つまり、中4日(月~木)のフリーデーを挟む丸々10日間を奈良で過ごした。
一つの町でのこれだけ長い滞在(在住でなく)は、20代末のイタリア旅行のローマ1ヶ月滞在以来だった。
近鉄奈良駅から徒歩10分弱のならまちにある格安ホテルにstayした。
ホテルの玄関も各部屋のドアも事前に伝えられた暗唱番号で開けるシステムなので、建物に管理人がいない(フロントがない)。
各部屋にはロフト、トイレ、シャワーがついて、もちろん wifi 完備。
無料で使える共用の洗濯機や乾燥機やキッチン(食器)があり、長期滞在にはいたって便利であった。
なにより、春節の中国人がいないので、ホテル代が軒並み安くなっているのは助かった。

ずっと、“もいちど(もう一度)の”センター街と思ってた。
“もちいどの”である。
名前の由来はこちら。

ホテルの部屋
夜も静かで落ち着けた。
寝るのはロフト。
若い頃ロフト付きアパートに憧れたものだが今は歓迎せず。
夜中に一度はトイレに行くので、下り上りがめんどくさい。
新花園温泉(500円)
たまには湯船に浸かりたい。
宿から8分の銭湯を利用した。
外も中も昭和の匂いがぷんぷん。
洗い場には地域のクリカラモンモンの男衆や2m級の外国人もいた。
宿近くのスーパー
食材の仕入れに重宝した。
前にあるたこ焼き店につい足を止めてしまう。
5個入り500円

着いた翌朝、宿を出るといきなり鹿と遭遇。
路地にまで入り込んでくるとは、さすが奈良だ。
奈良大学正門
講師は岩戸昌子先生であった。
奈良国立博物館に14年間勤務したあと、奈良文化財研究所で平城宮遺跡の発掘調査に関わったという経歴の持ち主。
話し出すと止まらないのは考古学者の特徴なのか、それとも奈良大学教職員の文化なのか、教室でも資料館でも遺跡でも次から次へとあふれ出す蘊蓄とパワフルなオーラに圧倒された。
1日目
午前 〈講義〉考古学の方法と調査、遺構・遺物を見る
午後 〈講義〉考古資料から歴史にせまる~論文をまとめるまで~
〈実習〉3つの班に分かれて自己紹介
2日目
午前 〈講義〉平城宮跡概説
〈実習〉図書館の利用法、遺物の観察
午後 〈実習〉平城宮巡検
3日目
午前 各自の研究計画のポスター作成
午後 ポスター発表

ソルティは『考古学概論』のレポートを2回も書いているので(3回にならないことを望む)、復習になった。
考古学の定義、目的、歴史、文献史学との違い、基礎的方法(型式学と層位学)、自然科学的方法(炭素14年代法と年輪年代法)、文化財を研究しかつ守る意義などを、考古学界隈で起きた興味深いエピソードを交えながら、わかりやすく語られた。
先生は考古学の目的を、「過去のヒトの“営み”の痕跡を探し、人間の過去を復元すること」と定義された。
さまざまな時代、さまざまな地域の人間の過去を復元することで、人間社会を理解することが最終的な目的であり、だからこそ、文化財を学びかつ守る意義があると力説された。
バブル崩壊このかた、予算逼迫の日本社会にあって、国会議員を筆頭に功利主義的言説が飛び交う中、研究者としてのアイデンティティを自身に問いかけながら、地道な研究を続けて来られたんだなあと思った。
また、自ら学生時代に書いた卒論を紹介しながら、卒論の書き方についてレクチャーしてくれた。
実践的で役に立つ内容だったが、奈良時代の建物の鬼瓦に関する先生の卒論があまりにも質が高すぎて、「いや、自分にはハードルが高すぎる」と思ったのは、ソルティひとりではあるまい。
2日目はメインの平城宮巡検。
80名を超えるオジ&オバ軍団がバス2台に分乗し、奈良大学から平城宮に向かい、朱雀門前に解き放たれた。
奈良大学の通信教育も昨年20周年を迎えた。
イヤホンを片耳につけたシルバー軍団の行列は、いまや、極寒と酷暑の奈良の名物と化しているのではあるまいか(笑)
上着もスパッツも要らないほどのぽかぽか陽気で、最高のフィールドワーク日和であった。
3日目のポスター作成&発表は、昨年とった『文化財学演習Ⅰ』のスクーリングで体験済みなので戸惑うことはなかった。
が、卒論テーマがまだ見えていないソルティは、昨年とまた違ったテーマを選んだので、それを調べてまとめるのに手間取った。
事前にしっかり準備してきた人は、大学が用意した模造紙に持参の原稿や写真を貼り付け、氏名と学籍番号を書き入れ、20分もかからず完成させ、あとは自由時間を満喫していた。
ソルティは昼休みに入っても仕上がらず、ちょっと焦ってしまった。
3つの教室の壁にびっしり貼られた80名余の研究計画ポスターは、実にバラエティに富んで、面白かった。
同じ歴史文化財学科の文化財専攻でも、ひとりひとりの関心の的はこんなにも違うものか!
坂出の国宝神社、隠れキリシタンの遺跡、道祖神について、鎌倉時代の十二神将像、犬山古墳、川口市(クルド人問題で揺れているところ)の縄文遺跡、ヤマト王権の鉄づくり、奈良時代の食事、古代のトイレ、宝塚の船型埴輪、多賀城にあった寺、高千穂神社の彫刻・・・e.t.c.
もっと一つ一つじっくり読んで、作成者の話を聞きたかったなあ。
今回は初日の講義を終えた後に、大学の食堂で茶話会があった。(参加費500円)
どれくらいの人が参加するんだろうと思いつつ、ソルティも参加希望に丸を付けた。
ふたを開けたところ、200名以上の参加者。
広い食堂のほぼすべてのテーブルがびっしり埋まっている光景は圧巻であった。
図書館でポスター作成のための調べ物をしていたソルティが、開始時間にちょっと遅れて入ったところ、すでに会場は会話の花が咲き、団欒の実がたわわ。
みんな、他の受講生との情報交換や気持ちのシェアを望んでいたんだなあ。
各テーブルには学長はじめ教職員や学生さんも加わって、盛り上がる一方。
あっという間の60分であった。
ソルティのついたテーブルでも、互いの学習の進捗状況を報告しあったり、通過するのが難しいレポート科目や試験科目について情報交換したり、それぞれの地元の文化財について話したり、学長や教職員に質問をぶつけたり、話のタネが尽きなかった。
各人に紙パックのお茶とクオリティ高い奈良のお菓子が配られて、総じて有意義な会であった。
こういう機会があると、モチベーション回復に役立つな。(現在、ソルティは若干の“中2病”にかかっている)

近鉄奈良駅のそばの啓林堂書店
受講生ならだれもが一度は行っているだろう。
えっ、行っていない?
以下、2日目の平城宮巡検について。

平城宮マップ

朱雀大路に飾られた復元・遣唐使船
水に浮かべられていて、乗船することができる

朱雀門ひろば
ボッチャを楽しむ老若男女や家族連れで賑わっていた。
市民に活用され愛されてこその文化財と実感した。
右側に見える「平城宮いざない館」を見学した。
棚田嘉十郎銅造
平城宮跡保存に生涯をささげた男。
地元では小学生でも知っている郷土の誇り。
第二次大極殿跡を指している。
第一次大極殿の1/5模型
「第一次」とあるのは、聖武天皇はいったん(740年)平城宮を捨てて、恭仁宮・紫香楽宮・難波宮と放浪したから。745年に奈良に戻り「第二次」大極殿を元あった場所の東隣りに造営した。
平城宮の復元ジオラマを囲む受講生たち
周波数統一したFMラジオのイヤホンにより、先生の説明を聞いている。
出土した木簡
木簡とは墨で文字が書かれた木片のこと。
歴史書とは違って、庶民のリアルな生活の様子が分かる貴重な文化財である。
長屋王の邸に届いたアワビの荷札。
大邸宅の主を突き止める決め手になった。
邸跡は、「地元や研究者の反対にもかかわらず遺構の多くは建設により破壊され、奈良そごう、イトーヨーカドー奈良店として利用されていた。しかし、両店とも2017年に閉店してしまう。このことから“長屋王の呪い”とも囁かれた。翌2018年4月にミ・ナーラとしてリニューアルした。現在は敷地の一角に記念碑が設けられている」
(ウィキペディア『長屋王』より抜粋)

出土した軒丸瓦
考古学を学ぶ前は、瓦(の文様)がこんなに重要だとは知らなかった。
現代の通信機器のスタイルが「黒電話⇒プッシュホン⇒肩掛け式携帯電話⇒ピッチ⇒折り畳み式携帯⇒スマホ」と変化したように、瓦の文様にも時代により変化があった。それにより、建物の造られた時代を推定することが可能となる。これがいわゆる「型式学」である。瓦は木材とは違って残りやすいのだ。
鬼瓦
蹲踞スタイルの鬼の文様は日本独特のものだとか。
「どすこい鬼瓦」と名づけたい(笑)
むろんソルティも「我が国のもっとも古い貨幣は708年和同開珎」と習った世代。
平成10年(1998)に奈良県飛鳥池遺跡で7世紀後半の地層から富本銭が見つかった。これにより歴史教科書が書き換えられたのである。
これぞ「層位学」の成果。
推定・宮内省
内裏跡に隣接しているところから天皇を支える役所だったと推測される。
地層から瓦が見つかっていないので、檜皮葺(ひわだぶき)による建物が復元されている。
第二次大極殿跡から南を望む
前に立つ3本足の列柱は、重要な儀式のときにヤタガラス、日と月、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)などの幡を飾った跡。正式には宝幢(ほうどう)と言う。
第二次大極殿跡から若草山・春日山を望む
山焼きの跡があるのが若草山
大極殿から東大寺が見えるのというのは本当であった!
第一次大極殿
天皇の即位式など重要な国家儀式に使われていた。
設計図や図画が残っているわけではないので、発掘調査や今に残る古代の建築物をもとに復元された。上階に登ることができる(無料)
高御座(たかみくら)
天皇が着座する玉座
玉座から見える風景
平城宮の一番北、すなわち平城京の一番北に大極殿はあった。
つまり、奈良盆地の北端にあり、ぐるりを山並みに囲まれつつ南側に広がる盆地を、一望のもとに見渡す位置にある。
「これが王様の視点か・・・」
3日目の終わりに岩戸先生は次のようなことを語られた。
思わず涙が出そうになった。
奈良県出身の某総理大臣にこの言葉を聴かせたい。

