日時: 2025年6月1日(日)15時~
会場: すみだトリフォニーホール 大ホール(錦糸町)
曲目: G.マーラー: 交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノ: 中川郁文
ソプラノ: 冨平安希子
ソプラノ: 三宅理恵
アルト : 花房英里子
アルト : 山下裕賀
テノール: 糸賀修平
バリトン: 小林啓倫
バス : 加藤宏隆
指揮: 冨平恭平
合唱: Chorus HA'MON、ジュニア合唱団・Uni
奈良大学通信教育の試験を終えた自分へのご褒美として、この贅沢なコンサートのチケットを用意しておいた。
重荷が取り払われ、軽くなった心と頭で、ファウストと一緒にいざ天上に赴かん!
冨平恭平&オーケストラ・ハモンは、昨年4月に同じマーラーの交響曲第2番『復活』を聴いている。
2年続けて、大ホールを借りての独・合唱付き大曲に挑むチャレンジ精神と体力が素晴らしい。
1階席の1/3(1/2か?)ほどを占める大舞台に、大編成のオケと、総勢200人を超える合唱隊と、8人のソリストが立ち並ぶさまは、圧巻であった。
ソルティは、3階の最後尾に陣取った。
演奏は輝かしく、オケも歌も言うことなかった。
とくに、テノールの糸賀修平が良かった。
高音域がやたら多く、宗教的な熱っぽさと敬虔さが求められる難しいパートを、張りのある美声で歌い切った。
その声はホールの後ろの壁までしっかり届いた。
この曲をライブで聴くのは2回目。
前回は、齋藤栄一指揮&水星交響楽団で、場所は同じすみだトリフォニーホールであった。
正直言うと、ソルティはまだこの曲の真価に目覚めていない。
どうもツボにはまらないのだ。
他のマーラーの交響曲にくらべると、薄っぺらい気がして仕方ない。
オケと合唱の規模のデカさや使われる楽器の多彩さ、それにゲーテ『ファウスト』のクライマックスを材としたドラマ性は、それだけで聴衆を惹きつけるスペクタクルに満ちている。
が、それがかえって、「俗受け狙い」「虚仮おどし」という印象をも与えずにはいない。
が、それがかえって、「俗受け狙い」「虚仮おどし」という印象をも与えずにはいない。
とくに、ソルティは、第1部の讃美歌が「讃歌のための讃歌」といったベタっぽさ、「仏つくって魂入れず」的な上っ面感を聴きとってしまう。
単に自分がクリスチャンではないからだろうか。
第2部の『ファウスト』はソルティの“青春の一冊”なので、感動しないわけないのだが、残念ながらドイツ語が分からない。
ベートーヴェン『第9』や、マーラーなら第2番『復活』あるいは第3番であるならば、合唱部分のドイツ語が分からないことは、曲を観賞する上で特段ネックにならない。オケと歌唱が融合して、歌声もまた楽器の一つのように聴けるからだ。歌詞が理解できないことは鑑賞上のマイナスにならない。
しかるに、『千人の交響曲』の第2部は歌こそが主役であって、『聖書』や『ファウスト』はもちろん、ドイツ語の微妙なニュアンスも含めて歌詞が分からないことには、容易には入り込めない世界を作っているように思われる。
つまり、この曲の真価を知るためには、ドラマの理解が前提として必要なのではないかと思うのだ。
そのため、紗のカーテンを通して曲を聴いているかのような感がどうにも拭いえないのである。つまり、この曲の真価を知るためには、ドラマの理解が前提として必要なのではないかと思うのだ。
キリスト教世界観を理解することなしに、『聖書』も『ファウスト』も読んだことなしに、この曲に感動できる人は幸いである。