2020年角川選書

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 副題は「瞑想と心身の近現代」
 明治期に西洋から入って来た近代科学を、日本の仏教界がどのように咀嚼して活用したか、あるいは脅威を感じ距離を置いたか、とりわけ禅における修行の要である瞑想がどのように科学化され実用化されていったか、が検証される。
 著者は1981年生まれの宗教学者。「おうみとしひろ」と読む。

 仏教に限らず、宗教と科学は相性が良くない。
 旧約・新約聖書にせよ、仏典にせよ、コーランにせよ、近代科学の目からすればナンセンスな記述が少なくない。
 仏教では、念仏すれば極楽往生できるとか、加持祈祷すれば病気が治り怨霊退治できるとか、瞑想して悟りに達すれば輪廻転生から抜けられるとか、長く信じられてきたけれど、近代科学教育を受けた現代人からすれば、なんの証拠もない世迷言に過ぎない。
 仏教界にとっては、明治初めの神仏分離令を端とする廃仏毀釈の波もきびしかったが、大局的に見たら、近代科学の登場のほうが打撃であったろう。
 そんな中で生き残りをかけて、各仏教宗派は科学との折り合える道を探っていったわけである。

 西洋心理学の普及教育を通して、人々を一段と高い仏教の真理へと導くことができると信じた井上円了。
 催眠術中に起こる超常現象から仏典にある神通力を説明できるとし、念写実験をおこなった福来友吉。
 明治天皇の病を空海爾来の加持祈祷によって治すことができず、釈明に追われた真言密教宗派。
 坐禅する修行僧の脳にアルファ波が出ていることが判明したのを機に始まった、ビジネスや健康や能力開発など、瞑想の現世利益的活用の流行。
 心理学による宗教解釈に一定の理解を示しながらも、「悟り」は科学できないという見解を貫いた禅の大家鈴木大拙。
 東洋思想や神秘主義と、科学の融合が目指された70年代ニューサイエンスの活況が、95年のオウム真理教事件で命脈絶たれるまで。
 そして、現代世界中で流行っている初期仏教のヴィッパサナー瞑想をもとにしたマインドフルネスの展開。
 興味深いトピックが次から次へと取り上げられ、あっという間に読み終えてしまった。

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Pete LinforthによるPixabayからの画像

 人間の心や言動はまったく合理的ではないので、科学だけではとれえられない、解決できない部分は残る。
 たとえば、科学的に合成されたどんなに良く効く薬でも、薬単体で病気を治すことはできない。治すのは自然治癒力である。
 試験に合格するためには対策を立てて勉強するしかないと分かっていても、人は神社に足を運んで合格祈願してしまう。
 ソルティ自身、こんなことがあった。
 仕事帰りに最寄り駅構内のスーパーで買い物し、家に帰って、財布を落としたことに気づいた。
 現金はともかく、クレジットカード2枚、銀行のキャッシュカード2枚、健康保険証、運転免許証、奈良大学の学生証が痛かった。
 利用停止や再発行の手続きを考えるだけで、気が重くなった。
 自分が通った道を辿り返し、買い物した店に確認をとったが、なかった。
 諦めるしかないと思いつつ、駄目もとで駅の改札の窓口に尋ねた。
 「どんな財布ですか?」
 「黒革の小さな財布です」
 「これですか?」
 ・・・・あった。
 カード一式のみならず、お札も小銭もそのまま入っていた。
 神仏に感謝した。
 合理的に考えれば、拾って届けてくれた人(名前を残さなかった)が善人だったわけで、第一に感謝すべきはその人であることは分かっている。
 また、日本だからこそあり得る話である。
 だが、なぜか、先日巡った奈良や京都の仏像たちの姿が、目の前に浮かんできたのであった。

 合理ではどうにもおさまりつかない部分に、芸術や宗教は入り込んでくる。
 その部分の面積がだんだんと減少していったのが、人間の歴史なのだと思う。
 ただ、科学がどんなに進んでも、人間がどんなにデジタル化しても、その部分が無くなることはないのではないかと思う。
 人間の心や言動のすべてが合理で解明できるとき、おそらく人間は尊厳を失ってしまうからだ。 





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損