11/16(日)放送のNHK日曜美術館で、東博開催中の『運慶 祈りの空間 興福寺北円堂』展が取り上げられたので、平日の午前中でも結構混むだろうなあと予想していた。
開館10分前に到着したら、正門前にはチケットを事前購入している60名近くがすでに並んでいた。
その最後尾についたが、どんどん後ろに人が付き、列が長くなっていく。
それとは別に、これからチケットを買う人たちの列がある。
全部が全部、運慶目当てとは限らないが、混むのは間違いない。
展覧会開始10日後の9月18日に来たときは、まったく並ぶことなく入場し、余裕で鑑賞できたのに・・・・。
開門と同時の運慶ダッシュを避けるための措置だろう。
「運慶展をご覧になる方はこちらにお並びください」
というスタッフの声に誘導され、運慶展ポスターを手にした別のスタッフに先導され、アヒルの行列よろしく敷地内を遠回りしながら本館に近づいていく。
「運慶展をご覧になる方はこちらにお並びください」
というスタッフの声に誘導され、運慶展ポスターを手にした別のスタッフに先導され、アヒルの行列よろしく敷地内を遠回りしながら本館に近づいていく。
運慶行列のお通りだ!
それでも早起きしたおかげで、待たされることなく、特別5室に入場できた。
身動き取れないほどではないが、気を付けて歩かないと人にぶつかる程度の混み具合だった。(ある程度入れたら、入場制限している) 中央にまします弥勒如来像、無着像、世親像の素晴らしさは、云わんかたない。
運慶の最高傑作であると同時に、法隆寺の百済観音像、中宮寺の菩薩半跏像、興福寺の阿修羅像、宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像、宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像などと並んで、日本の彫刻の最高峰に位置するのは間違いない。
いや、世界の彫刻の中でも、ミケランジェロの「ダビデ」やロダンの「考える人」やバチカンの「ベルヴェデーレのアポロ」などに匹敵する人類の宝である。
人間の精神性の深さを表現したものとしては、レンブラントの人物画に匹敵するのではなかろうか。
観る角度によって印象ががらりと変わる無着と世親の不思議な表情は、千変万化する人間の心模様そのものであり、観る者の心の投影であり、また、真剣な学問と修行の末に2人の仏教者が達した境地、“この世の一切を分け隔てなく包含する慈悲”のあらわれのような気がする。
今回は、四天王像をよく見たかった。
仏教や国を守護し、外敵を威嚇・退治する役を担った四天王は、それぞれに武器や宝物を手にし、おっかない顔して四隅に立っている。
像の前に立つと、「睨まれている」、「見透かされている」、「怒られてる」、「威嚇されている」という畏怖感に襲われる。
しかるに、今回じっと見ているうちに、怒っているような表情のうちに、より繊細な感情が秘められていて、4体それぞれ、かなり違いがあるように思った。
持国天は、観る者を正面からぐっと睨み、「お前は何者だ?」と誰何し、威嚇する。
4体のうち、もっともストレートに怒りを表出している。
が、その奥に感じるのは、この男の生真面目さ、誠実さ。
大事な仕事をまかせるなら、この男を措いてほかにない。
4体のうち、もっともストレートに怒りを表出している。
が、その奥に感じるのは、この男の生真面目さ、誠実さ。
大事な仕事をまかせるなら、この男を措いてほかにない。
増長天は、つかみどころがない。
剣を前にかまえて、相手を威嚇しているようにも見える。
ネズミを前にした猫のように、相手の出方を観察しているようにも見える。
かと思えば、角度によっては、深い思索中の哲学者のようにも見える。
さまざまな印象を装うことによって、相手を翻弄するのを楽しんでいるように見える。
剣を前にかまえて、相手を威嚇しているようにも見える。
ネズミを前にした猫のように、相手の出方を観察しているようにも見える。
かと思えば、角度によっては、深い思索中の哲学者のようにも見える。
さまざまな印象を装うことによって、相手を翻弄するのを楽しんでいるように見える。
広目天は、激しい感情の爆発が特徴的。
4体の中で一番気が短そう。
だが、その爆発の原因を怒りのせいとするのは早とちりかもしれない。
大きく開いた口からのぞくチャーミングな歯列や、その奥で震える舌は、「ひょっとしてこの男、怒っているのではなくて、哄笑しているんじゃないか?」と感じさせる。
自由闊達な体の動きも、喜びの爆発ゆえではないか。
多聞天こそ、不可思議である。
多聞天=毘沙門天は四天王のリーダーであり、もっとも風格がもとめられる存在であるはずなのに、この男、像の前に立つ者と目を合わせようとしない。
威嚇するのを忘れてしまったようだ。
その視線は、左手に掲げた宝塔に向いている。
なんだか自分の世界に籠っているメンタル系男子みたい。
しかも、その表情、なんだか泣いているように見える。
右下より時計回りに
持国天・増長天・広目天・多聞天
持国天の「怒」、増長天の「楽」、広目天の「喜」、多聞天の「哀」。
そう、この四天王は、あたかも「喜怒哀楽」の表現のようなのだ。
これらの像を造るにあたって、設計図となるデッサンを書いたのは、あるいは寄木造の原型となる何分の1かの雛型を造ったのは、総監督であった運慶の可能性が高い。
もし、雛型を作ったのが運慶で、それぞれの像を実際に担当したリーダーが運慶の長男(湛慶)、次男(康運)、三男(康弁)、四男(康勝)であるのならば、この四天王は、息子たちの性格をつかんでいる父・運慶が、それぞれの像に託して4人の息子たちを写し取ったものなのではないか、とさえ思えてくる。
すなわち、真面目で誠実な湛慶、飄々としてつかみどころのない康運、天真爛漫で感情表現ゆたかな康弁、そして、ナイーブでスピリチュアルな気質をもつ康勝。
4つの像の表情の多様さと深みの秘密は、眼の前の息子たち兼弟子たちを深い愛情をもって育ててきた父のまなざしに由来するのではないか、と思うのである。
もう一つ感銘を受けたのは、四天王像のたくましい体つき。
がっしりした肩、力強い腕、見事な背筋、でっぷりした腰回り、どっしりした脚、全身から発する野性。
やはりこれは、運慶と関東武者の出会いの産物なのではないかと思う。
京都の糖尿病予備軍の貴族たち、奈良のインテリ僧侶たち、都会育ちの垢ぬけた平家の武者たちを見慣れていた運慶の目に、草深い東国で野山を駆けまわって狩りをし、藁と汗にまみれて農作業をし、礼儀も風流も知らない武骨な関東武者たちの姿や生態は、きわめて新鮮なものに映ったのではなかろうか。
野性のもつ生命力との遭遇が、運慶の中にある野生をも目覚めさせて、これまでの仏像にない力強い表現を生んだのではないか。
1時間弱で鑑賞終了。
会場の外に出たら、本館入口前に20mほどの運慶行列ができていた。
「ただいま10分待ちです」とスタッフが連呼する。
平日でこれなら、休日はどうなることやら。
展覧会終了まで、この状態が続くのは間違いあるまい。
東洋館のシアターで「VR作品 興福寺阿修羅像」を鑑賞
やっぱり、和風美少年だな
先月亡くなったビョルン・アンデルセンの少年時代とはタイプが異なる
入口で学生メンバーズパス(1200円)を購入
東京・京都・奈良・九州の4つの国立博物館の常設展を何度でも鑑賞できる
学生ってほんとにお得!
使いまくるぞ~
やっぱり、和風美少年だな
先月亡くなったビョルン・アンデルセンの少年時代とはタイプが異なる
入口で学生メンバーズパス(1200円)を購入
東京・京都・奈良・九州の4つの国立博物館の常設展を何度でも鑑賞できる
学生ってほんとにお得!
使いまくるぞ~






当ブログへのご訪問およびご指摘いただき、ありがとうございます。
ほんと、弥勒如来坐像でした!
思い込みって怖いものですね。弥勒=菩薩ってインプットされていました。なにせ、諸星大二郎『暗黒神話』と萩尾望都『百億の昼と千億の夜』のイメージが強烈だったもので・・・・。
たしかに、像容は如来形式であって、中宮寺や広隆寺で有名な菩薩形式ではありませんね。
お恥ずかしいかぎりです。
これが奈良大のレポートや学科試験だったら、まず不合格でした。
ヒヤヒヤ。
北円堂の弥勒さまは56億7千万年後に悟りを開いたあと到来された姿だったんですね。
ありがたさが増しますね。
通信教育、進捗はいかがですか?
お互い楽しみながら学んでいきましょう!
ソルティはかた
が
しました