2021年原著刊行
2023年東京創元社(訳・服部京子)
大人顔負け、警察形無しの探偵力をもつ少女ピップに忍び寄るストーカーの魔の手。
前作の解決時に被ったトラウマに悩まされるピップは、家族や恋人ラヴィや友人たちとの健全な日常生活を取り戻すため、最後の闘いに立ち上がる。
それは文庫で670ページを超える壮絶な事件に発展する。
ヤングアダルト小説ってのは、10代の主人公が活躍する、同年代(主として12~18歳)読者を対象とした小説である。
欧米基準では、性的暴力の描写やマイノリティへの差別を含まないことが条件とされている。
本シリーズもその基準に則って書かれている。
たとえば、大人の犯罪小説であれば、犯人(♂)に捕まった女性はここでレイプされるよなあと思うようなところで、レイプが起こらない。あたかも犯人が不能であるがごとく。
レイプという言葉は出てくるが、そのものずばりの描写はない。
主人公のピップと恋人ラヴィの関係も、手を握るとか額にキスとか、まるで吉永小百合主演の60年代日活青春映画みたいな描写のみで、いったい2人はどこまで進んでいるのだろう?と、かえっていたづらな憶測をさせられる。(きょう日のイギリスの高校生カップルが「セックスなし」って、よほど宗教的規範が強くなければまずあり得ないと思うが・・・)
性的暴力はおろか、性的描写そのものが“不自然なほど”避けられている。
ここでなにもその是非を問いたいのではない。
言いたいのは、本シリーズとくにこの第3弾が、性的描写やマイノリティへの差別がないからと言って、はたしてヤングアダルトにとって“健全”な読み物と言えるか?――ということである。
これから読もうという人のために内容には触れないが、第3弾にあたってピップは「ルビコンを渡って」しまった!
もう二度と元の犯罪マニア&探偵好きの普通の少女にも市民にも戻れまい。
これをヤングアダルト卒業の通過儀礼とするには、あまりに深淵が深すぎる。
読者に衝撃を与えるピップの行動、すなわち本作のプロットの背景には、作者ホリー・ジャクソンの英国社会や法制度に対する絶望と怒りがある。
巻末の謝辞で作者自身がこう書いている。
この物語のある部分はみずからの怒りが源になっている。わたし自身が被害を受けたのに信じてもらえなかったという個人的な怒りと、ときおり正しくないと感じられる司法制度に対する怒りの両方が。
なるほどそういうことであったか・・・と納得した。
作者は紙の上で、英国の司法制度に対する怒りをぶつけ、過去の加害者に対する復讐を果たしたのであろう。
抱えきれない怒りのエネルギーを創作に昇華させるのは“健全”である。
ただ、個人的には、続編が出たとしてもこのシリーズを読むことはないだろう。
凶悪犯を追い詰めるピップの活躍を手放しで応援する気持ちには最早なれそうにない。
本作を読み終えたヤングアダルトたちが喝采の声を上げるとしたら、はたしてそれは“健全”なのかどうか、ソルティにはよく分からない。
パトリック・ネス著『混沌の叫び(カオス・ウォーキング)』シリーズ同様、英国のヤングアダルト文学の質の高さ、問題意識の高さ、社会の矛盾を突く鋭さを感じた。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損

