日時: 2025年2月11日(火)13:30~
会場: すみだトリフォニーホール
曲目:
- ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第3番
ピアノ: 槙 和馬 - (アンコール)即興演奏:「ミ・ファ・ミ・ラ・レ」
- ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番「革命」
- (アンコール)ショスタコーヴィチ: 組曲『モスクワ・チェリュームシキ』より第1曲「モスクワ疾走」
指揮: 田部井 剛
若目の大所帯ならではの迫力ある演奏と、観客を楽しませる心意気、それがザッツ管弦楽団の持ち味である。
今回も、パワフルかつアメイジングなコンサートで、満腹になった。
約1800席のすみだトリフォニーをほぼ満席にできる集客力は、アマオケ随一かもしれない。
ラフマニノフのピアノ協奏曲なら、やはり浅田真央が日本中を感動の渦に巻き込んだ、2014年ソチオリンピックのフリープログラムに使用された第2番に尽きる。
今でも、鮮やかなブルーの衣装をまとった真央ちゃんが、トリプルアクセルを含むすべてのジャンプを成功させ、全身全霊のステップから流れるような軌道を描いて圧巻のフィニッシュ!の映像を想起することなしに、第2番第1楽章を聴くことは困難である。
ショートプログラムでの致命的失敗でメダルを逃したことがもはや決定的となった絶望のどん底から、不死鳥のごとく蘇り、あの完璧な演技が生み出されたとき、その悲哀と不屈の精神と自己超越の三重唱は、まさにラフマニノフの音楽をあますところなく表現していた。
浅田真央は、演技でラフマニノフを表現したのでなく、生き方で表現したのだ。
こんな芸当ができるスケーターは、なかなかいない。
ピアノ協奏曲第2番第1楽章は、日本のフィギアスケート界における永久欠番といったところだろう。
ピアノ協奏曲第3番は、2番にくらべるとつまらない。
ソルティがあまり聴き込んでいないというだけで、クラシック通はむしろ3番を好むのかもしれない。
ピアニストにとってたいへんな難曲であろうことは、3階席から槙和馬の手元をオペラグラスで観ていて、ありありと知られた。
実に高度な技術と並々ならぬ集中力と甚大なパワーが要求される曲である。
童顔でソフトな雰囲気の槙のどこにこんな馬力があるのか。
天賦の才ってのはあるなあ、と思った。
とくにアンコールでは、客席2人、オケメンバー2人、そして指揮の田部井の5人から、5つの音をアトランダムに選んでもらって、選ばれた「ミ・ファ・ミ・ラ・レ」を使って即興曲をつくった。魔術師のようなその才には舌を巻いた。
リアルタイムで槙の手から生み出されホールに放たれていく曲は、そのままテレビドラマ『家族のメモワール(仮題)』のBGMとして使用しても、まったく遜色ない完成度であった。
御年27歳。
この人は、いつの日かNHK大河ドラマのテーマ曲を書くのでは?
ショスタコの5番を生で聴くのは3回目。
聴けば聴くほど、この曲のテーマは、『プロレタリア革命の成功』でもなく、『苦難のち勝利』でもなく、ましてや『共産主義の栄光』でもなく、『独裁者の横暴と虐げられる庶民の悲劇』としか聴こえない。
全曲通して安らげる瞬間は第3楽章の一部のみであるが、そこはおそらく、独裁者の暴虐の犠牲となった人々への鎮魂がうたわれている部分なので、結局、死者だけが安らぎを知ることができる。
残りのすべての部分は強い不安と緊張が持続している。
それこそは独裁政権下の社会の空気そのものであろう。
いまのロシアや北朝鮮や中国に嗅げるような。
とりわけ、最終楽章で冒頭から最後まで鳴り続けるトロンボーンとトランペットの耳を聾するばかりの絶叫は、緊急避難警報としか聞こえない。
この楽章のどこに「心からの歓喜」が見いだされよう?
ソルティは、しかし、心をパニックに陥れるような警告の響きに、髭を生やしたスターリンや禿頭のプーチンやふてぶてしい面差しの習近平を思い起こすことはなかった。
先ごろ米国第47代大統領に就任したドナルド・トランプの顔ばかりが浮かんだ。