2023年梓書院

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 なぜいま、邪馬台国?
 ――のわけは、『アマテラスの暗号』を読んだからではなくて、この春受講予定の奈良大学通信教育学部歴史文化財学科のスクーリングで、『魏志倭人伝』が教材に上げられているからである。
 『魏志倭人伝』に記されている倭人(古代日本人)の衣食住について取り上げるらしい。

 『魏志倭人伝』と言えば邪馬台国。
 邪馬台国と言えば女王卑弥呼。
 卑弥呼と言えば、高峰三枝子(市川崑監督『火の鳥』)、岩下志麻(篠田正浩監督『卑弥呼』)、吉永小百合(堤幸彦監督『まぼろしの邪馬台国』)。
 邪馬台国と言えば、畿内説 v.s. 九州説。

 邪馬台国に関する自分の知識は、おおむね高校時代の日本史の授業で止まっている。
 70年代のデーターである。
 それから45年が経っている。
 その間に、数々の考古学上の発見や最新科学を用いた新たな知見が加わっていよう。
 スクーリングまでにギャップを少しでも埋めておこう。
 そう思って、できるだけ刊行年の新しい本を借りてきた。

 梓書院は福岡市博多区にある昭和47年創業の出版社。その名もずばり、『季刊 邪馬台国』を発行している。
 著者の豊田は、1953年福岡市生まれ。九州大学卒業後、西日本新聞社で働いてきた報道畑の男である。
 この組み合わせから想像される通り、著者は「邪馬台国九州説」に票を投じている。

 群雄割拠のような日本列島の中に、のちのヤマト王権に発展する畿内ヤマトの部族連合勢力と、稲作伝来に始まる大陸との直接交渉で先進的文物をいち早く吸収してきた「北部九州連合」ともいうべき二大勢力が併存していたのではないか――というのが「二つの倭」という考え方です。
 私は、このうち「北部九州連合」に当たるのが、卑弥呼が統率する「女王国」で、その都が邪馬台国だと考えています。(本書「エピローグ」より)

 本書でも、九州北部で発見された遺跡や古墳や出土品の話がてんこもりである。
 「畿内説」論者にしてみたら、歯がゆいところかもしれない。
 九州の遺跡と言えば、1986年(昭和61年)から始まった発掘調査によって発見された佐賀県の吉野ケ里遺跡がすぐ思い浮かぶ。
 遺跡の巨大さと出土品などから窺われる文化の高さ、そしてセンセーショナルな報道に、「ついに邪馬台国発見か!」と、大学生だったソルティは思ったものである。
 しかるに、九州には吉野ケ里以外にも邪馬台国に比定される遺跡がいくつもあるという。
 九州が文明の最先端だった時代がこの島にはあった。

 一方、畿内説では、奈良県桜井市三輪山近くの纏向(まきむく)遺跡が邪馬台国の最有力候補である。最古の前方後円墳である箸墓古墳こそは卑弥呼の塚ではないかともっぱらの話題。プロの学者、アマの古代史ファン入り乱れて、喧々諤々の議論が続いている。
 一風変わったところでは、『HONKOWAほん怖』(朝日出版社)にて活躍中の実在する霊能者・寺尾玲子が纏向遺跡の巨大古墳群を霊視し、そこに弔われている者の正体を探るノンフィクション漫画(永久保貴一『闇の考証』)がある。
 そこでは、箸墓の主は“鬼道を操る”ようなサイキックではないと、玲子さんは語っている。

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 少なくとも纏向遺跡は、その規模の大きさや都市機能のレベル、あるいは全国各地を産地とする出土品の多様性などから、令和の現代に続く天皇制国家日本すなわち「ヤマト王権」発祥の地ということは、かなりの蓋然性をもって言えるようだ。
 問題は、邪馬台国の滅んだあとに同じ場所にヤマト政権が誕生したのか、それとも二つはまったく別の地域の王権なのか、という点である。

 畿内か九州か?
 結局、肝心なところは、高校時代に習った地点からは進展していないことが分かった。
 やっぱり、いつの日か、「親魏倭王」と刻まれた印がどこかの権兵衛さんの畑から発見されるのを待つしかないのか?
 ソルティが生きているうちに間に合うのだろうか? 
 まあ、どうでもいいことなんだけど・・・。   



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損