奈良大学のスクーリングに合わせての寺社仏閣・仏像めぐり。
今回も、名宝&秘宝&珍宝てんこもりの満足至極な旅となった。
40度近い炎天下の行軍(?)を覚悟していたが、曇りや雨が多く、身体的にはさほどしんどくなかった。
スクーリング前日、名古屋で途中下車し、運慶・湛慶父子作の仏像がある瀧山寺に寄った。
スクーリング前日、名古屋で途中下車し、運慶・湛慶父子作の仏像がある瀧山寺に寄った。
日時 2025年8月7日(木)曇り時々晴れ
行程
11:18 JR名古屋駅発(名鉄名古屋本線)
11:47 名鉄・東岡崎駅着
12:00 東岡崎駅発(名鉄バス・上米河内行)
12:30 滝山寺下バス停着
瀧山寺参詣(約2時間)
14:48 滝山仁王門前バス停発
15:17 東岡崎駅着
15:47 新幹線・名古屋駅発
瀧山寺参詣(約2時間)
14:48 滝山仁王門前バス停発
15:17 東岡崎駅着
15:47 新幹線・名古屋駅発

東岡崎駅北口から名鉄バスに乗る
本数が少ないので、事前チェックは必須

滝山寺下バス停下車
こんな里中にあるとは思わなかった
「市街地より気温が2度ほど低い」とご住職

その名の通り、滝のある川沿いの山の上にある
石段で汗を絞られた
瀧山寺は、天武天皇(673-686)の時代に役行者によって開かれたと言われる。
もとは吉祥寺という名前であったが、平安末期に天台宗になり、瀧山寺となった。
以来、源頼朝や足利義氏や徳川家光の庇護を受け、三河屈指の古刹として地域の人々の信仰を集めてきた。

本堂
鎌倉時代建立
本尊は50年に1度御開帳の薬師如来坐像
内陣には十二神将が立ち並ぶが、暗くてよく見えなかった

瀧山寺パンフレットより
薬師如来三尊像と十二神将

本堂の背後にある日吉山王社
平安末期、瀧山寺の守護神として山王権現を勧請した
いわゆる神仏習合である
建物自体は江戸時代建立

徳川家光建立の東照宮
岡崎は家康公誕生の地なのである

宝物殿
拝観料500円
ちょうどご婦人団体と一緒になり、住職の愉快な解説が聞けた

運慶・湛慶作の聖観音立像
(瀧山寺パンフレットより)
なぜ、鎌倉からも京都や奈良からも離れたこんな愛知の里中に運慶作の仏像があるのか?
それは鎌倉時代初期に瀧山寺の住職を務めた寛伝僧都が、源頼朝の母方の従弟だったから。
頼朝が亡くなった際、寛伝は頼朝の追善供養のため堂を建て、頼朝と関係の深かった運慶に本尊と脇侍の制作を依頼。
運慶は、息子の湛慶と共に、聖観音菩薩立像、梵天立像、帝釈天立像の3体を彫像。
寺の縁起によれば、頼朝の3回忌にあたる正治3年(1201年)に完成、像内に頼朝の鬚(あごひげ)と歯を納入したという。
近年のX線撮影では、聖観音像の頭部に人の髪の毛と歯が発見されている。
実を言えば、美術の本やインターネットで観た時は、運慶作という点に疑心暗鬼なところがあった。
肌を白ベタや金ベタに塗りたくられ、カラフルな衣装をまとった3像からは、温泉地の土産物屋で売られている人形のようなゴテゴテしい安っぽさを感じた。
しかるに、実物を目の前にしてみたら、思ったより大きくて、周囲の空気を薙ぎ払う風格と品の良さがあった。
静かな落ち着きのうちに神々しいオーラを放っていた。
聖観音と梵天は、とても優しい顔立ちで、体の線には女性らしい柔らかさとなまめかしさがある。母性的といおうか。
対して、帝釈天は、きりっとした勇ましい顔立ちで、アスリートのごとく引き締まった体から漲る力を感じる。“美しい緊張”は願成就院の毘沙門天像に近い。
個人的な印象では、帝釈天は運慶、梵天は湛慶、聖観音が合作といった感じ。
江戸時代に彩色されてしまったため、国宝指定は受けられないのだそう。
宝物殿にはほかに、深大寺の巨大彫刻のミニチュア版のような元三大師坐像(鎌倉時代)、いっとき快慶作ではないかと騒ぎになった十一面観音菩薩立像(美術史家の奥健夫氏によって否定されたそうな。but 慶派の作であるのは間違いなかろう)、愛知県で一番古い木彫りの狛犬、旧正月七日に行われる瀧山寺鬼まつりの鬼面、まつりの光景を描いた巨大絵画などが展示され、見どころたっぷりだった。

前を流れる青木川
豊田市との境で矢作川に合流し、三河湾にそそぐ

三門(仁王門)
鎌倉時代建立
お寺からはバス停ひとつ分(歩いて10分)離れたところにある
かつてはここから境内が始まっていた

バスの待ち時間にベンチで横になる
イチョウの緑の大群のなかに、紅葉を発見

名古屋駅に戻る

新幹線の車窓から
岐阜県近江八幡付近を走行中

JR奈良駅到着
明日からスクーリング