2008年角川学芸出版
現在、奈良大学の通信教育で「民俗学」を勉強中。
ソルティがこれまでに読んだ民俗学関連の本は、柳田国男『遠野物語』、宮本常一『忘れられた日本人』、小松和彦『悪霊論 異界からのメッセージ』他、赤松啓介と上野千鶴子の夜這いをめぐる対談、六車由美『驚きの介護民俗学』、在野の研究家の筒井功を数冊。
興味の向くままに読み散らかしただけで、民俗学を体系的に学んだことはない。
ほぼイチから始めなければならない。
ほぼイチから始めなければならない。
まず必要なのは、「民俗学とは何か」を知ることである。
民俗学と言えば、柳田国男である。
柳田国男がどんな人物で、何を目指していたか、どんな研究を行ったかを知るのが先決と思い、「入門」を謳う本書を借りた。
鶴見太郎は1965年生まれの歴史学者。名前から推察される通り、評論家&哲学者の鶴見俊輔(1922-2015)の息子である。
図書館で借りた本なので文句をつけるのも大人気ないと思うが、「看板に偽りあり」であった。
入門レベルの内容では全然なかった。
むしろ、柳田国男や日本民俗学についてある程度の知識や見識を持っている中級者が、これまでに言及されていない新たな視点から、柳田国男を読み解くものになっているように感じた。
内容をちゃんと確認しないで本を借りる癖がどうも治らない。
とは言え、本書で取り上げられ分析されている柳田国男の一面、というより柳田を含む昭和時代の学者の言説を読み解く際の留意点は、知って得るところがあった。
つまり、戦前や戦時下における言論・思想統制の問題である。
柳田国男は「日本民俗学の父」という一般によく知られた顔をもつと同時に、東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)出身のインテリであり、農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)に勤めたお役人であり、貴族院書記官長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇りつめた高級官僚であった。
今の言葉で言えば、上級国民である。
太平洋戦争の始まる前には退職しているものの、体制側・権力側の人間とみなされてもおかしくはなかった。
当然、戦前・戦時下にあっては、大日本帝国の元高級官僚として、また、世間に名の知られた言論人として、戦意高揚に向けて国民を指導することが期待されたであろう。
柳田が当時の国策や大東亜戦争について内心どう思っていたのかはよく知らないが、国や軍部の方針を表立って批判することはなかった。
それをしたら、間違いなく、研究を続けられなくなったはずだ。
本書によれば、自らの頭で調べ考え判断することなく、政府やマスコミの流す情報を信じ込み、焚き付けられ、自ら戦意高揚に巻き込まれていった日本国民の事大主義を憂えていたようである。
だが、柳田は、国を批判し逮捕され転向を迫られた社会主義者の友人・知人らと交流を続けながらも、自身は特高に睨まれることなく精力的に研究や執筆を続け、戦前・戦中を無難に生き抜き、戦後になっても火野葦平のように「戦犯」の汚名を着せられることなく、学者として一家を成した。
本書によれば、自らの頭で調べ考え判断することなく、政府やマスコミの流す情報を信じ込み、焚き付けられ、自ら戦意高揚に巻き込まれていった日本国民の事大主義を憂えていたようである。
だが、柳田は、国を批判し逮捕され転向を迫られた社会主義者の友人・知人らと交流を続けながらも、自身は特高に睨まれることなく精力的に研究や執筆を続け、戦前・戦中を無難に生き抜き、戦後になっても火野葦平のように「戦犯」の汚名を着せられることなく、学者として一家を成した。
この器用な生き方、状況判断に優れたバランス感覚こそ、柳田国男の特質の一つなのではないかと思った。
ひとり柳田国男に限らず、戦前・戦中の学者の言説は、言論・思想統制というバイアスを抜きにして、読み解くことはできない。
戦後生まれで言論や表現の自由を当たり前に享受している我々は、つい忘れてしまいがちだけれど、権力や世間からの圧力が厳然とあった時代の人が残した言葉を読むとき、曖昧な言い回しや暗示的な表現の裏にある真意を汲み取らなければならないのである。
時代や政治体制との関係を離れて、その時代に生きた個人の発した言葉を読むことはできない。
そこにあらためて気づかせてくれた点で、本書を読んだ甲斐があった。
敗戦の翌年(1946年)、柳田は次のような文章を綴っている。
日本人の予言能力は既に試験せられ、全部が落第といふことにもう決定したのである。是からは蝸牛の匐ふほどな速力を以て、まづ予言力を育てゝ行かねばならぬのだが、私などはただ学問より以外には、人を賢くする途は無いと、思って居る。
鶴見はこれを次のように読み解いている。
少なくとも柳田にしてみれば、本来民俗学には単に現在の生活改善という域には止まらず、日常の営みの中から将来起こり得ることを推察するという隠れた重大な課題が含まれていた。具体的に言えば、それは自分たちがとる行動や態度によって、どのような影響が生まれるのか、その結果をあらかじめ想定できる力を養うことである。しかしアジア・太平洋戦争が生んだ惨禍という厳然たる事実を前にした時、明らかに日本人の「予言能力」はことごとく外れたものと受け止めざるを得ない。そしてそれは一部の指導者の責任にのみ帰せられるものではなく、広く日本人全体の懸念事項として考えて行かなくてはならない――柳田らしい暗示に富んだ言い回しだが、大略はその線にあるといってよい。
暗示に富んだ言い回し。
これが柳田国男の言説の特徴であるらしい。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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