2022年日本
121分

ある男

 3年以上ともに暮らし子供までこさえた夫・谷口大祐が、事故で亡くなった。
 葬儀後にはじめて会った夫の兄は、仏壇の遺影を見て、「これは弟ではない」と言う。
 妻・谷口里枝は、知り合いの弁護士に調査を依頼し、夫が谷口大祐に成りすましていたことを知る。
 いったい夫の正体は?
 ほんとうの名前は何なのか?
 谷口大祐はどこにいるのか?

 原作は平野啓一郎の同名小説なので、純文学ジャンルに入るのかもしれないが、ふつうにミステリーロマンとして楽しめる。
 石川慶監督ははじめて観たが、役者の好演を引き出す丁寧な演出が光る。
 撮影は『マイ・バック・ページ』、『桐島、部活やめるってよ』、『万引き家族』、『怪物』の近藤龍人。もはや日本映画ベストキャメラマンと言っていいだろう。
 「ある男」の過去を探るミステリーという点で、今年公開された坂口健太郎主演『盤上の向日葵』を、他人への成りすましという点で、杉崎花主演『市子』(2023)を想起した。

 IT全盛の現代に、戸籍を偽って他人に成りすますということが実際に可能なのかどうかは知らない。が、「過去を隠したい、過去を変えたい」と思う人がいるのは、いつの時代も変わらぬ現実なのだろう。
 技術の進歩ほどには、人間は進歩しないのだ。

 本作で提起されるテーマは、犯罪加害者家族のその後の生である。
 ちゃんと統計的に調べたわけではないが、犯罪加害者の家族が自殺しているケースをしばしば見聞きする。
 1989年に逮捕された幼女連続誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤の父親、2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の犯人・加藤智大の弟、2014年佐世保市で起きた女子高同級生殺害事件の犯人の父親などが、すぐに思い浮かぶ。
 被害者家族の苦しみ・悲しみ・怒りは一般世間の共感や同情を呼びやすいが、加害者家族については“犯罪者を生んだ家庭”といった目で見られ、あたかも共犯者のようにみなされてしまう。犯人の実の子の場合など、“犯罪者の血”が流れているといった偏見にさらされやすい。
 XのようなSNSが発達している現代、加害者家族の一員が、いつ実名や住所や勤務先が特定されて顔写真とともにネットにアップされ、血祭りにあげられる日が来るかと、生きた心地もせず日々過ごしているのは、想像に難くない。
 別人になって、別の人生を歩めたら・・・と願うのも無理ないではないか。 

SNS炎上

 役者の演技も見どころである。
 夫を亡くした妻を演じる安藤サクラの上手さは、なんだかもう鼻につくほど。
 樹木希林や大竹しのぶや高畑淳子に連なるレベル。
 最近、庶民の妻役・母親役が多いが、それ以外の役(たとえば悪役)を観てみたい。

 窪田正孝は、戦後沖縄を描いた『宝島』で、役者としての真価を知った。
 陰ある風情が、演技に奥行きをもたらしている。
 ちょっと危険な匂いがする役者である。

 谷口大祐の兄役の眞島秀和もいい。
 老舗温泉旅館の自己中心的で頭のカタい主人の雰囲気をよく出している。
 この兄がいたら、弟の大祐が家を飛び出したくなるのも無理もない。

 やっぱり、破格の演技者は柄本明。
 『盤上の向日葵』で渡辺謙とやり合った鬼気迫る将棋の真剣師役も凄かったが、本作における詐欺の囚人役も圧巻の迫力とリアリティ。
 この男・小見浦憲男を主人公とした続編やシリーズ物が観たいと思うほどの特異な個性を身につけている。
 海外俳優で比するなら、アンソニー・ホプキンズか、ベン・キングズレーか。
 2人の息子(柄本佑、柄本時生)が役者デビューしてからの柄本の演技は、なんかグレードアップした感がある。
 ライバル心を焚き付けられたのだろうか。
 ソルティはどうも、柄本明の演技を観るたび、志村けんを背後に見てしまふ。

 安藤サクラ(演じる母親)の息子役の坂元愛登(まなと)。
 2009年生まれ(!)の16歳。
 感性素晴らしく、将来期待できる役者の卵とみた。
 小津安二郎映画に出てきそうなたたずまい。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損