昨年中に提出した2つのレポートが返って来た。
11月に出した平安文学論は「再提出」、12月に出した文化財学購読Ⅰは「合格」であった。
自分としては、平安時代の結婚制度と文学をテーマとする平安文学論のほうが、好きなテーマであり普段からの読書で馴染みある分野でもあったので、合格する自信があった。
〈優・良・可〉の〈優〉は難しくとも、〈可〉には引っかかるだろうと踏んでいた。
「再提出」の通知を受けて、数日へこんだ。
最も得意とする科目で〈不可〉ならば、それ以外の科目はなおさら、一発突破困難と思ったのである。
なかなか再提出のための再勉強をする気にならず、また新たに3科目の勉強を開始する気にもならず、しばらく怠けていた。
早くも最初の壁にぶち当たった。
年末年始の休みが明けて、再提出のための勉強をやおら再開したところに、文化財学購読Ⅰの合格通知が届いた。
それでちょっと浮き上がった。
二連敗だったら、モチベーションがやばかったかもしれない。
ソルティは昔からテスト関係には強いほうなので、それがかえって、失敗に弱い性格をつくったのかもしれない。
しかし、すべての科目にすんなり一発合格して、簡単に進級・卒業できるのも、考えてみたらつまらない。(最初の学生時代はまさにそうであった)
ある程度の壁があって、苦労や呻吟や落ち込みや懈怠があって、OBからの支援や仲間との励まし合いがあって、気を取り直しての再チャレンジによって無事履修してこその勉学の喜びというものがあろう。
そしてまた、たとえ合格しなかったとしても、学んだ事実は変わらず、学びで得られた知見や経験や充実感は失われるものではない。
目的はあくまで学びそのものにあるのだ。
しばらく放っておいた平安文学論のレポートを、冷静な目で読み返してみたら、説明の足りないところがあるのに気づいた。
自分の中で分かっているつもりになっていたがゆえに、叙述が粗略になり、論述の根拠が不明確な部分があった。
平安時代の貴族の恋愛や結婚について何も知らない人がソルティのレポートを読んだら、わけが分からないであろう。
むしろ、「文化財購読」のように何の前提知識も持たない白紙のような題材のほうが、構成を丹念に考えて文章を一から組み立てなければならないので、読んでわかりやすいレポートが書ける。
なまじ余計な知識があると、かえって見えないものがあると知った。
そんなわけで、平安文学論のレポートを書き直して再提出したところである。
文化財購読Ⅰのほうは、これで学科試験を受ける資格が得られた。
試験の出題内容はあらかじめ通知されているので、2月か3月の奈良大学でのスクーリング時の放課後に受けるべく、おいおい準備しようと思っている。
今年の春は奈良から始まる。
