1960年東宝
115分、モノクロ

 神保町シアター開催中の『没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督』にて学生料金1000円で鑑賞。
 森繁久彌が田舎の宿場町の心やさしき医者を演じる、いわゆる「赤ひげ」物。
 原作はユーモア小説家の中野実(1901-1973)。

 舞台は江戸時代末期の東海道嶋田宿。現在の静岡県島田市の大井川沿岸である。
 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた東海道きっての難所。大雨で水かさが増せば、何日もこの地で足止めを喰らうのが旅の常だった。
 川岸にはふんどし一枚の川越人足たちが蝟集し、威勢のいい掛け声は松林の彼方にそびえる富士山にまで届くかのようである。

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歌川広重作「東海道五十三次・嶋田」

 ふんどし医者という異名は、森繁演じる小山慶斎がいつも身ぐるみ剝がされ、ふんどし一丁で賭場から帰って来るからである。
 と聞くと、博打好き酒びたり女房泣かせのやぶ医者というイメージを抱きかねないが、実は慶斎先生、長崎でシーボルトに医術を学んだ秀才で、本来なら江戸で将軍様の御殿医になれるほどの腕の持主。
 若い時分に、親友の池田明海とともに長崎で修業し、江戸に帰る道中、嶋田で足止めを喰らったのがきっかけで、貧しい庶民のために働くことを決意したのである。
 そのとき長崎から明海を追ってやって来たのが、原節子演じる小山いく。
 嶋田宿で庶民のために身を粉にして働く慶斎の姿を見た彼女は、心変わりし、慶斎の妻となった。
 彼女の唯一の趣味は博打。慶斎が身ぐるみはがされるのは、いくが負けてばかりだからなのである。
 慶斎は文句ひとつ言わず、博打に興じるいくを肴に、楽しそうに酒を飲む。

 仲のいい中年夫婦を中心に、やくざから足を洗って医師を志望する半五郎(夏木陽介)、彼を一心に慕うお咲(江利チエミ)、慶斎を江戸に呼び寄せたい明海(山村聰)らが加わって、ひと騒動持ち上がる。
 賭場の貸し元に志村僑、庶民の婆さんに菅井きんが顔を出し、華を添えている。
 笑いあり、涙ありの楽しい人情喜劇で、なによりロケが素晴らしい。
 いまやCGでしか再現できない、ひと昔前の貴重な日本の風土がある。

 喜劇役者としての森繁の良さが十分引き出されている。
 弟子にするはずだった半五郎は、長崎や上海で修業している間に最新の医術を身につけ、嶋田に戻った時には一人前の医師となっていた。江戸から求められるのは、もはや慶斎ではなくて半五郎だと知った時の慶斎の複雑な気持ちを、森繁は絶妙に演じる。
 やっぱり、名優だなあ~。

 夫を助けるために自らの貞操を賭けて勝負する原節子の真剣な眼差しにはぞくっとさせられる。
 原は洋風なイメージ強いが、山中貞雄監督『河内山宗俊』(1936)など、時代劇も結構似合ったのではないかと思う。
 山中が長生きしていれば、間違いなく原節子の別の一面が引き出されたであろうし、早すぎる引退も避けられていたかもしれない。
 どんな役をやっても原の品格だけは隠せないことが、ここでも証明されている。
 森繁とのコンビも意外にも合っている。 

 『山の音』に引き続き、山村聰が登場。
 どちらかと言えば地味な役者ではあったが、『東京物語』、『楊貴妃』、『人間の條件』、『瘋癲老人日記』、『日本のいちばん長い日』、『トラ・トラ・トラ!』など、幅広い役がこなせる真の名優であった。
 この人の特集を組んだら、その凄さは必ずや世人に伝わるだろう。

 個人的には、森繁久彌のふんどし姿よりも、川越人足のふんどし姿のほうがインパクト大であった。
 あれだけ沢山の男の裸のケツがスクリーンいっぱいに揺れ動くなど、いまや考えられない。(そう考えると、NHKの相撲中継って凄いな)
 令和天皇も学習院時代の水泳授業でふんどし体験しているはずである。
 三島由紀夫の最期もふんどし。
 武田久美子や宮沢りえのふんどしが社会現象になったこともあった。 
 日本のふんどし文化って奥深い。

 大阪万博を盛り上げるアイデアとして、日本の伝統文化をアピールするためにスタッフ全員ふんどし着用、来場者はふんどし神輿体験もできるという企画はいかがだろう? 

西大寺裸祭り
岡山西大寺の裸祭り
Mstyslav Chernov/Unframe/http://www.unframe.com/ - 投稿者自身による著作物,
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損