塚本晋也監督『ほかげ』を観て、傷痍軍人のことが気になって調べていたら、千代田区九段にこの施設あることを知った。
「しょうけい」は「承継」のことで、「戦傷病者とそのご家族等の労苦を受け継ぎ、語り継ぐ」という趣旨で、平成18年3月に設立された国立の施設である。
国立で、靖国神社の近くにあり、安倍晋三政権のときに作られた、と聞けば、およそどういった施設か見当つかないでもないが、入館無料でもあることだし、神ブラ(神保町散策)のついでにのぞいてみようと思った。
ビルの2階に受付、企画展示室、シアタールーム、図書室があり、3階に常設展示スペースがある。(館内撮影は禁止)
2階企画展示では、『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な漫画家の水木しげるの戦争体験が、水木が描いたイラストや本人へのインタビュー映像を通して語られていた。
ソルティは、『水木しげるのラバウル戦記』、『昭和史 全8巻』、『敗走記』などを読んでいたので、おおむね知っていることであった。
ニューブリテン島で敵機の爆撃を受けてジャングルを逃げ回っているときに、ぬりかべと出会った話が面白い。
そう、水木しげるは太平洋戦争で左腕を失くした傷痍軍人だったのである。
3階常設展示では、日中戦争・太平洋戦争において戦傷病者となった兵士の一連の体験が、彼らの残した多くの証言や遺品をもとに、時系列で語られている。
すなわち、赤紙により徴兵された兵士は、
図書室の関連書籍も充実しており、日中戦争・太平洋戦争について何か調べたければ、それなりに役に立つ施設であろう。(図書はコピーはできるが貸出しはしていない)
3時間半も滞在した。
ひとつ大きな勘違いをしていた。傷痍軍人の定義についてである。
すなわち、国によって要件を認められ、軍人傷痍記章を授けられ、恩給を受ける資格を持つ者を指して言うのである。
同じように徴兵されて、戦地で爆撃を受けて手足を失おうが、病に冒されて帰還後も働けないほどの後遺症を得ようが、国に認められない限り、傷痍軍人にはなれない。
つまり、傷痍軍人とは、戦傷病者の中の特別な存在を言うのであった。
だから、厳密に言えば、在日コリアンの戦傷病者はいても、在日コリアンの傷痍軍人はいない。
ちなみに、敵と戦って負傷した兵士が戦傷者、戦地でマラリアや肺炎などの病気に罹った者が戦病者である。
野戦病院では、戦病者より戦傷者のほうが大事にされ、戦病者は肩身の狭い思いをしたという。
予想していた通り、安部政権下に作られた国の施設なので、国(=自民党)にとって都合の悪い展示はない。
これだけの戦傷病者を出したのに、昭和天皇はじめ戦争責任についての言及は一行もない。
在日コリアンの戦傷病者が戦後置かれた状況にもまったく触れられていない。
また、元兵士が被った肉体的障害については多々語られているが、精神的障害、すなわち戦場における過酷な経験がもとで引き起こされた戦争神経症の凄まじい実態には、ほとんど触れられていない。
傷痍軍人が始めた街頭募金(白衣募金と言う)は、しばらくして社会の猛批判を浴びて一掃されたらしいが、その理由や経緯も知りたかった。
戦傷病者やその家族の体験した労苦は確かに伝わる。
戦争の恐ろしさも確かに伝わる。
当事者からの平和へのメッセージも展示の最後に“形ばかり”掲示されている。
しかるに、この展示はそのまま、「戦争は恐ろしい。負けたら傷病を負って悲惨な生活が待っている。だから、負けないように軍事力を高めて強い日本をつくろう! 平和を守るために憲法を改正しよう!」という、保守右翼にとって都合の良い文脈に利用される可能性がある。
ちょうど、日本軍や沖縄県民がどれほど勇ましく戦い抜いたかを賞揚する沖縄の旧海軍司令部壕のように。
そのとき、「しょうけい」は「憧憬」とでも解されるのだろうか?
“国立”ということを念頭に置いて見学することをおすすめする。
「しょうけい」は「承継」のことで、「戦傷病者とそのご家族等の労苦を受け継ぎ、語り継ぐ」という趣旨で、平成18年3月に設立された国立の施設である。
国立で、靖国神社の近くにあり、安倍晋三政権のときに作られた、と聞けば、およそどういった施設か見当つかないでもないが、入館無料でもあることだし、神ブラ(神保町散策)のついでにのぞいてみようと思った。
入口
ビルの2階に受付、企画展示室、シアタールーム、図書室があり、3階に常設展示スペースがある。(館内撮影は禁止)
2階企画展示では、『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な漫画家の水木しげるの戦争体験が、水木が描いたイラストや本人へのインタビュー映像を通して語られていた。
ソルティは、『水木しげるのラバウル戦記』、『昭和史 全8巻』、『敗走記』などを読んでいたので、おおむね知っていることであった。
ニューブリテン島で敵機の爆撃を受けてジャングルを逃げ回っているときに、ぬりかべと出会った話が面白い。
そう、水木しげるは太平洋戦争で左腕を失くした傷痍軍人だったのである。
3階常設展示では、日中戦争・太平洋戦争において戦傷病者となった兵士の一連の体験が、彼らの残した多くの証言や遺品をもとに、時系列で語られている。
すなわち、赤紙により徴兵された兵士は、
- 家族や地域の人に万歳三唱で見送られて出征し、
- 中国や南方諸島での激戦で負傷、あるいはマラリアやハンセン病や結核などに罹患し、
- ろくな治療設備もない野戦病院等に搬送され、ずさんな治療を受け、
- 九死に一生を得て内地に戻って来るも、
- 戦後の生活困窮や後遺症や差別などに苦しめられ、
- それでも同じ傷痍軍人同士で会を作って励まし合い、家族に支えられて戦後を生き抜いてきた。
- 甲種合格の表彰状
- 召集令状(赤紙)
- 千人針の腹巻き
- 慰問袋
- 銃弾が貫通した軍帽や軍靴
- 傷口から摘出した銃弾
- 止血に用いた日章旗
- 野戦病院の様子を再現したジオラマ
- 戦場で兵士が描いた搬送船のスケッチ
- リハビリ用の義足や義手や義眼
- 脊髄損傷した患者のために特別に作られた車いす
- 傷痍軍人の街頭募金を伝える新聞記事
- 傷痍軍人に授与された記章 など
図書室の関連書籍も充実しており、日中戦争・太平洋戦争について何か調べたければ、それなりに役に立つ施設であろう。(図書はコピーはできるが貸出しはしていない)
3時間半も滞在した。

ひとつ大きな勘違いをしていた。傷痍軍人の定義についてである。
戦闘その他の公務のために傷痍を受けた軍人、あるいは軍属。傷痍軍人は恩給法により増加恩給、傷病年金または傷病賜金を受給でき、軍人傷痍記章を授与される。(出典/平凡社「改訂新版 世界大百科事典」)
すなわち、国によって要件を認められ、軍人傷痍記章を授けられ、恩給を受ける資格を持つ者を指して言うのである。
同じように徴兵されて、戦地で爆撃を受けて手足を失おうが、病に冒されて帰還後も働けないほどの後遺症を得ようが、国に認められない限り、傷痍軍人にはなれない。
つまり、傷痍軍人とは、戦傷病者の中の特別な存在を言うのであった。
だから、厳密に言えば、在日コリアンの戦傷病者はいても、在日コリアンの傷痍軍人はいない。
ちなみに、敵と戦って負傷した兵士が戦傷者、戦地でマラリアや肺炎などの病気に罹った者が戦病者である。
野戦病院では、戦病者より戦傷者のほうが大事にされ、戦病者は肩身の狭い思いをしたという。
予想していた通り、安部政権下に作られた国の施設なので、国(=自民党)にとって都合の悪い展示はない。
これだけの戦傷病者を出したのに、昭和天皇はじめ戦争責任についての言及は一行もない。
在日コリアンの戦傷病者が戦後置かれた状況にもまったく触れられていない。
また、元兵士が被った肉体的障害については多々語られているが、精神的障害、すなわち戦場における過酷な経験がもとで引き起こされた戦争神経症の凄まじい実態には、ほとんど触れられていない。
傷痍軍人が始めた街頭募金(白衣募金と言う)は、しばらくして社会の猛批判を浴びて一掃されたらしいが、その理由や経緯も知りたかった。
戦傷病者やその家族の体験した労苦は確かに伝わる。
戦争の恐ろしさも確かに伝わる。
当事者からの平和へのメッセージも展示の最後に“形ばかり”掲示されている。
しかるに、この展示はそのまま、「戦争は恐ろしい。負けたら傷病を負って悲惨な生活が待っている。だから、負けないように軍事力を高めて強い日本をつくろう! 平和を守るために憲法を改正しよう!」という、保守右翼にとって都合の良い文脈に利用される可能性がある。
ちょうど、日本軍や沖縄県民がどれほど勇ましく戦い抜いたかを賞揚する沖縄の旧海軍司令部壕のように。
そのとき、「しょうけい」は「憧憬」とでも解されるのだろうか?
“国立”ということを念頭に置いて見学することをおすすめする。