午後のコンサートが終わった後、某駅前のファミレスに寄った。
 日曜だったので混んでいたが、店の一角に電源コンセント付おひとりさま専用席があり、一番端っこが空いていた。
 店の一番奥にあたる隣りのテーブル席には、妙齢のオバサマ4人が、罪のない無責任なおしゃべりを楽しんでいた。家に帰ったら、夕餉の支度が待っているのだろう。
 ドリンクバーを注文し、図書館で借りた考古学の本にしばらく集中した。
 奈良大学通信教育のレポート作成のためである。

 章の終わりでドリンクバーに立ったときに気がついた。
 いつの間にか、隣りにいたオバサマ連中は帰ってしまって、3人の男と入れ替わっていた。
 普段着の70代くらいのインテリ風の白髪の男と、30~40代のスーツ姿の男2人であった。
 これはどういった関係のトリオなのか?
 なんとはなしに会話に耳を傾けた。

drink_bar

 3人はクラシック音楽の話をしていた。
 さては、さっきのコンサートに行ったお仲間か? テーブル席が空くのをいままで入口で待っていたのかな?
 親しみと好奇心が湧き、本の文字を追いながらも、テーブル席側の片耳はダンボ状態になった。
 コンサートの感想披瀝はすでに終わったらしく、いまは年長の白髪の男の独壇場であった。
 どうやら彼は芸大出身らしく、若い頃は音楽家を志していたようで、クラシック音楽にも業界事情にも詳しかった。
 プロの道には進まなかったが、ピアノの腕前は相当なもののようで、近々に地元のカフェを借り切って独演会を開くという。良かったら君らも聴きに来ないか?
 若い2人は二つ返事で了承し、白髪の男から連絡先を受け取った。年長の男の博識や人脈の広さに感嘆の声を上げ、抜群のタイミングで相槌を打ち、さらなる蘊蓄を引き出す。
 師匠と弟子?
 先輩と後輩?
 かつての上司と部下?
 編集者と執筆者?
 3人の関係が読めなくてもどかしい気もしたが、それよりむしろ、若い2人の傾聴能力の高さに感心した。
 いまどきこれだけ人の話をさえぎらずに聴ける男も珍しい。
 相槌、オウム返し、共感のことば、パラフレーズの使用、適宜な沈黙・・・・傾聴のテクニックが身についている。
 ひょっとして、ソルティと同じ相談関連のひと?
 2人の男はトイレやドリンクバーなどで席を離れるときも代わる代わる行き、残った一人が聞き役を引き取り、会話の流れを途絶えさせない。
 白髪の男の口はますます滑らかになり、話の内容もどんどんプライベートなものになっていく。
 海外にいる息子家族の話、学生運動していた頃の話、持病の話、亡くなった友人や妻の話・・・・。
 「もうこの先そんなに長くないから、あとはこうやって好きなことをして過ごしたい」
 「コロナの時みたいに、いつ何があるかわからないからな」
 「生きていれば、こういう楽しい出会いもあるしな」

 と、ここでこれまでひたすら聞き役に徹していた2人のうちの1人が、おもむろに切り出した。
 「やっぱり、だれだって最後は心細くなったり、不安になったりしますよね。そんなときに、心の支えになるものがあるのとないのとでは大違いです。ぼくたちがお手伝いできると思うんです」
 すかさず、もう1人の男が手元のカバンからパンフレットようなものを取り出すのが見えた。
 あっ、保険の勧誘か!
 顧客候補と営業マンか。
 自分の鈍感さにあきれた。
 
 差し出されたパンフレットを見て、白髪の男ははじめて我に返ったごとく押し黙った。
 いままでと違うトーンが声に現われた。
 「いや、自分は・・・・。自分も、今までいろんなところに行って、いろんな人の話を聞いているから。もうそういうの必要ないんだな」
 若い1人が切り返す。
 「どういったところに行かれたんですか?」
 「それはもういろいろ。仏教系もあるし、キリスト教系もあるし、スピリチュアル系もあるし、自分なりに西洋哲学や東洋思想を勉強したし・・・・。」
 「それでなにか結論が出ましたか?」
 「・・・・・」
 保険の勧誘ではなく、某新興宗教団体のリクルートだった。

 そこからは攻守変わって、スーツの2人が白髪の男を説得するモードに転じた。
 白髪の男が持ち出した意見(=勧誘を断るための言い訳)をひとつひとつ理屈と能弁をもって棄却し、矛盾があれば追及し、それまでに聞き出していた白髪の男の苦労話を持ち出してそれに役立ちそうな会の教えを諄々と説き、入信したことで運が向上した第三者の具体的な事例を滔々と語り、白髪の男のためにドリンクバーから飲み物を取ってきて・・・・。
 はじめのうちは勢いよく「自分には必要ない」と主張していた白髪の男も、若者2人の攻勢に押され、だんだんと声に力がなくなり、さっきまで自信に満ちていた表情はかげりを帯びてきた。
 これまでずっと話を真剣に聞いてもらっていた手前か、白髪の男も無下な態度で席を立つこともできないようであった。
 そもそも、最初からテーブルの壁際のほうに白髪の男が一人で座り、通路側に2人の若い男が陣取ったので、押し込められているような形勢ができあがっていた。

 まだまだ3人の会話は続きそうな気配。
 窓の外はすっかり暗くなった。 
 家で夕食が待っているソルティは、本をリュックに押し込み、席を立った。
 最後に振り返ってみたとき、白髪の男は心なしか涙目になっていた。

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