2014年イギリス、アメリカ
115分
エニグマ

 「エニグマ(enigma)」という言葉を聞くと、ドイツのニューエイジ系ミュージックか、イギリスの作曲家エドワード・エルガーの「エニグマ変奏曲」を想起するソルティは、平和ボケしているか、無知か、あるいはその両方なのだろう。
 エニグマとは、ナチスドイツが開発し、本部からの指令を各部署に送るのに使った電気機械式暗号機の名前である。
 語源は古代ギリシア語で「謎めいた言葉、なぞなぞ」という意味らしい。

 エニグマは、ドイツ人電気技術者のアルトゥール・シェルビウス(1878-1929)によって1918年に発明された。
 作り出せる文字の組み合わせは、理論上最大1500億×10億パターンというから驚く。
 イギリス、アメリカ、フランス、ポーランドなど連合国は、ドイツ軍の作戦を事前に見破るべく、エニグマの解読にやっきになった。
 この難事業に取り組み、見事成功したのが、イギリスの数学者で「コンピュータの父」と言われるアラン・チューリング(1912-1954)である。
 本作は、アラン・チューリングの生涯と大戦中の活動を描いた、実話をもとにした映画である。

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Tomasz MikołajczykによるPixabayからの画像

 天才科学者の生涯をテーマにした『テスラ エジソンが恐れた天才』(2020)や『オッペンハイマー』(2023)に似ている。
 天才ゆえの孤独や生き難さを描いている点では前者のニコラ・テスラに近い。
 チューリングもまたテスラ同様、子供の頃からアスペルガー症候群の傾向を示し、周囲の人間たちとの齟齬に苦しみ、異端者であることを宿命づけられた。
 チューリングの場合は同性愛者であることも大きかった。
 1967年に廃止されるまで、イギリスには同性愛を罰する法律いわゆるソドミー法が存在し、オスカー・ワイルドの例のように、男色行為が発覚すれば逮捕・投獄のリスクがあった。
 「普通」に生きることができなかったのである。

 一方、天才の戦争協力を描いている点では、「原爆の父」と言われるオッペンハイマーに近い。
 マンハッタン計画の成功(=広島・長崎への原爆投下)がアメリカの勝利を決定づけたように、1939年のエニグマ解読は、連合国側の戦況有利をもたらし、終戦を2年早め、失われたかもしれない1400万の命を救ったという。
 両者は国の英雄なのだ。
 が、オッペンハイマーの功績が華々しく讃えられたのにくらべ、戦時中のチューリングの仕事は最高機密事項とされ、70年代半ばまで公にならなかった。
 数学に関するいくつかの論文は学界において評価されるも、世間的には、同性愛者という“烙印”を押され自殺した哀れな男――だった。
 むろん、「コンピュータの父」と称されることになるとは、当時誰も想像しなかったろう。
 天才は忘れた頃にやってくる。

アラン・チューリング
アラン・チューリング

 現在大ヒット上映中の映画『国宝』では、芸に憑りつかれた男たちの生きざま・死にざまが描き出されているが、中でも田中泯が演じた人間国宝の老女形の芸への執心が凄まじかった。
 芝居や美術や文学や音楽といった芸術の世界でも、物理や化学や数学といった科学の世界でも、時代を一新してしまうほどの真の「天才」たちは、世間一般的な幸福な人生とは無縁のことが多い。
 たとえば、モーツァルト、ベートーヴェン、ゴッホ、カラヴァッジョ、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、マリア・カラス、美空ひばり、ニジンスキー、三島由紀夫、ガリレオ、ボルツマン・・・e.t.c.
 生まれつき圧倒的な「天才」を持ってしまった人は、その「天才」に奉仕する人生を否応なしに歩まされてしまうのだろう。
 いわば、自らの才能の奴隷になってしまい、人生が犠牲になる。
 三島由紀夫の極端に“非文学的”な最期も、自分を束縛してきた「天才」から逃げ出そうという決死の試みと解釈することも可能かもしれない。

 アラン・チューリングを演じるベネディクト・カンバーバッチが、抜きんでた演技力を見せている。
 『SHERLOCK(シャーロック)』の印象が強いが、どんな役でもこなせる縦横無尽の役者である。
 考えてみれば、シャーロック・ホームズもまた、アスペルガー系の異端の天才である。
 ホームズにおけるワトソンのような理解者が、チューリングにもいたら良かったのだが、現実はフィクションとは違って無情なものである。



  
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損