當麻寺(たいまでら)は当麻寺とも書く。
 奈良時代の継子いじめ譚のヒロインである中将姫で有名なお寺で、本堂の本尊は、出家して尼になった中将姫が一夜にして織り上げたという極楽浄土を描いた曼荼羅である。
 もっとも現物は非公開であり、現在厨子に納められて参拝者が目にすることができるのは、室町時代以降に造られた転写本である。
 中将姫はまた、バスクリンで知られる津村順天堂のかつてのロゴマークであった。

中将姫ロゴマーク

 しかしながら、ソルティにとって當麻行きの第1目的は、白鳳時代の弥勒菩薩像と四天王像にある。
 これを観ないことには白鳳仏を語る資格がない、いや日本の仏像を語ることができないと思った。
 奈良大学通信教育の美術史概論のテキスト『日本仏像史』(水野敬三郎監修)に載っている広目天の写真を見ただけでも、その厳かなたたずまいのうちに秘められた深い心のありようが感得される。
 実物を観たら、どんな印象を受けるだろうか?

 さらに、第2目的として當麻寺のうしろに聳える二上山(にじょうさん)に登りたかった。
 奈良市から飛鳥地方に向かう道中の右手の地平線に2つのコブを持って黒々と蟠り、藤原京跡のどこからでも眺めることのできる、ひときわ目立つ山容は登山欲をそそるに十分。
 あの山のてっぺんから、大和三山を抱く藤原京跡や、山の反対側に広がる大阪の景色をこの目で見てみたい。
 如月の山の寒さは気になるけれど、冬なればこその空気の透明度は見事な展望を約束してくれるだろう。
 実に、飯能の天覧山&多峰主山以来、1年3カ月ぶりの山登りとなった。
 
二上山
藤原京跡から望む二上山

●日時 2026年2月17日(火)
●天気 快晴、風無し
●行程
09:25 近鉄南大阪線・当麻寺駅
      歩行開始
09:40 當麻寺(2時間滞在)
11:40 登山スタート
12:00 當麻山口神社
     道を間違え40分のロス
12:40 當麻山口神社横の大池
13:20 雌岳山頂(474m) 
     昼食休憩(40分)
14:20 雄岳山頂(517m)
14:30 大津皇子の墓
15:00 葛城二上神社
15:20 近鉄南大阪線・二上神社口駅
      歩行終了  
●所要時間 6時間(歩行3時間+寺滞在2時間+休憩1時間)

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近鉄南大阪線・当麻寺駅

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我を招く二上山
藤原京跡あたりから見ると存在感はんぱなく、かなりの高さに感じる。が、実際にはソルティの庭山的存在である高尾山(約600m)よりずっと低い。小学校高学年の遠足レベルである。(と油断したのがまずかった)

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當麻寺山門

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聖徳太子の弟・麻呂子親王が612年に河内国につくった万宝蔵院を、618年に役行者が当地に移したと伝えられている。当初は南都六宗の一つである三論宗であったが、現在は真言宗と浄土宗の両宗を奉じている。

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白鳳時代の梵鐘(国宝)
日本最古の鐘である

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西側に立つ麻呂子山を背景に、奥に本堂、その手前に講堂と金堂が並び立つ。
広々とした空間がすがすがしい。

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本堂(国宝)
内陣は天平時代、外陣は藤原時代につくられた。
ここに中将姫ゆかりの曼荼羅の転写本(約4m四方)が、源頼朝寄進の須弥壇の上の厨子の中に飾られている。が、全体に黒ずんでしまっている上に堂内が暗く、部分的にしか形象がわからない。ちょっとがっかり。

講堂(重文)
本尊の阿弥陀如来坐像(藤原時代)は修復中で不在であった。
ほかは、妙にセクシーな平安前期の妙幢(みょうどう)菩薩像、ジャイアント地蔵菩薩(約240cm)が見どころ。

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金堂(重文)
完全な異空間。
弥勒菩薩坐像とそれを取り巻く四天王たちが醸し出す清澄にして大らかな白鳳の空気が、観る者の体を包み、浄化する。
  • 弥勒菩薩坐像(塑像、約220cm)
    幅の広い堂々たる胸と大きな掌が示す自信と包容力に圧倒される。表情はわかりづらいが、間違いなく人間精神とは別次元におられる。左右に大きく開いた脚を覆う衣の襞が単純ながら美しい。この逞しきラガー体型、京都木津川の蟹満寺の釈迦如来坐像といい勝負である。
  • 持国天立像・増長天立像・広目天立像(脱活乾漆造、217~221cm)
    まったく非の打ちどころがない。表情の豊かさと滋味深さはギリシア古典彫刻を思わせる。持国天の憂いを含んだまなざしは興福寺の阿修羅像を連想させ、ラウンドひげの似合う増長天の闊達な笑みは、十牛図の最後に登場する酒瓶を持った仙人のよう。そして、何事にも動じない広目天の落ち着きと静かさは「悟りの境涯かくあるべし」といった趣き。こんな表情を生み出せる仏工の名が残っていないことに驚くほかない。
  • 多聞天立像(木造彩色、像高217.6cm、鎌倉時代)
    この一像だけ鎌倉時代の後補。可哀想だが、他の三像と比べると段違い。むしろ、「多聞天は紛失」で空所にしておいたほうが良かったのではないか。堂内でひとりだけ異なる次元にいて、異なる風景を見ているように思われる。
 興福寺北円堂展で観た四天王も、東大寺の法華堂や戒壇堂で観た四天王も、それぞれに素晴らしかった。
 だが、ソルティ的には、當麻寺の四天王もとい三天王に勝るものなし。
 人間業を超えたものを感じた。

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西塔(国宝)
創建当時の塔が東西ともに残っているのはここだけ。

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東塔(国宝)
どちらの三重塔も美しい。が、周囲を建物がとり囲んでいて、空間との拮抗の様子が確かめられない点が残念。

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塔に使われている軒丸瓦
複弁蓮華文軒丸瓦という。素弁蓮華文(飛鳥時代)、単弁蓮華文(白鳳時代前半)に継いで、白鳳時代に出現した型式である。文様がだんだんと複雑化していくところから、逆に瓦を見れば建物のつくられた時代が類推できる。

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中之坊・本堂(桃山時代再建)
中将姫が剃髪した授戒堂
本尊は「導き観音」の愛称を持つ十一面観音

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香藕園(こうぐうえん)
桃山時代に完成した名園
借景の東塔がばえている

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書院と茶室
第111代天皇後西院陛下を迎えたという

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中将姫像
奈良時代の右大臣藤原豊成の娘。継母による虐待を逃れ、淳仁天皇からのプロポーズを逃れ、17歳で當麻寺にて出家。法如と号す。
宝亀6年(775年)春、29歳で入滅。

中将姫絵伝(部分)_(中之坊霊宝殿)
曼荼羅を織る中将姫
「中将姫絵伝」(當麻寺中之坊霊宝殿より)

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ならまち(奈良市)にある誕生寺
ここに藤原豊成の屋敷があった

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ここを詣でると手芸が上達する
――という噂は聞かない

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當麻山口神社
山登り前に土地の神様にご挨拶するのが恒例
・・・・が、信心(あるいはお賽銭)が足りなかったのか、ここで道を間違えて往復40分のロス。たまに勘に頼って確認せず進んでしまう困った癖がある。

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神社横の大池に戻って再スタート
おかげで体が十分に温まった

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道は歩きやすく、わかりやすかった。
久しぶりの登山で息もたえだえ。すれ違った若い女性に励まされた。

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雌岳山頂(474m)
風もなく暖かい、いや暑い!

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山頂は広々して、眺めは爽快
ベンチも複数あり
Tシャツ一枚になってランチタイム

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奈良県側
盆地の中に耳成山と畝傍山が浮島のごとく見える。
両山を含む一帯が藤原京跡である。

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葛城市、御所市を経て和歌山県に至る

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大阪市方面

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堺市方面
大阪湾が霞んで見える

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雄岳山頂(517m)
こちらは展望なし

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どなたかが残した登頂記念

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大津皇子の墓
天武天皇の第2皇子で、母親は鸕野讚良皇女(後の持統天皇)の実姉だった。
天武崩御後の皇位継承をめぐる争いの中で、ライバルの草壁皇子(天武の第3皇子で鸕野讚良皇女の実子)に対する謀反の疑いをかけられ、自害に追い込まれた。享年24。
真相は、自分の息子を皇位につけたい鸕野讚良皇女による陰謀の可能性が高い。

うつそみの 人なる我や 明日よりは
二上山(ふたかみやま)を 弟(いろせ)と我(あ)が見む
(『万葉集』にある大津皇子の実姉・大来皇女の歌)

明日からは二上山を弟と見よう。
この世に置いていかれてしまった私にできるのはそれだけ。
(ソルティ訳)

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葛城二上神社(ふもとの拝所)
主祭神は、豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神。
もともとは、雄岳と雌岳を男女二神に見立てて崇拝したものと思われる。
男体山と女体山をもつ筑波山と同じだ。

筑波山
筑波山

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近鉄南大阪線・二上神社口駅
ゴール‼
体力&脚力の低下を痛感した。
7年前に四国遍路で1400km歩き通した男と同一人物とは思えない。
鍛えなきゃ。

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駅のホームから二上山にアデュー。

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樫原神宮前駅で下車し、最寄りの銭湯に寄る(480円)
地元のおっさん連中に混じって、「いい湯だな!」