2011年私家版発行
2023年国書刊行会
京都三条河原にある古刹瑞泉寺の住職にしてイラストレーター、中川学の絵本デビュー作。
切り絵のように美しく、影絵のように幻惑的、アニメのようにポップな中川のイラストレーションで、現代人には取っ付きにくい泉鏡花の作品が一気に親しみやすいものとなった。
しかも、近代日本作家の中でひときわ異彩を放つ鏡花の美と幽玄と妖しの世界を、少しも損なうことなくヴィジュアル化している。
素晴らしい才能だ。
中川学のイラストがすごいと思うのは、戦後の国語教育を受けた現代人にはいささか難しい鏡花の文章を難なく読ませてしまうところである。
もちろん、現代かなづかいに改めたり、ルビを振ったり、ポイントを大きくしたりと適宜編集上の配慮はしているが、そればかりではない。
中川のイラストは、物語の理解を助け、あざやかなイメージを立ち上げ、行間に潜んでいる含意まで引き出し、鏡花ワールドの魅力を堪能させてくれる。
中川のイラストは、物語の理解を助け、あざやかなイメージを立ち上げ、行間に潜んでいる含意まで引き出し、鏡花ワールドの魅力を堪能させてくれる。
その結果、鏡花ワールドはたしかにこの文体でなければならないのだという確信に導き、泉鏡花という作家の比類なさを知らしめる。
つまり、イラストによって文章が輝くという芸当が生じている。
オーブリー・ビアズリーのイラストによって、オスカーワイルドの戯曲『サロメ』が一段と輝くのに似ているかもしれない。
瑞泉寺は豊臣秀吉の甥で、謀反の疑いで秀吉に切腹を命じられた豊臣秀次一族の菩提を弔う寺なのである。
境内には、秀次はじめ息子・娘・34人の側室などの墓があり、一族および家臣たちをかたどった49体の京人形が地蔵堂に祀られていた。
一族は鴨川の河川敷で惨殺されたという。
秀次がほんとうに謀反を企てたかどうかは明らかでなく、無辜の罪の可能性も高い。
秀次がほんとうに謀反を企てたかどうかは明らかでなく、無辜の罪の可能性も高い。
この因縁を知ったときに、そして瑞泉寺の裏手の三条大橋から夕暮れの鴨川を眺めたときに、中川学の描くイラストがなぜ鏡花ワールドと響き合うのか、その秘密の一端を知ったように思った。
『化鳥』は、橋のたもとに住む貧しい虐げられた母と子供、そして川向うに暮らす被差別の民たちの物語。
『朱日記』は、山から下りてきた薄幸の美女と、怒りに狂って城下町を焼き尽くす魔坊主の物語。
『榲桲に目鼻のつく話』は、男たちに買われる可憐なる少女の物語。
そしてこの『龍潭譚』は、異界に入り込んで魔に憑かれてしまう少年の物語。
少年が異界に入り込む境界で出会うのは、日頃少年が父母や祖父母から「一緒に遊ぶな」とかたく戒められている「かたい(乞食)」の子供たちである。
少年が異界に入り込む境界で出会うのは、日頃少年が父母や祖父母から「一緒に遊ぶな」とかたく戒められている「かたい(乞食)」の子供たちである。
もっとも有名な作品『高野聖』がまさにそうであるように、泉鏡花は常界と異界のはざまを描くのに巧みであった。
常界に生きる主人公が、なにかのきっかけで異界に住む者と出会い、その妖しい魅力に惹きつけられて異界に入り込んでしまい、しばしの幻想的経験を経たあとに、常界に帰還する。
いわば、浦島太郎潭である。
鏡花ワールドの特徴の一つは、この異界を、「差別され疎まれる民、虐げられる女子供」のいる世界に設定している点にあるのではないかと思う。
泉鏡花は、金沢で幼少期を過ごした。
父親は彫金職人で、生家は市の中心を流れる浅野川のほとりにあった。
川向うには、芸妓や娼妓が働く茶屋、いわゆる女が買われる遊廓があった。
城下町には被差別部落があるのがふつうだった。
鏡花は、このような異界に対する畏怖と憧憬、親しみと哀れみとが入り混じった幼少年時代を過ごしたのではなかったろうか。
龍潭(龍の棲む淵)の彼方にある九ツ谺(ここのツこだま)という“異界”から無事帰還した少年が、常界に住む者たちから、「神隠しにあった者」と化け物あつかいされ疎まれるストーリーに、日本の歴史に潜む哀しくも愚かな“物語”に思いはめぐる。




