入学して半年がたった。
ここまでをふりかえる。
- 単位取得 2科目
文化財学演習Ⅰ、文化財学購読Ⅱ(いずれもスクーリング) - レポート合格 3科目
平安文学論、文化財学購読Ⅰ、美術史概論(いずれもテキスト科目)
レポート合格した3科目は、5月から始まる修得試験に合格することで、単位取得となる。
今年度(9月末まで)の目標として、スクーリング3科目、テキスト5科目の単位取得を掲げているので、いまのところ、まずまず順調に推移と言っていいように思う。
テキスト科目の筆記試験通過がどのくらい難しいかが、後半の鍵を握りそうだ。
最初に提出した平安文学論のレポートでいきなり「再提出」を喰らったものだから、この先どうなるものか危ぶんだけれど、冬のスクーリングで会った仲間たちの噂話から、平安文学論は「採点がなかなかきびしい」科目として知られているようなので、2回で合格はむしろ寿ぐべきことなのかもしれない。
現在、4科目目の民俗学に取り組んでいるところである。
ふりかえると、やはり、奈良でのスクーリングの愉しさが印象に強い。
自宅でのテキスト学習で新しい知識を得ることはもちろん面白いし、いろいろな文献を渉猟しながら幾度も推敲を重ねレポートを仕上げていく過程も、“物を書く喜び”を満たしてくれる。
が、斯界のプロフェッショナルによるライブ講義は、生涯を調査や研究や教育に捧げた人間の情熱や人となりや深い教養にじかに触れるぶん、学ぶことの喜びが大きかった。
これがZOOM講義ではやはり味気なかったろう。コロナ禍の学生たちにはお気の毒であった。(この先、同じような疫禍のないことを祈る)
また、全国から集まった仲間たちと同じ時と空間を共有できたことも、モチベーションを高めるのに役立った。
文化財歴史学に興味を持つ人の特性なのか、コロナ禍の“無言行”を引きずっているためなのか、いったいにもの静かな人たちの集まりという印象を受けたけれど、言動のはしばしに向学心の高さや人生経験、それに第二の人生を学びによって楽しもうという意気込みが感じられ、さすが平均年齢60歳の大学生たちと、親しみとともに頼もしく思った。奈良愛は言うに及ばず・・・。
もともと奈良の古い仏教文化をもっと知りたいなあ~というところから始まったチャレンジであるが、学べば学ぶほど、現地に通えば通うほど、奈良愛が高まっていき、いろんな遺跡や社寺や仏像を訪ね、その偉大さや美しさを味わい、来歴を調べ、謎の解明を自分なりに図りたくなる。
皇族や貴族から、僧侶や官僚や庶民、渡来人、奴婢にいたるまで、いにしえの日本人の“物語”に思いを馳せたくなる。
皇族や貴族から、僧侶や官僚や庶民、渡来人、奴婢にいたるまで、いにしえの日本人の“物語”に思いを馳せたくなる。
この半年でつくづく思ったが、ひとつのことを学ぶと、それに関連したことが気になって、調べたくなってしまう。
いまはインターネットという便利なものがあるから、ある程度の知識や情報は即座に手に入れることができる。(ただしネット情報は玉石混交で間違いも多いことは踏まえておく必要がある)
ネットのない時代はいちいち事典や本を探して調べなければならなかったのだから、ほんと学習者には便利な時代になったものである。
ネットのない時代はいちいち事典や本を探して調べなければならなかったのだから、ほんと学習者には便利な時代になったものである。
ネット情報だけでは飽き足らないものについては、関連本を検索し、図書館で借りることになる。(読みたい本が増えて困る

)



三角縁神獣鏡
ある程度の年齢になってから人文系を学び直すことの面白さは、数十年間の社会生活で身に着けた知識や雑学、経験や世間知、多角的なモノの見方が、それなりに生かされるところにあると思う。
十代の頃は、教科書の内容をテストに備えて覚えるだけで精一杯で、紙背にあるその時代を生きた日本人の価値観や死生観や喜怒哀楽を洞察するところまで、なかなか行かなかった。
歴史、国語(古文・漢文)、美術、音楽、地理、倫理社会などの教科も、それぞれが脳の別々の場所に収納されるばかりで、各教科で学んだことを連関させて、より包括的な視点から時代を見るには、脳のモジュールが未熟であった。
また、社会人となってから読んだ本、観た映画、旅の記憶、友人や年輩者から聞いた話、日々の仕事やプライベートにおける様々な経験などがタグとなって、歴史を机上だけの狭いものから、自らの人生上の出来事に照合させながら理解を深められる生きたドラマとして体験できる。
そうやって学んだ先に何かあるのか?――と聞かれたら、「別に何もない」と答えるほかないのだけれど、知的快楽は肉体的快楽や心理的快楽より、自分にとっても他人にとっても害が少ないのではなかろうか?
学びの旅には終わりがないし、たいして費用もかからないし、一人でもできるし、認知症予防にもなるので、老後の暇つぶしには最適だと思う。
学びの旅には終わりがないし、たいして費用もかからないし、一人でもできるし、認知症予防にもなるので、老後の暇つぶしには最適だと思う。
いまの望みは、奈良と京都の中間に家を借りて長期滞在し、心ゆくまで両都を探索することである。
――って、まずは単位をとらなけりゃな。
奈良大学キャンパス