1963年大映
102分、白黒

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 竹細工を生業とする青年喜助(演・山下洵一郎)と遊廓出身の玉枝(演・若尾文子)のはかなく哀しく“清らかな”恋を描く。
 原作は水上勉の同名小説。

 まずもって讃えるべきは宮川一夫によるモノクロ撮影。
 水墨画のように清潔で枯淡なタッチで描き出される、昭和初期の日本の地方や遊廓の風景が美しい。
 西洋の白と黒が、光と影、善と悪、神と悪魔の二項対立の象徴として用いられるのにくらべ、日本の白と黒は、物を対比させるより、むしろその中間の淡さを抽出するために用いられているようなところがある。
 だから、全体的には青墨のような淡いグレーのトーンに物語が収斂される。
 これは風土や国民性の持っている性質のあらわれなのかもしれない。
 川端康成が言った「古き日本の哀しみ」に通じるような・・・。

 その淡い世界の中の若尾文子が美しい。
 役柄は遊女、すなわち遊郭で働く女郎であるが、“バロック”と称された気品は隠すことができず、聖女のようにさえ見える。
 その聖と俗との絶妙なバランスが、竹人形の姿に重ねられる。
 美貌ゆえに看過されがちだが、若尾の魅力は声色にもある。
 相手をじらすような、なだめるような、甘えるような、有無を言わさぬような、耳について残る印象的な響き。
 若尾がNHK大河ドラマ『武田信玄』(1988)のナレーション役(「今宵はここまでにいたしとうございます」)で一世を風靡したのも道理である。

 若尾の相手役をつとめる山下洵一郎は、大映に入社したばかりの新人。
 大映の看板女優としてすでに100本以上の映画に出演していた若尾相手に緊張したと思うが、職人気質の真面目で無口な男を、初初しく好演している。
 その後、脇役専門で数多くのテレビドラマや「にっかつロマンポルノ」を含む映画に出演している。

 渡し船の船頭役で中村鴈治郎が出ている。
 チョイ役だが、強烈な印象。
 どんな役をやっても群を抜くリアリティを付与する天性の役者である。

 物語の骨格は、「父親の妾に恋慕し懊悩する息子」という、『雁の寺』、『白蛇抄』同様の水上文学の定番。
 水上先生の好きなセクシュアル・ファンタジーだったのだろう。
 ここでは、ひとり者の喜助が、亡くなった父親が世話していた遊女に会って惚れてしまい、女の年季明けを待って嫁に迎え入れるという設定。
 面白いのは、せっかく嫁にとったのに、喜助はいっこうに玉枝を抱こうとしない。
 毎晩、玉枝そっちのけで竹人形づくりに励んでいる。
 寝るときは、玉枝とは別の部屋に布団を敷いて寝ている。
 禁欲青年なのだ。
 毎晩客をとるのが仕事だった玉枝が、好きな相手と一緒にいながら、何年もほったらかしにされるという皮肉。
 結局、この禁欲主義が悲劇の端緒となる。
 喜助のつくった竹人形を買いに来た京都の男が、偶然玉枝の昔の馴染み客であったことから、玉枝はその男に犯され、あろうことか身ごもってしまう。
 この時代、堕胎は罪であった。
 途方に暮れた玉枝は、あちこちをさまよう。

 本作の教訓は、「意味のない禁欲は身の為ならず」である。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損