2025年日本
191分
宝島ポスター
 
 原作は第160回直木賞を受賞した真藤順丈の同名小説。
 太平洋戦争後の米統治下の沖縄を舞台に、島の若者たちの熱く激しい青春が描かれる。
 『国宝』の175分を超える191分という上映時間にちょっと怖じけたが、始まってみたら、スクリーンいっぱいにたぎる半端ない熱量に圧倒され、最後まで集中して観ることができた。
 もっとも、前立腺治療の薬のおかげで、排尿周期が長くなったおかげが大きい。
 高齢者は観に行きたくとも、この尺の長さにはビビるだろう。
 制作・上映サイドは、超高齢社会を迎えた我が国の観客のことをもっと考えてほしい。
 だいたい、本編前の予告編だけで15分も使っているのがおかしい。
 本編を第1部と第2部に分けて、間に15分の休憩時間を入れ、そこで予告編を流せないものか。
 あるいは、入口でオムツを配布するとか・・・。
 ソルティは30年以上前イタリアに行ったときローマのポルノ映画館に入ったが、彼の地ではポルノ映画ですら“intermezzo(休憩)”があった。

 ソルティがこの映画の熱をビンビンと感じることができたのは、やはり、『ひめゆりの塔』に象徴される沖縄戦の悲劇や、1972年沖縄返還まで米国の支配下にあって朝鮮戦争やベトナム戦争の出撃・後方支援基地として使われた沖縄の事情や、島民たちの悲惨な生活実態を学んでいたからである。
 太田隆文監督によるドキュメンタリー『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』、大江健三郎の『沖縄ノート』、沖縄随一の売春街であった真栄原社交場を描いた藤井誠二の『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』、沖縄返還交渉をめぐる日米間の密約問題をテーマにした山崎豊子の『運命の人』、台湾有事に揺れる現在の沖縄を描いた三上智恵監督によるドキュメンタリー『標的の島 風かたか』、もちろん、真藤順丈の原作も読んだ。
 本土返還50周年にあたる2022年には、3泊4日の沖縄戦跡めぐりをした。
 ゆえに、この映画を観るのにまったく解説を必要としなかった。
 原作を読んでいない、沖縄戦をよく知らない、沖縄返還もはじめて耳にした、レジャー&スピリチュアルスポット以外の沖縄文化に触れたことのない人々が、本作を観て、どれくらい内容を理解できるのか、どれくらいウチナンチュー(島民)の思いに心を寄せることができるのか、ソルティにはわからない。
 ただ、その断絶の前には、「登場人物たちが話す沖縄方言がわからない」なんてのは些末な事柄に過ぎない。

 まったく前提知識が無いまま鑑賞しても、ストーリーを理解し映像を楽しむことができるのが、映画という娯楽の必要条件とするならば、もしかしたら、この映画は成功していないのかもしれない。
 しかし、たかだか191分!で、沖縄の人々がこの80年間体験し感じてきたことを理解するなど、そもそも絶望的に不可能なのである。
 ならば、戦後生まれのヤマトンチュー(島民以外の日本人)にできるのは、スクリーンにたぎる熱量をそのまま全身に受け止め、言葉を失くすことだけであろう。
 その熱は観る者の血管に浸透し、体中をめぐり、エイサーの太鼓の響きのごと鼓動を鳴らすに違いない。
 理解できないことに醒めた態度をとる人間の卑小さを気づかせるに違いない。
 何があったか調べるのは、そのあとからで遅くない。

魂魄の塔
魂魄の塔
沖縄戦で犠牲になった35,000人の遺骨が埋まっている

 熱量の源となっている役者たちの演技が素晴らしい。
 グスクを演じる妻夫木聡の本気度。『ウォーターボーイズ』の少年がここまで到達したことに目を瞠った。大人のエレベータを着実に昇った。
 ヤマコを演じる広瀬すず。本作で女優として明らかに一皮むけた。少し前に吉永小百合と共演し、小百合に気に入れられ、「わたしの演じる役の娘時代はすずちゃんにお願いしたい」と言われていたのを見て、嫌な予感がよぎった。
 が、杞憂であった。吉永小百合路線でなく、宮沢りえ路線に進んだことが証明されている。
 レイを演じる窪田正孝。こんなに存在感ある役者とは知らなかった。おみそれした。助演男優賞に値する熱演。
 オンを演じる永山瑛太。出番は多くないが、この物語のキー・パーソンである。オンの「非在」が物語を駆動する。それだけのカリスマ性がなければならない。永山は無頼なアニキの風格を見事に醸し出している。
 個人的に一番惹かれたのは、グスクとペアを組む初老の警官役の男優。
 なんとも味がある。
 この役者、だれ?
 ――と思ったら、ラストクレジットで塚本晋也と知った。
 『野火』や『ほかげ』など監督として一級であるが、役者としても実に魅力あふれる。

 米兵がたむろする夜の売春街や暴動勃発のゴザの街など、時代考証を尽くしたロケセットも見ごたえある。
 筋が複雑で、内容が重厚で、構成バランスが必ずしも良いとは言えない原作を、尊重しながらも適確に剪定した大友監督の手腕は十分称賛に値する。
 惜しむらくは、ゴザ暴動まで保ってきた緊張の糸が、そのすぐあとの米軍基地内のシーンで途切れてしまう。
 武装した米軍兵士たちの前で、主人公たちがいきなり“青春漫才”をおっぱじめる。
 いささか興冷めした。
 ここは映像によって語らせたかった。

シーサー

 現在上映中の本作への評価は二分しているようで、興行的に苦しんでいる模様。
 だが、日本人とくにヤマトンチューは観ておくべき映画と思う。
 左も右も関係なく。(だいたい排外主義を唱える連中が米軍基地撤退を唱えない不可思議。本物の保守はどこに行った!?)
 この映画をヒットさせられない現代日本の文化状況の貧しさ、令和日本人の政治意識・歴史認識の欠落が哀しい。
 少なくとも、『国宝』と『宝島』が同じ年に公開された日本映画界の奇跡を、劇場に足を運んで目撃することは、十分な意義がある。

普天間飛行場
普天間飛行場に並ぶオスプレイ

P.S. 上映終了後、白杖をついた男がいるのに気づいた。191分を“聴いて”、脳内スクリーンに沖縄の風景を描いていたのか! やはり映画は「見る」ものでなく、「観る」ものなのだ。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損