2012年中公新書

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 これはたいへん面白く、画期的な本。
 刊行当時、邪馬台国研究者&マニア業界で話題になったのかどうか知らないが、かなり物議をかもしたのではなかろうか?
 結論から先に言うと、著者は邪馬台国畿内説をとっているのだが、ソルティは本書を読んで、九州説支持派から畿内説支持派に鞍替えしてしまった!
 そのくらい、著者の論証に説得力を感じた。
 なによりユニークなのは、著者が邪馬台国の謎を考えるために採用した手段が、副題「三国志から見る邪馬台国」にある通り、『三国志』という書物を解析し、その特徴をもとに論を立てている点である。
 渡邉義浩は1962年東京生まれの中国古代史の研究者。とくに『三国志』を専門としている。

 邪馬台国のことは「魏志倭人伝」に載っている、と多くの人は思っている。
 が、実は「魏志倭人伝」という書物はない。
 65巻ある『三国志』の中の、「魏書(魏の歴史)」について書かれた巻1~30のうちの、巻30「烏垣・鮮卑・東夷伝」の倭(日本)について書かれた部分を指して、「魏志倭人伝」と呼んでいるのである。
 
三国志は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180頃-280頃)の約100年に亘る興亡史であり、蜀・魏・呉の三国が争覇した三国時代の歴史を述べた歴史書でもある。著者は蜀の元役人で、西晋の陳寿(233-297)。
(ウィキペディア『三国志』より抜粋)

 『日本書記』を例に出すまでもなく、官によって作られた歴史書は、その時の為政者の正統性をアピールするためにある。
 陳寿は三国時代を蜀の役人として生きのびた後、司馬炎によって統一された西晋に仕えた官僚であった。司馬炎は魏の皇帝曹奐から禅定を受けて晋を建てたので、西晋の正統性を語るとは魏の正統性を語ることにほかならない。
 つまり、『三国志』において陳寿は、かつての母国・蜀の敵国であった魏の正統性を語らざるを得なかったのである。(役人はつらいよ)
 魏の正統性をアピールする書――これが『三国志』を読み解く際の重要なポイントなのである。

 独立性の高い魏書・蜀書・呉書から成る『三国志』であるが、それでも皇帝が世界を支配するという価値観を表現するための夷狄(野蛮な異民族)の列伝は、魏書のみに附された。儒教において、中華の天子の徳は、それを慕って朝貢する夷狄の存在によって証明されるためである。朝貢とは、夷狄の君主が、中華の文徳に教化されて臣下となり、貢ぎ物を捧げ世界の支配者である中華の皇帝のもと、地域を支配する国王として封建されるために使者を派遣することである。曹魏を正統とする『三国志』は、曹魏と国際関係を結んだ異民族を、正統性を示す夷狄として優先的に記述する。

 曹魏の中華としての正統性を示すために設けられた夷狄の列伝、それが『三国志』唯一の夷狄伝、巻三十、烏垣・鮮卑・東夷伝である。したがって、曹魏に朝貢した倭人の記録は、反抗的な民族も多かった東夷伝のなかで、曹魏の正統性ならびにそれを継承する西普の正統性を表現するため、政治的意図を含んだ記述となるのである。

 倭人伝は、『三国志』という史書の持つ傾向が、明確に現れている部分であり、以前から邪馬台国論争への提言を試みたいと考えていた。倭人伝には、使者の報告などに基づく部分と、史家の持つ世界観や置かれた政治状況により著された観念的叙述の部分とがあるため、両者を分けなければならない、という提言である。

 すなわち、「魏志倭人伝」には、事実に基づいた部分と、観念的叙述すなわち創作による部分とがあり、全編をそのまま事実と考えるのは適切ではない、ということである。
 考えてみればあたりまえの話だ。
 ほとんどの日本人は『日本書記』の記述を100%信じていないのに、なぜ、それよりはるか古い時代に作られた異国の書である『三国志』を100%信じる必要があるのか?
 神武天皇の実在を否定する一方で、なぜ、「倭人の寿命は100年」とか、倭族の中には「小人の国」や「裸の国」や「黒歯の国」があるなんてガリバー旅行記さながらのトンデモ記述を信じ込んでしまうのか?
 ナンセンスである。
 要は、「著者を疑え」ということで、その意味で本書は言わば、“アクロイド殺し”的魏志倭人伝解読である。
 まさに目からウロコの思いで、スリリングかつ興味深く読んだ。
 一方、なぜ今まで誰も、こうした視点から魏志倭人伝を読まなかったのか、邪馬台国問題をとらえなかったのか、非常に不思議な気がした。
 中国古代史や中華思想に詳しい人間がいなかったのだろうか?

卑弥呼

 要は、実際に3世紀に海を渡って倭(日本)にやって来て、邪馬台国を訪ね卑弥呼に会った使者たちによる事実に基づいた叙述部分と、魏や晋の正統性や偉大さを誇示するために、あるいは儒教にもとづく中華思想を展開するために、宮仕えの陳寿によって創作された部分とを、弁別することである。
 渡邉は、論拠をひとつひとつ示しながら、見事な論理展開によってそれを成し遂げている。
 文献解読かくあるべし、の見本のような切れ味。 
 説得力があり、これまで長いこと議論の焦点となってきた邪馬台国をめぐる様々な謎が、一挙に解けるような爽快感があった。
 たとえば、
  • 帯方郡(朝鮮半島の中西部)から邪馬台国に至る方角の記述の謎(東と南の取り違え?)
  • 奴国(いまの博多近辺)から邪馬台国に至る距離の記述の謎(水行十日、陸行一日)
  • 邪馬台国に見る南方風俗の謎(顔と体に入れ墨、冬でも温暖でみな裸足)
  • 倭国の人口が約16万戸(約80万人)とされた理由(当時の大月氏国=インドより多い)
  • 女性の人口が多い理由
  • 「小人国」、「黒歯国」、「裸国」の謎
  • 全般に倭人について好意的に書かれている理由
 これで邪馬台国論争に決着がつくわけにはいかないだろうが、渡邉が新たな論点を投げかけたのは確かである。
 この書を読まずして、邪馬台国論争に参戦するなかれ。
 巻末に魏志倭人伝の全文と詳細な訳注が収録されているのもうれしい。

 ソルティは3世紀に書かれた陳寿の『三国志』も、明代になって成立した三国時代を舞台とする娯楽歴史小説である『三国志演義』も――日本では一般にこちらが『三国志』と了解されている――読んだことがない。
 そのあたりの知識があれば、本書をよりよく理解できるだろう。
 そろそろ、吉川英治の『三国志』にとりかかりたいと思う。
 こうやって歴史オタクになっていく。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損