仏師・運慶の最高傑作と名高い、興福寺北円堂の弥勒如来像、無着像、世親像が上野の森にお目見えとあっては、万難を廃して行かねばならぬ。
 しかも今回は、上記3像と同時に造られ北円堂に納められたのではないかと、昨今美術史学会で有力視されている四天王像も一緒に展示される!
 この四天王像、ふだんは同じ興福寺内でも、北円堂ではなく、平成30年(2018)に復元された中金堂の中におられる。
 いつもは一緒にいないのである。

 7体の像が一つの堂内で同時に観られる、すなわち鎌倉時代に北円堂が再建された当初の仏像空間が再現される。
 地元奈良を離れ、お寺の縛りを解かれたがゆえの、仏像たちの旅先での気ままなランデブーが、ここトウハクで実現したのである。

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東京国立博物館・本館

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会場は正面大階段裏の特別5室

 この7体の仏像は一般に「運慶作」とされているのだが、一体一体は運慶の下で働く7人の仏師が担当したことが分かっている。
 父・康慶から慶派工房を継いだ運慶は、棟梁として全体を統括し、仕上げを施したのである。
 それぞれの仏像の担当者と目されているのは以下の通り。
  1. 本尊・弥勒如来像・・・・源慶
  2. 無着像 ・・・・運助=運慶の五男
  3. 世親像 ・・・・運賀=運慶の六男
  4. 持国天像・・・・湛慶=運慶の長男
  5. 増長天像・・・・康運=運慶の次男
  6. 広目天像・・・・康弁=運慶の三男
  7. 多門天像・・・・康勝=運慶の四男
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 本尊をまかせられた源慶は、運慶の古くからの弟子で、制作時は慶派工房の長老格であった。運慶の信頼が篤かったであろう。
 他の6人はずばり“我が息子たち”である。
 つまり、この北円堂の造仏事業は、運慶一家男子総出の晴れ舞台であり、偉大な父の胸を借りた6人兄弟の腕の競い合いの場であったのである。
 このウルトラ兄弟対決、見ないわけにはいかないでしょう?

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ウルトラ6兄弟

 開幕10日後の平日午前中をねらった。
 本館特別5室は、テニスコート2面ほどの広さ。
 午前10~11時までの約1時間いて、80~120名くらいの入りであった。
 これくらいなら、一体一体の仏像を間近でじっくり観るになんの苦労もない。
 前から横から後から斜めからガン見し、近くから見上げ、中距離から全体を把握し、遠くから像同士が奏でる音楽を味わい、さらにはオペラグラスを通して細部を確認。
 心ゆくまで鑑賞することができた。
 俳優の高橋一生による音声ガイド(800円)も、バリトンボイスが耳に心地よく、見どころを簡潔に伝えてくれていた。
 興福寺ならぬ幸福時であった。

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左より、世親像、弥勒如来像、無着像
(当日ショップで購入したクリアファイル)

 以下、一体一体の仏像についての感想。

1.弥勒如来坐像(像高141.9cm、カツラ材、彫眼)
 室内に入って、まず惹きつけられる。
 堂々たる体躯、射抜くような鋭い眼差し、目鼻立ちのくっきりしたイケおじである。
 “美しき緊張”は、20代運慶による円成寺大日如来坐像と変わらない。
 が、やはりそこから数十年を経た時の流れ、作り手の人生の蓄積が感じられる。
 この如来像には、戦乱の世を通して人間の無明を知り尽くし、それでもなお救わんとする意志が漲っている。

2.無着立像(像高約194.7cm、カツラ材、玉眼)
3.世親立像(像高約191.6cm、カツラ材、玉眼)

 思ったより大きく、重厚感あった。
 無着(アサンガ)が兄、世親(ヴァスバンドゥ)が弟、4~5世紀頃のインドに実在した大乗仏教唯識派の僧侶の肖像である。
 実際の兄弟仏師(運助と運賀)が兄弟僧侶の像を彫ったわけだ。
 そのせいか知らん、兄弟性格をよくとらえた像と思った。
 真面目で責任感が強く保守的な気質の兄。
 甘えん坊で空気を読むのが巧みで柔軟性ある弟。
 二人は仲が良いのか、悪いのか、この像からは分からない。
 あるいは、こんな妄想も起こる。
 この2像、実は、師匠・康慶(弥勒如来)の背中を追う永遠のライバル、運慶(無着)と快慶(世親)である。
 運慶はどこか勝ち誇った顔で、一方、快慶は悲しげである。
 運慶が手にもつ包みこそは「法印」の象徴。
 仏師が宮廷から与えられるこの最高位の称号を、快慶はついに手に入れることができなかった。
 すなわち、運慶の勝利宣言。
 運慶、老いて性格悪し・・・。
 ――なんて勝手な妄想が働くくらい、真に迫った、深い人間ドラマを感じさせる肖像である。
 日本彫刻の最高峰という評価は決して大袈裟ではない。

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    右下より時計回りに、持国天・増長天・広目天・多聞天
4.持国天
 湛慶は慶派の後継者として、父・運慶とともに多くの仕事をした。
 愛知県岡崎市の瀧山寺の観音菩薩立像、梵天立像、帝釈天立像はその一つである。
 父から伝えられ吸収した教えは、兄弟の中で間違いなく一番豊かだったはず。
 この像は、確かな技術に支えられた、どこに出しても恥ずかしくない完成度の高い名品。そのぶん、個性の発露は控え目である。

5.増長天
 運慶の次男・康運についてはほとんど分かっていない。
 のちに肥後定慶と呼ばれる仏師が、改名した後の彼ではないかという説もある。
 それが本当だとしたら、父・運慶と何らかの衝突があったのかもしれない。
 この像は、見事なバランスと、神とも人間ともつかぬ神秘的な表情をもち、今にも一歩動き出しそうな軽みを備えている。

6.広目天
 迫力満点の個性爆発な像。
 「魁偉」という言葉がぴったり。
 一見、恐ろしげであるが、どこか諧謔味(ユーモラス)もある。
 この遊び精神、興福寺国宝館にある天燈・龍燈鬼立像(国宝)に通じる。
 康弁はきっと兄弟一番のやんちゃ者だったろう。 

龍燈鬼立像
奈良大学通信教育部の入学案内を飾る天燈鬼立像

7.多門天
 本像は、四天王像の中で、いちばん全体のバランスが悪く、表情も不可解。
 観ているこちらが不安になるような精神の不安定さを覗かせる。
 四男・康勝のもっとも有名な作品は、京都六波羅蜜寺の空也上人立像、および東寺の弘法大師坐像。
 現在もっとも国民に知られている代表的な肖像彫刻を二つも作っている。
 技術の高さ、器用さは折り紙付きであるだけに、この像の中途半端な感じが解せない。
 若書きならぬ、若彫りゆえか。

 武器を手にした四天王によって東西南北を護られた弥勒如来と無着・世親。 
 それは、鉄壁の守りによって仏法が守られているさまを表している。
 と同時に、6人の息子たちに対し、しっかりと仏師修行し慶派の伝統を受け継いでほしいという父・運慶の願いのようにも思えた。

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本館裏のテラスより臨む庭園と茶室

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ミュージアムショップ
販売している書籍類は奈良大学歴史文化財学部の学生にとって垂涎の的

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上野駅構内のおそばやで昼食
ここはやや高いけれど美味しいし、店員も親切
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