99分、白黒
原作は『ひかりごけ』の武田泰淳。
昭和32年に関西で実際に起こった婦女連続暴行殺人事件をモデルとしている。
いわゆるシリアルキラーである。
この殺人犯の異常性は、死んだ女や意識を失った女を犯すことに欲情を催すところ。
つまり、ネクロフィリア(屍姦症)。
サディズム(加虐性愛)の一種とみなされるが、その奥底には、対象相手の生体が発する意志と正面から向き合うことができない人間のコンプレックスが潜んでいる。
このテーマを扱った有名な小説に川端康成の『眠れる美女』がある。
阿部定を描いた『愛のコリーダ』しかり、BLを描いた『戦場のメリークリスマス』や『御法度』しかり、チンパンジーとの獣愛を描いた『マックス・モン・アムール』しかり、大島監督は人間の異常心理に強い関心があった。
シリアルキラーを演じる佐藤慶が素晴らしい。
くっきりした硬い顎のラインと陰鬱な眼光が、獣性と鬱屈との混合を表出している。
この人はテレビドラマの悪役でならしたが、武智鉄二監督『白日夢』で愛染恭子とホンバンを行うなど、役者根性が据わっている。
この作品が映画デビューとなった川口小枝(さえだ)が鮮烈な印象を刻んでいる。
情熱的で生命力の強い田舎娘にピタリとはまっている。
大島は『太陽の墓場』(1960)でも新人の炎加世子をどこからか見つけ出してきて、作品に強い生命力を吹き込むのに成功した。
『戦メリ』のビートたけしや坂本龍一の起用を上げるまでもなく、キャスティングの才が凄い。
川口小枝は、上記の武智鉄二の娘である。
本作のあと、父親の作品はじめ何作か映画出演し、その後、母親・川口秀子が創流した日本舞踊川口流の家元を継いだ。
2016年に68歳で亡くなっている。
1966年なら当然カラー撮影可能だったはずである。
1960年に大島が撮った『青春残酷物語』も『太陽の墓場』もカラーだった。
つまり、意図的に白黒にしたのである。
それが見事に効いて、ニュース映像的なドキュメンタリータッチを作品に与えるとともに、カットの速さとあいまって、日常生活のリアリティを再現するよりはむしろ、登場人物の心象風景に焦点を当てるものとなっている。
ところどころ差し挟まれる目のアップなど、まさに登場人物の内面に鑑賞者を引き込む効果を生んでいる。
大島監督の才気に唸らされる。
篠田監督の『夜叉ヶ池』を観たばかりだったので、どうしても両監督を比較せずにはいられなかった。
大島渚、篠田正浩、吉田喜重の3人は、その新進気鋭の姿勢から1960年代に「松竹ヌーベルバーグ」と並び称された。
美人女優を妻にもったことでも共通項がある。
ソルティは、どうもこの3人を同列に論じるのは間違いではないかという気がしてならない。
大島渚と吉田喜重は、確かに「ヌーベルバーグ」と言うにふさわしい。
既存の価値観や方法論を打ち破る独自の映画スタイルと作家性を持っている。
が、篠田正浩はつまるところ大衆好みの娯楽作家と思うのだ。
もちろん、大衆好みの娯楽作品を撮るのが悪いわけでは全然ない。
大ヒットして映画賞を総なめにした『瀬戸内少年野球団』(1984)も『少年時代』(1990)も、日本映画史に残る作品である。
が、「ヌーベルバーグ」を冠せるほどの作家性はそこにはない。
篠田が60年代に撮った石原慎太郎原作の『乾いた花』(1964)はなかなか良かったが、大手映画会社から脱して自己プロダクションとATG製作で撮った『心中天網島』(1969)は、スタイルこそ目新しかった(前衛的)ものの、テーマ的には凡庸――というより近松門左衛門の原作をなぞったものでしかなかった。
篠田監督は見るからに温厚で“いい人”っぽく、美しい妻を得て、大衆に愛されて、円満な人生を送られた。
大島や吉田のような強い反体制思想は持っていなかったんじゃなかろうか?
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
