1999年角川文庫
犯人の正体や動機やトリックが最初から読者に知らされている、いわゆる倒叙型ミステリーである。
この手のミステリーの一番のスリルは、完全犯罪と思われたものが、警察や探偵の粘り強い捜査によって少しずつ突き崩されていくところにある。
典型的な作品が『刑事コロンボ』であることは言うまでもない。
読者(視聴者)は、些細な手がかりからホシに目をつけ、トリックを見抜き、犯罪を再構成する探偵の手腕に舌を巻きながら、一方で、「捕まらなければいいなあ」と心の中で犯人を応援している。
それは、主役である犯人の視点から物語をたどっているうちに、ストックホルム症候群さながら、いつの間にか犯人の気持ちに共振してしまうからであり、また、作者がそのように共感し得る犯人像を作り上げるからである。
これは当たり前の話であって、まったく共感できない、まったく好きになれない、まったく魅力を感じない人物が主人公である小説など、最初から読みたくない。作者もまた書いても面白くないであろう。
本を買ってもらい、小説を読んでもらい、物語を楽しんでもらうことが、作家や編集者の最終的な目的なのだから、たとえ『悪の聖典』の蓮実聖司や『羊たちの沈黙』のレクター博士のような稀代のサイコパスであろうと、魅力的なキャラクターに仕立て上げなければならないのである。
『刑事コロンボ』が成功したのは、ピーター・フォークの名演以上に、毎回出演する犯人たちがそれぞれに魅力的だったからだろう。
本作の真犯人・櫛森周一は湘南の高校に通う17歳。
頭が良く、手先が器用で、ロードレーサーを颯爽と乗りこなし、隠れて煙草や酒をたしなみ、友人やガールフレンドにも恵まれ、母親と妹を大切に思う普通の少年。
彼が完全犯罪を企むきっかけは、母親の再婚&離婚相手が振るう家庭内暴力。
「このままではさらなる地獄が待っている。俺が何とかしなければ・・・」
どうしたって周一を応援せずにはいられないではないか。
読者は周一の企む“完全犯罪”の一部始終を目撃し、共犯者となる。
だが、フィクションにおいて完全犯罪は成立しない。
倫理的な問題もあるが、むしろ、完全犯罪が成立するってことは推理の出番がないからである。
完全犯罪が成立し、探偵は敗北し、事件はお蔵入り。「犯人は捕まらないまま幸せに暮らしましたとさ」では、ミステリーにならない。
そこで作者は、犯人が完全犯罪を成し遂げたように見せかけつつ、あとで露見するいくつかの“ボロ”を仕込んでおく。
本作の場合なら、自転車を使ったアリバイの稚拙さ、犯行に使った医療用の鍼やコードの廃棄方法のずさんさ、殺人現場に血圧計を残した不注意、自らの職場(コンビニ)を第2の犯行現場に選んだ軽率さなどである。
冷静に考えれば、たとえば、第1の犯行現場である自宅と学校とを結ぶ湘南の道路を全速力で自転車で往復したら、誰かに目撃され記憶されるのは明らかであろう。
「おや? あれはいつも自転車通学している高校生じゃないか。こんな日中にあんなに急いで、どうしたんだろう?」
犯行に用いた凶器を地元の砂浜に捨てるのも不用意が過ぎる。普通にゴミに出して回収してもらったほうがよっぽど足がつかない。公共のトイレに流したっていい。
このようないくつかの信じ難い“ボロ”は、理系の秀才少年像とギャップがあるのだけれども、「そこはやっぱり高校生なんだな。大人ぶっていても詰めの甘さに稚さが出てしまうんだな」ってところに回収され読者に不自然さを感じさせないのが、貴志祐介のプロットの巧いところ。
完全犯罪が崩れるきっかけとなる因にこそ、犯人のひととなりが一番現れるのである。
犯行後に感情をコントロールできず、周囲から不審に思われてしまうあたりも読者の共感を呼ぶ。(高校の国語教科書に出てくる『山月記』の利用のうまさ!)
犯行後に感情をコントロールできず、周囲から不審に思われてしまうあたりも読者の共感を呼ぶ。(高校の国語教科書に出てくる『山月記』の利用のうまさ!)
フィクションでは完全犯罪は成り立たないと書いたけれど、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』や『カーテン』は、ある意味、成功した完全犯罪の記録である。
ただ、両作とも真犯人は最後に亡くなっている。
それが読者に対する“言い訳”として機能している。
つまり、犯人自身の命と引き換えの完全犯罪なのである。
犯人が捕まることもなく、死ぬこともなく、最後まで正体がばれることもなく、心を病むこともなく、犯行後も平凡に生き続けるような完全犯罪ミステリーってあるのだろうか?
狭山事件、袴田事件、府中3億円事件、グリコ森永事件、赤報隊事件、東電OL殺人事件・・・・e.t.c.
現実の犯罪事件では数えきれないほどありそうだが。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損」
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★ いい退屈しのぎになった
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