身分であり、光源氏からそれぞれ質は異なれど、浅からぬ愛情を寄せられていた。
紫式部はこの三人を巧妙に排除していく。
六条御息所は、物の怪になって人を憑り殺すような嫉妬深さが光源氏に疎ましがられ、斎宮となった娘に付き随って伊勢に下向した。
朝顔の姫君は、生来の思慮深い性格ゆえ光源氏の求婚を拒んでいたが、そのうち、独身であることが求められる賀茂神社の斎院に選ばれた。
朧月夜の君は、右大臣家の婿(すなわち桐壺更衣をいじめた弘徽殿の后の義理の弟)になることを光源氏が望まず、朱雀帝の要望もあって宮中に上がり尚侍となった。
さらに紫式部は、念には念を入れ、光源氏の長年の思い人であった藤壺中宮をも、桐壺帝の一周忌に合わせて出家させ、光源氏との関係を強制終了してしまう。
義母と息子という不倫関係、しかも子供(のちの冷泉帝)まで作ってしまった罪深さを越えて、藤壺中宮が光源氏を新しい婿として受け入れるはずはないが、出家という形によって、しつこいモーションをかけてくる光源氏に関係の継続をあきらめさせる。
これで、紫の上の脅威となるライバル一掃。
しばらくは、光源氏のパートナーとして揺るぎない地位に置かれ、六条院の女主人として世間から篤くもてなされ、養女にした娘(明石の姫君)が入内して女御となる、という栄華に包まれる。
本書で分析されているようなからくりを知ると、『源氏物語』のプロットがかなり綿密に(用意周到に)編まれていることが理解される。
紫式部の非凡な構成力をまざまざと感じ、その天才はたとえ「男の子でなくても」十二分に発揮されたと確信する。
『源氏物語』のメイキングを読むような面白さ。
『源氏』ファン、必読である。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損