2016年かもがわ出版
本書が刊行された2016年は、安倍晋三政権が勢いに乗っていた頃である。
連戦連勝の選挙結果に物を言わせ、特定秘密保護法(2013年12月)・集団的自衛権行使容認(2014年7月)・安保関連法(2015年9月)を成立させ、それまで水面下に亀のごとく潜んでいた日本会議が表舞台に浮上し、憲法改正に向かって突き進んでいた。
その勢いはコロナ感染爆発により一時停滞したものの、2022年7月10日の参院選での与党の圧倒的勝利で、もはや誰にも止められないものになると思われた。
そのとき、誰が2025年8月現在の日本の政治状況を予想できただろうか?
安倍元首相が暗殺され、安倍派が瓦解するとは!
2024年10月の衆議院選挙でも、2025年7月の参議院選挙でも自民党が票を失い、与党が過半数割れするとは!
2024年10月の衆議院選挙でも、2025年7月の参議院選挙でも自民党が票を失い、与党が過半数割れするとは!
日本の右派がかくも混乱を極めるとは!
いまの政治状況は、本書が書かれた時とはまったく違っている。
かと言って、本書の内容が古くなって、時代遅れになったかと言えば、そんなことはない。
日本会議は自民党の凋落とは別に巌として存在し、「誇りある国づくり」を合言葉に、憲法改正を目して活動を続けているからである。
「日本会議」史観を軸として、現在分散・迷走している右派が“ポスト安倍”のもと再結集される可能性は常にある。
「日本会議」史観とはなにか?
日本会議は、歴史的に見ると、その前身となる二団体も含め、歴史観を結集の軸としてきました。戦後の日本で主流となった歴史観を自虐史観、東京裁判史観と批判し、明治以降の日本の歴史を全体として「栄光の歴史」として描くところに、その歴史観の特徴があります。なお、自虐史観という用語は特定の価値判断を含んでいますので、引用箇所でない限り、今後は「罪責史観」と呼びます、日本会議に代表される歴史観はよく「歴史修正主義」と名づけられますが、これも決めつけ的な色合いが強いので、「栄光史観」とするか単に「日本会議」史観とします。(本書より、以下同)
日本会議が誕生したのは、平成9年(1997)のことである。
それ以降、日本の政治や言論や市民運動の場において、「日本会議」史観と罪責史観の争いが繰り広げられてきたことは周知のとおり。
著者の定義にしたがえば、おおむね、次のように二項対立されよう。
- 「日本会議」史観=栄光史観=歴史修正主義=憲法9条改正=2015年安倍談話=右派
- 罪責史観=自虐史観=東京裁判史観=護憲=1995年村山談話=左派
さらに言えば、左派は「日本会議」史観を「オヤジ慰撫史観」と嘲笑し、右派は「罪責史観」を「反日思想」と批判した。
ソルティの記憶では、民主党が政権にいた2010年初め頃までは、罪責史観が「日本会議」史観を圧倒していた。
ソルティの記憶では、民主党が政権にいた2010年初め頃までは、罪責史観が「日本会議」史観を圧倒していた。
が、東日本大震災が起こり、民主党政権がにっちもさっちもいかなくなって失墜し、第2次安倍政権に取って代わられてから、「日本会議」史観が次第に優勢になっていった。
2015年の安倍談話の中の「先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」は、まさに国として「罪責史観を払拭する」という決意のように聞こえた。
もちろん、その背景には日本の右傾化――右派にしてみれば「行き過ぎた左傾化からの正常化」――がある。
本書は、「日本会議」史観を批判する目的で書かれている。
著者の松竹伸幸について、ソルティはどんな人物か知らなかった。
本書のプロフィールには「ジャーナリスト、編集者、日本平和学会会員」としか書かれていないので、左派寄りのライターなのかと思っていた。
読み終えてから、ネットで検索して、驚いた。
松竹は、生粋の日本共産党員だった!のである。
「だった」というのには曰くがあって、2023年に松竹が書いた『シン・日本共産党宣言』において、「党首公選制導入、自衛隊合憲・日米安保条約堅持」を主張したことが党首脳部から分派活動とみなされ、党の規定を踏みにじる重大な規律違反とされ、除名処分を受けたのである。その後、松竹は、除名処分は違法だとして党を相手に裁判を起こした。
そういうニュースが巷を騒がせたことはうっすらと覚えていたが、当人の名前までチェックしていなかった。
本書執筆時の2016年はもちろん、松竹は共産党員だったわけで、極めつけの左派と言っていい。
ただし、上記の主張やその後の顛末に見られるように、左派には違いないが、周囲に流されずに自分なりの意見をもち、かつ堂々と主張できる気骨ある男なのだろう。
「日本会議」史観に対する本書の批判も、これまで左派がやってきたような“罪責史観の上に立って栄光史観の誤りや驕りを糾弾する”という方法をとらず、二項対立を超えたところに第三の道を探ろうとしている。
それが本書の題名の由来であり、ソルティが本書を読もうと思った理由であった。
もしプロフィールに「共産党員」と書いてあったら、中身は読むまでもないと先入観で断じ、手に取らなかったかもしれない。自戒、自戒。
松竹は、以下の5つの論点について、「日本会議」史観の正否を吟味し、批判している。
- 植民地をめぐる問題
「日本会議」史観 ⇒ 日本が朝鮮半島を植民地にしたのは、内容的にも法律的根拠においても正当なものであった。謝罪の必要はない。 - 侵略をめぐる問題
「日本会議」史観 ⇒ 先の大戦は自衛のための戦争であり、侵略ではない。我が国のみが一方的に断罪されるいわれはない。 - アジア解放という名分をめぐる問題
「日本会議」史観 ⇒ 大東亜戦争は、欧米列強の支配からアジア諸国を解放することを目的とした。感謝されこそすれ、謝罪の必要はない。 - 東京裁判(極東軍事裁判)の評価をめぐる問題
「日本会議」史観 ⇒ 東京裁判は「イカサマな手続き」で行われた「勝者の裁き」であり、不当なものであった。 - 戦争責任と個人賠償の問題
「日本会議」史観 ⇒ 日本はすでに戦争責任を果たし終えており、個人賠償の必要も、これ以上の謝罪の必要もない。
特記すべきは、松竹は上記の「日本会議」史観を必ずしも否定していない点である。
つまり、
- 日本の植民地支配は、当時の国際法の概念に照らし合わせて、有効であった。
- 「侵略」という概念が国際的に定義されたのは戦後になってからである。日本の対中戦争、対米戦争を、現時点から遡って「侵略」と定義するのはおかしい。
- 日本のアジア進出がアジア諸国独立の契機となった。
- 東京裁判は「勝者の裁判」であり、恣意的で一方的な断罪である。
- 日本は法的には戦争責任を果たし終えている。
といった点について、日本会議の言い分を是認している。
そこを厳密な歴史考証によりYesと認めたうえで、「日本会議」史観の批判を展開しているのである。「罪責史観」派の批判とは一味も二味も違っている。
詳しい内容は本書を読んでほしいところだが、たとえば、2の「侵略」の定義をめぐる問題について、こう述べている。
侵略の定義が、それを犯罪として裁くだけのものとして最終的に確定するのは、やはり2010年です。しかし、その定義の内容は、1974年の国連総会決議で決まったものとほぼ同じで、早くから国際社会では常識となっていたわけです。同時に、その定義の核心部分は、日本との戦争がまだ続いている最中に開催されたサンフランシスコ会議において、日本やドイツの侵略政策の再現を許さない決意のもとで、国際社会で合意されたということです。そういう経過で侵略の定義ができたのですから、日本会議の面々が、満州事変にはじまる対中戦争、41年からの対米戦争が侵略戦争であることに異議を差し挟むのは、構造的に無理なのです。日本がやった軍事行動を侵略と定義したようなものですから、動かしようがありません。
つまり、そもそも現在の「侵略」の定義――他国の主権、領土保全または、政治的独立に対する一国による武力の行使――をつくるきっかけをつくった大本は日本なのだから、その日本が「日本の軍事行動は侵略ではなかった」といまさら言っても通用しない、ということである。
たしかに、「法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されない」という法の不遡及の原理はある。「法律なくして刑罰なし」である。
だが、その行為があらたな法律や刑罰を生むきっかけとなるほど、被害が甚大で、人々に衝撃を与え、社会的な影響力も深甚なものであるとき、行為者がなんらかの形で裁かれることは免れ得ないであろう。
少なくとも、「その時はまだそれを罪とする法律がなかったのだから、自分はその罪名に当たらない」と当人が主張するのは、盗人猛々しいとしか思われまい。
日本の戦争というのは、いわば、人類の認識を飛躍させる跳躍台のような役割を果たしたということなのではないでしょうか。量から質への転化の起爆剤となったと表現すればいいでしょうか。少しずつ侵略を犯罪として捉える方向に変わっていくなかで、日本とドイツの侵略によって世界で5000万人が犠牲となる現実を目にした人類が、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」として、法律と実態の乖離を一挙に乗り越えたわけです。そして、人類の飛躍が刻印されたものとして国連憲章51条で侵略が定義され、東京裁判をすることになった。
これはソルティが「これまで考えたことのない視点」であり、侵略か否かの不毛な二項対立を相対化するひとつの世界線(パラダイム)を提供してくれるものであった。
アメリカでも日本でも、SNSを中心に右派v.s.左派という対立が激化し、国が分断されるリスクが高まっている現在、そして、消滅した安倍派(自民党右派)に替わり、どの政党が日本会議と結びつくことになるのか気がかりな現在、新たな世界線を切り開く言説の提示は、その有効性の評価は別にしても、意義あることと思う。
元共産党員という固定観念をはずして、読むべき価値がある。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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