2020年日本
140分、カラーアニメ
原作 暁佳奈
監督 石立太一
音楽 Evan Call
制作 京都アニメーション
なぜだか、このタイトルを口にしようとすると、『エンジェリック・カンバセーション』と言い間違えてしまう。
まったくタイプの違う作品なのに。
語呂が似ているせいか。
TVアニメ版の続編である。
主人公ヴァイオレットが、戦場で死別したと思われていたギルベルト少佐と再会するまでを描く感動巨編。
年を取ると、尿道とともに涙腺がゆるむのが人の常。
ソルティもまた、前立腺肥大による尿漏れとともに、両眼からの失禁がはなはだしい。
ベタで単純で、制作サイドのあざとさが目立つドラマでも、悲しい調べのBGMがかぶさると、途端にウルウルしてくるのだから、自分が“パブロフの犬”並みに馬鹿になったんじゃないかと思う。
『砂の器』なんか、映画の最初のタイトルバックに、あの菅野光亮作曲の『宿命』が流れてくるだけで、まつげが熱くなってくる始末。
還暦まで生きてきて、いろんな人間ドラマを知って共感の幅が広がった、感受性が豊かになった、と言えば聞こえはいいが、そんな高尚なものとは違う。
コインを入れてボタンを押せば缶飲料が出てくる自動販売機のように、この感情スイッチを押せば「はい、涙」と、回路が単純化しているようにすら思える。
この劇場版の後半も、泣きっぱなしであった。
制作サイドの魂胆と手口が分かっているのに、引っかかってしまう。
鑑賞後に冷静になって振り返れば、ご都合主義の展開や、リアリティの欠如や、キャラクター心理の不可解があると気づくのだが、観ている間は、感動の波に持って行かれて批評精神が埋没してしまう。
ヒトラーは賢かった。芸術の持つファシズム宣揚効果を甘く見てはいけない。
本作の場合、美しい映像と手紙の朗読という二つの要素が、とりわけ大きな効果を放っていると思う。
京都アニメーションの技術の高さは、実写映画を超える域に達している。
ここ半月の間に、『ゴールデン・カムイ』と『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という平成令和の人気アニメを続けて鑑賞し、手塚治虫を神様とする日本の漫画&アニメ芸術の偉大さ・美しさ・面白さを実感した。
と同時に、少年マンガと少女マンガの違いというものも、つくづく感じさせられた。
男女の性差を強調する言説は昨今あまり歓迎されないけれど、こうやってそれぞれの性別の原作者によって創造され、それぞれの性の鑑賞者によって多大な人気を得ている作品をくらべると、「男女の違いってのはあるよな~」と思わざるを得ない。
遺伝子から来る脳の機能の違いは否定できない。
『ゴールデン・カムイ』を「キモイ」、「幼稚」という女子層と、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を「くだらない」、「絵空事」という男子層は、容易には理解し合えないだろう。
それに関して思うに、現在、日本の移民政策についての議論が盛んだが、そこでは他文化を理解し共生することの難しさが説かれることが多い。
日本文化とイスラム文化、アフリカ文化の違い、同じアジア圏であっても、タイや中国やベトナムの文化との違いが問題にされる。
しかし、人類を集団に分けるあらゆる文化仕分けのうち、もっとも異なる二つは、男性文化と女性文化ではなかろうか?
その断絶具合に比べたら、日本文化とイスラム文化のギャップなど、フォッサマグナに対する養老渓谷みたいなもんである。
間違いなく、日本人の男が日本人の女を理解するのは、日本人の男がクルド人の男を理解するより、100倍は難しい。同様に、日本人の女が日本人の男を理解するのは、日本人の女がクルド人の女を理解するより、10倍は難しい。
世界中のどの国だって、男v.s.女の異文化共生をすでに経験しているのだから、長い長い衝突と忍耐と受容の積み重ねを持っているのだから、いまさら他文化共生に戸惑わなくてもいいはずなのになあ~。
――と、『ゴールデン・カムイ』も『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』も同じように面白く鑑賞し、同じように感動したソルティは思うのである。
――と、『ゴールデン・カムイ』も『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』も同じように面白く鑑賞し、同じように感動したソルティは思うのである。
P.S. どうしても言いたいひとこと。ホッジンズ社長の用いる「ヴァイオレットちゃん」が最後まで馴染めなかった。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損

