1980年講談社
2007年講談社文庫(新装版)
本書を借りたのは、2月の奈良大学のスクーリングに行く前であった。
江戸川乱歩賞受賞作で、百人一首の歌人のひとりである猿丸太夫をテーマとした歴史ミステリーという事前知識しかなかった。
江戸川乱歩賞受賞作で、百人一首の歌人のひとりである猿丸太夫をテーマとした歴史ミステリーという事前知識しかなかった。
猿丸大夫は、
奥山に 紅葉ふみ分け 鳴く鹿の 声聴くときぞ 秋はかなしき
の作者である。
山登りが趣味のソルティは、秋の山中を落葉を踏みしめながら独り歩いているときによくこの歌が頭に上る。
恋(=交尾)の相手を探す鹿の痛切な鳴き声を実際に耳にしたときなど、「なんとよくできた歌だろう!」と感心したりする。
歌の作者がどういう人物なのかよく知らないが、蝉丸(「知るも知らぬも逢坂の関」)と響き合う猿丸という語感から、「あまり身分の高くない人」と、百人一首で遊んでいた少年の頃からなんとなく思っていた。
大夫(だゆう)という名称も、江戸時代の高尾太夫とか吉野太夫など、いわゆる遊廓のトップ女郎か、あるいは、昔物語『安寿と厨子王』に出てくる悪人・山椒大夫を想起させ、好ましいイメージは結ばれなかった。
しかるに、今回知ったところでは、大夫(太夫)とは、古代中国における身分呼称のひとつで、本邦の律令制では五位以上の男性官吏を指す称号として用いられていたとの由。
やがて時代が下ると、大夫は五位の通称となり、さらに転じて身分のある者への呼びかけ、または人名の一部として用いられるようになった。五位というのは貴族の位の中では最下の位であったが、地方の大名や侍、また庶民にとってはこれに叙せられるのは名誉なことであった。そこでたとえ朝廷より叙せられなくとも一種の名誉的な称号として、大夫(太夫)を称するようになったのである。
(ウィキペディア『大夫』より抜粋)
猿丸大夫は生没年不明の謎の多い人物であるが、くだんの歌は『古今和歌集』に収録されているので、少なくとも『古今和歌集』が成立した平安前期以前、すなわち藤原京か平城京の律令制の始まる時代に生きた歌人なのである。
とすれば、宮中に出仕していた貴族のひとりということになる。
10日間のスクーリングツアーから帰ってきて、おもむろに本書を読み始めたら、びっくらこいた。
本書の主人公=探偵役は古代に詳しい文学者の折口信夫で、国学院大学の学生である20代の折口が、ひょんなことから“いろは歌”と猿丸大夫の歌に隠された秘密を知り、その謎を解いていくという話なのである。
びっくらこいたのは、謎解きの過程で触れられるトピックに、持統天皇による大津皇子の謀殺と、桓武天皇による早良親王の謀殺が出てきたこと。
つまり、今回ソルティがスクーリングに合わせて訪れた二上山や御霊神社がまさに物語のテーマとリンクしていたからである。
つまり、今回ソルティがスクーリングに合わせて訪れた二上山や御霊神社がまさに物語のテーマとリンクしていたからである。
あたかも、本書を深く読むための予習として今回の旅が用意されていたかのような、いや、むしろ、何者かが本邦における御霊信仰の闇をソルティに教えるために、本書との出会いを含む一連の事象を仕組んだかのような、“動かされている”感を味わった。
折口信夫がソルティと同じセクシャルマイノリティであるということも、また、本書の終わりのほうで奈良の猿沢池における折口信夫と南方熊楠との出会いが描かれていることも、なんだかスピリチュアルな因縁を感じさせた。
読むべき時に読んだ本、といった納まり方。
読むべき時に読んだ本、といった納まり方。
本書の面白さは、暗号ミステリーと歴史ミステリーの融合にある。
猿丸大夫と柿本人麻呂が残した歌を利用して、よくこんな暗号を考えついたなあと井沢の発明力に感心した。
(猿丸大夫=柿本人麻呂)同一人物説は、梅原猛の『水底の歌―柿本人麿論』が元ネタらしい(ソルティ未読)が、それを敷衍して、「××一族を倒して皇統を正す」ことを宿願とし、隠れ里で千年以上も伝承と儀式を続ける猿丸一族――なんて着想も面白過ぎる。
ここまで来ると、もはや伝奇小説の範疇に入るだろう。
『写楽殺人事件』同様、江戸川乱歩賞のミステリー定義の幅の広さを証明する快作である。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
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★★ いい退屈しのぎになった
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