2016年講談社

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 奈良の新薬師寺の香薬師如来像は、昭和18年(1943)3月に盗まれて以来、82年間、行方不明になっている。
 きっと、この白鳳時代の傑作彫刻が発見された日には、日本美術界も日本仏教界も文化庁も仏像マニアも、上を下への大騒ぎとなることだろう。
 たとえば、青息吐息の関西万博にこの像一つ投下したら、一気に盛り上がり、ミャクミャクも吉村洋文府知事も“男を上げる”に違いない。(ミャクミャクの性別は知らないが)
 その愛らしく高貴な表情と、いまにも空中浮遊しそうな軽みを感じさせる佇まいは、古来多くの人を魅了し、信仰と憧憬の的であり続けた。

 著者の貴田正子は、元産経新聞の記者。白鳳仏“推し”が高じて、香薬師像の捜索をライフワークにしている人である。
 同じ白鳳仏である東京深大寺の釈迦如来椅像の来歴を調べた『深大寺の白鳳仏』(講談社)という本も出していて、ソルティは先にそちらを読んだ。
 よくできたミステリーさながらのスリルと謎解きの快感、それに対象が国宝の仏像だけにスピリチュアルな要素も加わって、エキサイティングな読書体験であった。

 本書もまた、香薬師像をめぐる数々の謎に迫っていて、仏像ファンとしては興味をそそられずにはいられない。
 香薬師像が新薬師寺に祀られるまでの来歴、歌人で書家で美術史家の会津八一や文芸春秋元社長の佐々木茂索など仏像に魅せられた人たちの感動的エピソード、仏像が盗まれた時のくわしい状況(明治以降3度盗まれて2度戻ってきている)、各地に数躯存在するレプリカのつくられた経緯など、一つの仏像をめぐってこれだけの人が動き、様々な物語を生んでいることに感心する。たとえば、亡くなった妻の面影を香薬師像にダブらせた佐々木茂索は、大枚はたいての壊れた像の修復およびレプリカ制作を申し出たそうな。

 しかも本書は、ミステリーとして、ひとつの輝かしい解決を見て、幕を閉じている。
 昭和18年(1943)の3度目の盗難の際、現場には切り離された右手が残っていたのであるが、それがいつのまにか行方知れずになっていた。(戦時中とはいえ、ちょっと杜撰。関係者はあまりのショックで呆然自失していたのか?)
 今回(2015年)、貴田が中心となって香薬師像の右手を探し出し、実に72年ぶりに新薬師寺に帰還させたのである!
 その経緯はこれまたスピリチュアルな彩りに満ちている。
 GOOD JOB !!

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本書扉ページより

 白鳳期(飛鳥時代後期)につくられた身の丈約73センチの香薬師像は、もともとは聖武天皇の后である光明皇后の念侍仏だったという。当時の主要な仏像の例にもれず、銅製で表面に金メッキが施してあった。
 光明皇后は、春日大社の神体山である春日山の山中に香山寺を造り、その本尊としてこれを祀った。香薬師の名はそこから来ている。
 その後、聖武天皇の病気平癒を祈願して、天平19年(747)新薬師寺を造立した ときに、本尊の胎内仏として新薬師寺に遷されたらしい。
 宝亀11年(780)新薬師寺は火災に見舞われ、本尊は焼失。からくも救出された香薬師像は、以後、寺宝として守られてきた。

 現在、新薬師寺には、佐々木のお陰で造られた香薬師像のレプリカが祀られており、それをたよりに、うしなわれたほとけの麗姿を心に思い描くことができる。
 貴田らが見つけた本物の右手は、安全のため「奈良国立博物館」に預けてあるという。
 右手が何を語るのか。
 機会あれば観に行きたいものである。

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新薬師寺本堂



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損