2024年河出新書
天平宝字元年(757年)に施行された『養老律令』には、次のような年齢区分が記されている。
3歳以下 ・・・・・黄(おう)
4歳~16歳 ・・・・・小
17歳~20歳 ・・・・中
21歳~60歳 ・・・・丁
61歳~65歳 ・・・・老
66歳以上 ・・・・・耆(き)
さらに、妻のいない61歳以上の男を「鰥(かん)」、子供のいない者を「独」と言い、国家による救済対象の候補とみなしていたそうだ。
ソルティは「老」にして「鰥」にして「独」ということになり、律令制度的にはかなり厄介な存在ということになる。
むろん、老いて動けなくなったときに世話してくれる者が周りにいないからだ。
現代は介護保険制度というものがあるけれど、施設に入れるくらいの財産や年金は持っていないので、やっぱり厄介な存在であることに変わりない。
現代は介護保険制度というものがあるけれど、施設に入れるくらいの財産や年金は持っていないので、やっぱり厄介な存在であることに変わりない。
厄介をかける前にピンピンコロリとあの世に逝ければいいが、こればかりはままならない。
せいぜい健康に気をつけて、認知症予防につとめるしかない。
本書は、「日本は老いと介護にどう向きあってきたか」という副題が示すように、古代から江戸時代までの日本人の老いと介護の実態について、古典文学や古文書や古記録をもとに概観し、まとめたものである。
著者は1976年生まれのフリーライター。主に高齢者福祉分野の記事を書いている。
こういう視点の介護関係本あるいは歴史本で、一般向けにやさしく書かれたものははじめて見た。
日本介護史という新ジャンルの登場である。
日本介護史という新ジャンルの登場である。
ソルティは高齢者介護分野で10年以上働いている。
が、このジャンルについて考えたことがなかった。
が、このジャンルについて考えたことがなかった。
江戸時代以前の日本人が、介護が必要となるほど長生きしているというイメージが湧かなかったからである。
俗に「人生50年」と言われたように、あまりヨボヨボにならないうちに亡くなるか、長生きしたとしても、自力で動けなくなってから亡くなるまではアッと言う間で、それほど周囲の手をわずらわせなかったのではないか、と勝手に思っていた。
昭和時代の時代劇で、長屋で寝たきりの父親に孝行娘がお粥を食べさせるシーンがよく出てきた。
父 「ゴホゴホゴホ。すまないねえ、おまえ」
娘 「それは言いっこなしでしょ、おっとさん。さ、口開けて」
父、布団で涙を隠す。
大方、父親の命は長くなかった。
あるいは、『楢山節考』に描かれたような、老いて動けなくなり足手まといになった親が、口減らしのため、息子に背負われて山奥に捨てられる、いわゆる「姥捨て」の風習。
これは現代で言えば、介護放棄あるいは介護殺人にあたる。
「姥捨て」が実際にあったのかどうか知らない。

本書によれば、古代・中世の説話や江戸時代の武士の日記などに、老いた親や縁者を介護した者の記録が多数見られるようで、やはりいつの時代でも、老いと介護はたいへんな問題だったのである。
とくに、筆まめな武士たちのおかげで詳細な記録が残っているがゆえに再構成しやすい江戸時代の介護の様相が興味深い。
「看病引」、「看病断(かんびょうことわり)」と呼ばれる介護休暇制度があったとか、主要な介護者となったのは女性(妻や娘)より男性(息子)のほうが多かったとか、介護が必要となる病因としては眼病(失明)・中風(脳卒中)が多かったとか、認知症もあったとか、裕福な家の場合は外部から介護人(いわゆるヘルパー)を頼んでいたとか、懸命に親を介護した息子や娘を幕府や藩が表彰する仕組みがあったとか、「へええ~」と思うものが多かった。
本書の肝は、古代~中世期と江戸時代のそれぞれにおいて、現役世代が親をはじめとする近親者を介護する際の動機を分析している点である。
つまり、どんな理由や価値観から人は介護するのか。
著者は次のような理由を上げている。
【古代~中世】
- 「情」の論理・・・・親に対する愛情や感謝
- 「儒」の論理・・・・儒教の「仁」や「孝」の教え
- 「仏」の論理・・・・仏教の影響。「功徳を積む」「縁を大切にする」「極楽往生&地獄回避」
- 「互酬」の論理・・・親の遺産目当てのギブ&テイク
【江戸時代】
- 「情」の論理・・・・親や主人に対する愛情や感謝
- 「家」の論理・・・・家制度による縛り
- 「地域社会」の論理・・・・五人組など村社会による縛り(連帯責任)
- 「儒」の論理・・・・幕府や藩による儒学・朱子学の教え
自然発生的な家族愛や遺産がらみの欲得ずくだけでなく、儒教や仏教や制度といった外的要因がその時代の価値観を形成し、人をして「介護に向かわせる」というのはわかりやすいし、納得がいく。
欧米であれば、「愛」の論理を説くキリスト教の影響が非常に大きい。
ひとつ付け加えるならば、日本人にとっては「世間体」こそが、もっとも大きな行為(あるいは非行為)につながるインセンティブだったのではなかろうか。
年老いた親の世話をしないのは「世間体が悪い」、「世間に顔向けできない」ってやつだ。
「だった」と過去形にしたのは、介護保険制度が始まってからは、親の介護はプロの手に任せるのが普通の感覚になりつつあるからだ。
「情(家族愛)」や「儒の精神」は美談につながりやすく、今でも保守主義者は推奨したがる。
けれど、現場で働いているとわかるのだが、介護する者とされる者との間に生まれる共依存や強い義務観念からの「抱え込み」こそが、介護殺人などの悲劇につながることが多い。
関係を外にひらく――これが重要だ。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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