2020年宝島社

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 秘仏とは、一般に、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が閉じられたまま祀られている仏像のことを言う。
 有名な秘仏――という言い方もなんだか矛盾しているが――を挙げると、法隆寺夢殿の救世観音、東大寺法華堂の執金剛神像、東大寺二月堂の十一面観音立像、唐招提寺の鑑真和上坐像、浅草寺の聖観音像、長野善光寺の阿弥陀三尊像、吉野山金峯山寺の金剛蔵王大権現など、枚挙のいとまがない。
 これらの秘仏は、特定の日に限って公開されるものから、例年期間限定で公開されるもの、数年~数十年に一度だけ公開されるもの、そして公開されるあてのないものまで、御開帳の度合いもいろいろである。

 基本、ソルティは秘仏文化には反対である。
 仏教は本来顕教であるべき(ブッダに握拳なし)なので、秘匿するという思想は“邪見”もいいところだと思う。
 まあ、そもそも仏像をつくること自体、「諸行無常・諸法無我」、「自灯明・法灯明」を説いたブッダの教えとはそぐわないことなのであるが――実際、仏滅後500年ほどは仏像はつくられなかった――そこは今さら言っても仕方ない。
 非公開の理由として文化財保護の観点が上げられることも多い。が、保存科学の技術が進んだ現在、仏像を公開しながら保護する方法はいくらでもあるはず。
 仏像は人の目に触れて日々祈られてこそ、本来の用途をなす。
 「ちょっとだけよ、あんたも好きね」みたいなカト茶的“じらし”方はいい加減やめてほしいところである。

執金剛立像
東大寺三月堂の執金剛神像
(毎年12月16日のみ公開される)

 本書でいう秘仏は、しかし、上記の“じらし仏”とは違う。
 つくられた過程がよくわからない、謎に包まれた、その存在を人に知られていない、無名の仏像というほどの意味である。 
 仏師修行中の青年・織田真人は、R大学で仏教研究をしている八代准教授に見込まれて、20年前に出版された作者不明の小冊子『秘仏探訪』に登場する仏像の謎を解き明かすべく、共に旅に出る。
 が、“見込まれた”のは、織田の仏師としての技量ではなかった。
 織田には、仏像に手を触れると、制作者の思いや制作過程を追体験できる不思議な能力があったのである。
 京都伏見の古刹に江戸時代から伝わる地蔵菩薩像。
 修験道のメッカ奈良県大峰山に秘された虚空地蔵菩薩像。
 アイヌコタンの土産物屋の奥にしまい込まれた野性味あふれる木彫りの仏たち。
 仏像のつくられた背景が織田の脳裏にダウンロードされるとき、それが秘仏である理由も、制作者が仏像に込めた思いも明らかになる。
 そして、いにしえの人々が抱いていた信仰の深さに触れることになる。

 仏像好きにはたまらないミステリー。
 こういった秘仏こそ、ありがたい。
 
 

おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損