1965年原著刊行 
1976年早川書房(菊池 光・訳)

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 『週刊文春』が1985年に実施した東西ミステリーベスト100において、第6位に輝いている本作を、ソルティは読んでいなかった。
 第5位のジャック・ヒギンズ著『鷲は舞い降りた』も読んでいない。
 これではミステリーファンを名乗る資格がない?
 ちなみに、同企画は、日本の推理作家や推理小説の愛好者ら約500名にアンケートを実施し、各回答者にベスト10を選んでもらったものを集計した結果である。
 海外(西洋)ミステリーのベストテンは以下の通りだった。
  1. エラリー・クイーン 『Yの悲劇』
  2. ウィリアム・アイリッシュ 『幻の女』
  3. レイモンド・チャンドラー 『長いお別れ』
  4. アガサ・クリスティ 『そして誰もいなくなった』
  5. ジャック・ヒギンズ 『鷲は舞い降りた』
  6. ギャビン・ライアル 『深夜プラス1』
  7. F・W・クロフツ 『樽』
  8. アガサ・クリスティ 『アクロイド殺し』
  9. S・S・ヴァン=ダイン 『僧正殺人事件』
  10. アーサー・コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの冒険 (短編集)』
 5位と6位以外の作品は10~20代のうちに読んでいる。
 つまり、ソルティはハードボイルド(非情)が苦手だったのである。
 3位のチャンドラー『長いお別れ』もハードボイルドの古典として名高い作品ではあるが、大学でアメリカ文学を専攻していた関係上、さすがに読まないわけにはいかなかった。
 チャンドラーはアメリカ文学史においても重要な作家の一人とみなされているのだ。
 実際に読んでみたら、面白かったし、感動した。
 ハードボイルドには違いないが、感傷的でウェットな風があった。
 ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』、トルーマン・カポーティの『冷血』に近い感じがした。

 なぜソルティがハードボイルドが苦手だったのかと言えば、やっぱりマチョイズム芬々たるからだし、ハードボイルド小説に欠かせない「車、銃、煙草、酒、暴力、ギャンブル、女」にあまり興味が持てなかったからだ。
 興味が持てない一方で、マッチョに(“男”らしく)なれない自分にかつてはコンプレックスを抱いていたので、ハードボイルド小説を読んで卑屈な気持ちにさせられるのが嫌だった。 
 「つまんない、くだらない、バカ男どもの小説」と一刀両断できればよかったのだが。

 ほんとに、今では考えられないくらい、昭和時代はマチョイズムがはびこっていた。
 ドラマもCMも小説も歌謡曲も、あるべき「男」の像をしきりに生産し続けた。

男には自分の世界がある、男はサムライ、男は度胸、男は涙を見せない、男の勲章、男なら一国一城、男の背中、男は40になったら自分の顔に責任を持て、男は無口な戦士、男の意気地、男は敷居を跨げば7人の敵がいる、男は台所に立つな、男の世界(マンダム)、男は黙って××ビール、嵐を呼ぶ男、俺は男だ!・・・・・

 そんなマチョイズムの奔流の中に物心つく頃から浸っていれば、内面化されたマチョイズムの物差しが、自分という「男」を自然と査定するのを避けるわけにはいかなくなる。
 自分は男として“落第”なのだろうか・・・・?
 自己否定は自信の欠如をまねくので、ますます“男らしさ”が失われる。
 うざったい時代だった。

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ThankYouFantasyPicturesによるPixabayからの画像

 ついに『深夜プラス1』を読んで、「ああ、そうか」と今さらながら思ったのは、ハードボイルドの誕生の背景には戦争の影があるってことだ。
 戦争の傷と言ってもいい。
 本作の主人公の英国人カントンは、第2次大戦中ドイツによるフランス占領時にレジスタンスに協力していた過去を持つ。
 今回フランスからリヒテンシュタインに行く富豪のボディガードとして雇われることになったのは、戦時のさまざまな体験や知恵が役立つと見込まれたからだ。
 車や銃の扱いに長け、いかなる時でも冷静沈着で、刻々変わりゆく事態に臨機応変に対応する能力を有し、敵の裏をかくことができ、身を守るために情け容赦なく敵を殺し、目的を果たすまであきらめない。
 カントンの才能や性質は、戦争によって鍛えられたところ大である。
 一方で、戦時中に親友を目の前で殺されたという心の傷も持つ。
 ハードボイルド小説の骨格を成す「暴力、非情、車と銃、謀略、ペシミズム、マチョイズム」はまさに戦争の延長線上にあるものなのである。

 戦争が終わって平和な世の中になり、戦争ドラマの代わりにハードボイルドが登場した。
 作者のギャビン・ライアルは1951年から2年間イギリス空軍にいた。実戦経験があるかどうかは知らないが、先輩の体験談をずいぶん耳にしたことだろう。
 考えてみれば、ハードボイルドの創始者と言えるアーネスト・ヘミングウェイもまた、第1次大戦時に瀕死の重傷を負い、1930年代のスペイン内戦の際には外国人義勇兵の一人として従軍している。そうした体験が、『武器よさらば』や『誰がために鐘は鳴る』などの作品に結実した。 
 ハードボイルドは、戦争が生んだ文学なのだ。
 それはまた、「戦争(闘い)をせざるを得ない、いびつな社会のいびつな男たちの物語」なのである。
 困ったことに、男という種族(の一部)は、そういった世界になぜか憧れて模倣したがる。
 本能だから仕方ない?
 世界から戦争が無くならない根本要因はそこにあると思う。

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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

  一方で、ハードボイルド=男の美学が、女性を男の暴力から守っていたという側面もあると思う。
 「女に暴力を振るう男は、男のくずだ」、「困っている女性を見たら助けろ」という哲学がそこには歴然とあったので、つき合っている男がハードボイルドを気取っているうちは、女も安心していられた。
 その美学が崩れた現在、女は自分の身を自分で守らなければならない。

 本作は、構成がしっかりしていて、叙述は簡潔にして正確無比。
 人物描写が巧みで、ウィットと深みのある洗練された会話は大人の味。
 スリルとサスペンスも十分。
 ただ、肝心のどんでん返しは、1965年の読者ならば腰を抜かしたことだろうが、60年後の現在、どんでん返しに慣れ過ぎてしまった読者は、途中で真相に気づいてしまうだろう。
 『週刊文春』東西ミステリーベスト100の2012年版において、『深夜プラス1』は25位に転落してしまっている。
 どんでん返しの賞味期限が切れたことが一因なのかもしれない。
 一方、『鷹は舞い降りた』も19位に落ちている。
 やはり昭和から平成になって、マッチョイズムが忌避されるようになったことが影響しているのではなかろうか。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損