地図で言えば、奈良の都の右下あたり。三重県に接している宇陀市。
その大半は森林である。
2日目は宇陀の古刹・室生寺と、同じ路線にある観音様で有名な長谷寺(桜井市)に足を延ばした。
両寺とも、満開の花に迎えられた。
2日目(4/26)晴れ
その大半は森林である。
2日目は宇陀の古刹・室生寺と、同じ路線にある観音様で有名な長谷寺(桜井市)に足を延ばした。
両寺とも、満開の花に迎えられた。
2日目(4/26)晴れ
09:45 近鉄大阪線・室生大野口駅
自転車レンタル
10:30 室生寺(2時間15分stay)
13:00 龍穴神社
13:15 吉祥龍穴
13:45 昼食「室生路」
14:30 室生大野口駅
自転車返却
自転車返却
15:00 長谷寺駅
15:20 長谷寺(90分stay)
17:15 長谷寺駅
18:00 近鉄橿原線・橿原神宮前駅
宿泊 橿原市内

近鉄大阪線・室生口大野駅

駅舎は高台にある。
駅前のレンタサイクル店で電動アシスト付自転車を借りる。
ここから素晴らしいサイクリングロードが始まる。

宇陀川に沿って新緑の中を行く。

渓谷美に立ち止まることたびたび。

約30分で室生寺到着。

太鼓橋から
参道には古風な旅館や食堂が並び、雰囲気バツグン。

室生寺
680年、天武天皇の勅命で修験道の祖・役小角が創建したと伝わる。
空海ゆかりの真言宗寺院である。
かつて女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」と呼ばれた。

仁王門

石楠花(しゃくなげ)の見頃であった

ツツジ科ツツジ目
あまりの美しさから修験者が錫杖(しゃくじょう)を投げて修行を忘れたことから錫投げ(シャクナゲ)と呼ばれるようになった――という謂れは今ソルティが作った出鱈目である。

ここから奥の院まで心臓破りの石段が始まる。

弥勒堂
鎌倉時代の杮葺きのお堂

金堂
平安時代初期のお堂
拝観料を払って内陣を拝み、スマホ撮影することができた。

国宝・釈迦如来像、薬師如来像(右)、文殊菩薩像(左)
平安時代初期のカヤ製の一木造

十二神将より2体(鎌倉時代)
武器を持っていないので正体が分からず。

本堂
室生寺本尊の如意輪観音菩薩像(平安時代)が安置されている。
カヤの風合いが残る素朴なタッチの像。


五重塔
平安時代初期の建立。五重塔としては法隆寺の次に古い。
丹塗りの組物が緑に映えて美しい。

奥の院まで、数百段の杉木立の石段が続く。
もう少し時期が遅ければ、汗だくになるところ。

清水の舞台のような建物が見えれば終点

内陣に黄金の位牌がずらりと並ぶ位牌堂であった

奥の院には、ほかに大師堂、御朱印をもらえる社務所がある。
位牌堂の周囲の欄干に腰を下ろせる場所がある、
宇陀の風に吹かれて一服しつつ、高野に思いを飛ばすのもオツ。
「わが身をば 高野の山に とどむとも 心は室生に 有り明の月」(伝・空海詠)

位牌堂に飾られている地獄絵

下山して宝物殿へ。
ここには素晴らしい仏像がある。
美しい色彩と模様の光背をもつ女性的で優美な十一面観音菩薩(約196cm)、
ダイナミックな表情とポーズがハートを鷲掴みする十二神将、
国宝・釈迦如来坐像は奈良国立博物館「超国宝展」に

本坊・慶雲殿

街の喧騒を離れた自然のふところで、命の洗濯ができる素晴らしいお寺であった。

自転車で龍穴神社へ10分。

龍穴神社
水の神・高龗神(たかおかみのかみ)を祀る。
水の神・高龗神(たかおかみのかみ)を祀る。
奈良時代から平安時代にかけて雨乞いの神事が営まれた。
パワースポットとして人気を集める。
そこからさらに山道を登ること15分。
パワースポットとして人気を集める。
そこからさらに山道を登ること15分。

吉祥龍穴
ここが龍穴神社の奥の院、パワーの源である。
電動アシストでなければ厳しい登りであった。

禁域の滝

沢のほとりに建つ遥拝所。
なにやら熱心に祈願している先客がいた。

竜神が棲むという龍穴。これがご神体。
このあたりの空気は清浄にして崇高なものがあった。

里に下りて遅めの昼食
「室生路」さんはメニュー豊富。

黒毛和牛たっぷりの肉うどんが旨かった。
コーヒーの無料サービスもあった。
御馳走様!

近鉄大阪線・長谷寺駅へ。
地元民らしき男性に長谷寺へ行く近道を教わった。

お店や旅館の並ぶ参道はつい寄り道、買い食いしたくなる。
・・・しました。

昔ながらの旅館が並ぶ。
紫式部もこの参道に泊まったのだろう。

長谷寺
727年、聖武天皇の勅願により十一面観音菩薩を祀ったのが長谷信仰のはじまりと言われる。
真言宗豊山派の総本山でもある。
(結局、本日は弘法大師参りってことか・・・)

登廊(のぼりろう)
仁王門から本堂まで399段の屋根付き石段が続く。
室生寺は日本人参拝客のみだった。ここは外国人も多かった。

牡丹の見頃であった。

小倉百人一首を選んだ藤原定家と父・俊成の塚があった。
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ」(定家)
(夕なぎの松帆の浜辺で、いくら待っても来ない人を待っている私は、浜で焼いている藻塩草のように身をこがしているのです)

本堂
1650年、徳川家康により造営された。

本堂から西に望む丹色の五重塔が、緑の中に美しい。
1954年建立。

本尊・十一面観世音菩薩立像
10mを超す楠製の巨大像に圧倒された。
1538年、東大寺僧実清作と伝わる。(紫式部はこれを拝んでいない)
内陣に入って巨大な爪先に触れながら、下から見上げることができる。
ジャイアント観音と言うにふさわしい迫力。

大手毬の群生
子手毬(コデマリ)の兄貴分かと思ったが、実は別系統。
コデマリはバラ科、オオデマリはスイカズラ科である。


牡丹園の向こうに本殿を望む
日本的な美の粋。

近鉄橿原線・樫原神宮前駅へ。

駅から徒歩10分強の宿にチェックイン。
周囲に畑が広がり、畝傍山を東に望む里山ロケーション。

ふつうのアパートの一室を宿として活用している。
家にいるような落ち着きと家財が揃った便利さ。
管理人さんの顔を見ることなくチェックイン・アウトした。
(訪ねて来られたが、ちょうど風呂上がりで出られなかった)

風呂上がりに付近を散歩。
古代飛鳥の人々も同じ夕焼けを見たであろう。
つづく。