2025年岩波新書

IMG_20250826_125649

 著者の白石は、医学書院「ケアをひらく」シリーズを担当していた編集者。
 このシリーズは、これまでにないようなユニークかつ斬新な切り口で医療介護分野のケアを語り、話題を集めた。
 2019年にはシリーズ全体に毎日出版文化賞が贈られている。
 2024年に白石が定年退職するまで、43点のシリーズを刊行したという。
 名編集者である。

 ソルティは、『驚きの介護民俗学』(六車由美著)でこのシリーズの面白さを知って、それ以降、次の6点を読んでいる。
 「ケアをひらく」シリーズではないが、『俺に似たひと』(平川克美著)も面白かった。医療従事者向けのおカタい(おタカい)本ばかり出している出版社、という医学書院のイメージを刷新してあまりなかった。

 白石正明ってどういう人なんだろう?
 どういったポリシーなりスタンスで編集の仕事をしているんだろう?
 ――と、気になっていたので、白石自身がみずからの編集の仕事について披瀝している本書の刊行はうれしかった。

 開口一番、「ぼくの編集の先生は向谷地生良さん」と書いてあるのを見て、納豆食って血液サラサラ。腑に落ちた。
 向谷地生良(むかいやち いくよし)は、北海道浦河町にある精神障害者の生活拠点「べてるの家」のソーシャルワーカーである。
 べてるの家についてはこれまでにたくさん書かれているので説明しないが、一言でいうならば、「近代的価値観を無効にするプリズム」である。
 プリズムの中心にいるのがべてるの家の住人ならば、それを光線の中に置いたのが向谷地である。

 治療という名で「改変」するのが医学である。一方、モノ自体には手を付けずに周囲との関係を改変するのが、向谷地さんのやっているソーシャルワークだ。

 弱さや依存は「克服すべきもの」という問題設定のままであれば、弱さは強さに、依存は自立に変更されなければならない。・・・・「現在がよくないから、こうしなければならない」あるいは「現在はよくないが、こうすればもっとよくなる」という文脈は同じなのである。どちらも「現在のままではダメ」なのだ。

 出された問題に答えるのではなく、その問題自体を組み替えてしまうこと、あるいは、与えられた問題の外に出てしまうこと、ここで述べた例についていえば「弱さ」とか「依存」といった克服されるべき問題――なにより当人がもっとも「克服すべき」と思っている問題――に別の光を与えること。
 
 べてるの家のこのような思想というか文化に出会って感動した地点に、編集者白石正明が誕生したのであった。
 そこには、白石自身が子供の頃から吃音に悩んでいて、その「克服」のために試行錯誤してきたという事情があった。
 みずからの“問題”とリンクするところが大きかったゆえの出会いと感動、そして展開。
 運命という名の編集者にはだれも敵わないなあ。

 ケアと編集との共通点について、白石は、自ら担当した作品の例をあげて語っている。岡田美智男著『弱いロボット』、熊谷晋一郎著『リハビリの夜』、坂口恭平著『坂口恭平 躁鬱日記』など。
 読んでいて隔靴掻痒の感がするのは、単純に、ソルティがそれらの本を読んでいないからである。
 読んでいた『逝かない身体 ALS的日常を生きる』が例に上げられている部分はすんなり落ちた。
 本書をより深く理解したいのなら、上記の本を含め、「ケアをひらく」シリーズをもっと読まないとなあ~。
 ――と、思わされた時点で、やっぱり編集者・白石の術中にはまったのである。
 編集者にとって重要なのは、一冊でも多く本を売り、ひとりでも多くの人に読んでもらうことなのだから。

DSCN7661

 ソルティも高齢者のケアを担う一人である。
 高齢者支援に利用できる社会資源の中では、介護保険という行政の作った枠組みの占める部分が大きいので、知らぬ間に行政的視点でケアを考えていることが少なくない。
 対象者の問題を分析し、長期目標と短期目標を設定し、そこに至る途上にある障害(=課題)を見つけ出し、それを克服する手段を考え、支援の担い手を探す。財政逼迫の折、できる限り効率的な費用対効果の高いケアプランを立てなければならない。
 ともすれば、対象となる高齢者にとって「何が一番いいか」が二の次になって、「障害の克服と自立」を目指した“現在否定”のケアプランありきで支援を進めていることも、まったくないとは言えない。
 高齢者が80年なり90年なりの時間をかけて作ってきた“問題=アイデンティティ”が、そう簡単に変えられるわけがないと、内心思っているにもかかわらず。
 一度立ち止まって、自分のケアのあり方をみつめてミルキー。

 ケア提供者とは、未来に奉仕するような貧しい「現在」ではなく、今すでにここにある豊かな「現在」に働きかける人である。「もう本番は、はじまっているのだ」と宣言して、今ここにある快を十全に享受できるように状況を設定する人である。


 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損