2023年日本
126分
大ヒット上映中の『国宝』で主人公(吉沢亮)の子供時代を演じ、鮮烈なインパクトを残した黒川想矢のデビュー作である。
脚本を坂元裕二、音楽を坂本龍一、撮影を近藤龍人が担当している。
地方の小学校を舞台に、いじめや教師の暴力やモンスターペアレントや親の虐待、そしてセクシャルマイノリティの児童の存在など、非常に今日的なテーマが描かれている。
トニー・ケイ監督『デタッチメント 優しい無関心』(2011)、ルーカス・ドン監督『クロース』(2022)との相似を思ったが、出来栄えでは残念ながらこの2作に劣る。
マイナス点の一つ目は、後味の悪さ。
セクシャルマイノリティである(らしい)2人の少年、麦野湊(演・黒川想矢)と星川依里(演・柊木陽太)の生き難さを物語の軸にしているのだが、最後に少年たちは嵐の夜に崖崩れにあって亡くなってしまう。
ラストシーンでは、光あふれる美しい世界に生まれ変わった少年たちが、この世の束縛や偏見を脱して自由に草原を走り抜ける。近藤龍人の繊細で鮮やかなキャメラと坂本龍一のノスタルジックな音楽を背景に。
それがあたかも、「セクシャルマイノリティはこの世では幸福に生きられない」というメッセージのように受け取れる。
希望が感じられず、当事者の一人として気持ちが沈んだし、怒りも覚えた。
ところが、ウィキ『怪物』によれば、是枝監督のつもりとしては2人は死んだのではなく、無事に生き延びたのだという。
それなら、もっと誤解されないような描き方をすべきであった。
2人が生き延びたのか亡くなったのか、この違いは本作の鑑賞後の印象を決定的に変えるものなので、そこが誤解されるような作りである点において、失敗と思う。
二つ目のマイナス点は、構成にある。
本作は3章仕立てになっている。
第1章は、湊の母親・早織(演・安藤サクラ)の視点。
早織は、湊の不可解な振る舞いに疑問を抱き、その原因が担任教師の保利(演・永山瑛太)から受けた理不尽な暴力にあると思い込む。学校や教員という“怪物”と闘う。
第2章は、教師である保利の視点。
新任の学校で張り切る保利は、子供たちの不可解な言動に振り回されているうちに、いつの間にか暴力教師の汚名を着せられ、解雇されてしまう。保利にとっては、子供たちが“怪物”として映る。
第3章は、湊の視点。ここで、第1部と第2部で起こっていたことの真実が明らかにされる。湊はクラスのいじめられっ子である同性の依里を好きになったが、そのことを誰にも言えず、ひとり苦しんでいた。依里もまたセクシャルマイノリティで、父親から「おまえの脳は豚の脳だ」と日々虐待を受けていた。他の男子と違う自分たちを、湊と依里は“怪物”と思い、「生まれ変わって違う自分になりたい」と思っている。
話がわかりづらいのは、3つの章が時間的に重なっているからである。
つまり、どの章も、ビル火災のシーンからスタートし、音楽室で湊と校長先生(演・田中裕子)がラッパを吹き鳴らすシーンを経て、嵐の夜のシーンで終わる。
章が変わるたび、時間が巻き戻される。
だが、一度の鑑賞でこの複雑な構造に気づくのが難しいのである。
おそらく是枝監督のつもりでは、ビルの火災という目立つシーンによって章の区切りを示す、つまり時間がそこで巻き戻ったことを観る者に伝えたつもりなのであろう。
が、ソルティは第2章のはじまりのビル火災を、放火魔――どうやら犯人は依里らしいのだが――による第2の放火と勘違いし、しばらくは時間が巻き戻ったことに気づかなかった。
ここは、たとえば、登場人物の会話を入れるなどして、同じシーンの再現であることを明確にしてほしかった。あるいは、日時のキャプションを入れれば一発で分かる。
わかりにくい演出をすることが映画として高尚、と勘違いしているのではないか。
同じ物事でも視点が変われば異なった姿に映る、おのれの価値観や思考や感情に囚われている者の目には、ありのままの真実が見えない。
その誤解と無理解と鈍感さの厚い壁に圧されて、弱い者の生きる力は損なわれていく。
早織は「ふつうに」良い母親、保利は「ふつうに」良い先生で、一見なんの問題もない。
だが、早織や保利をはじめとする世間一般が求める「ふつう」、「幸福な結婚」、「男らしさ」という言葉が、セクシャルマイノリティである湊や依里を苦しめる。
人は自分でも気づかないうちに、誰かの「加害者」になっている。
このテーマ自体は、是枝監督の深い世界認識を表していて、共感できる。
だが、LGBTテーマが浮上するのは、ほぼラストに近い第3部の半分くらいである。
ここでやっと、湊の抱えていた悩みや苦しみ、湊と依里の不可解な関係の秘密が判明する。
観る者は、この時点に至ってはじめて、第1部と第2部において描かれた数々の謎、いわゆる伏線を、遡って読み解くことになる。
ここがやはり失敗していると思う。
本作は2回、3回と繰り返し注意深く観ることによって、張られている伏線を読み解き、湊や依里を始めとする登場人物の置かれている状況や気持ちを、より深く理解できるつくりになっている。
だが、普通、映画を見る人は、2回は観ない。
1回の鑑賞で理解できない映画は、「なんだかよくわからなかった」で終わる。
なので、せっかく張った伏線が無駄になってしまう。
ソルティの例で言えば、湊と依里がセクシャルマイノリティであると分かった上で臨んだ2度目の鑑賞によって、第1部と第2部にばらまかれている母親や教師のセリフ「ふつう」、「幸福な結婚」、「男らしく」が、湊や依里を傷つけていたのだと理解できた。
なんの前提知識もない1回の鑑賞で、そこまで見抜くのは大方の鑑賞者にとっては至難のわざであろう。
たとえば、物語の最初のほうで、湊と依里のセクシャリティと関係性を観る者にある程度悟らせてしまえば、より深い物語理解が可能になったと思う。
3章仕立ての謎解きのような構成が、果たして必要だったのか。
『クロース』の単純さに軍配が上がると思うゆえんである。
昨今の是枝監督は、国際的知名度ゆえに“力み過ぎ”なように見受けられる。
賞という名の“怪物”に押しつぶされないことを願う。
役者では、黒川想矢と柊木陽太が素晴らしい。
『誰も知らない』の柳楽優弥といい、『海街diary』の広瀬すずといい、磨けば光る原石を見つける是枝監督のリクルート能力は凄い。
安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子は、相変わらず卓抜な演技をみせている。
が、永山と田中の演じるキャラの性格設定が不自然で、役者が可哀想。
が、永山と田中の演じるキャラの性格設定が不自然で、役者が可哀想。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損

