1981年ポーランド
97分
ソルティの映画鑑賞歴も40年以上になるが、この監督の名前はついぞ聞いたことなかった。
ピョトル・シュルキン(1950-2018)は、1970年代末~80年代にかけて社会主義体制下のポーランドで映画を撮っていた監督である。
彼の作品は本国では一時上映禁止となり、商業的にはポーランド国外に知られることなく、当然、西側諸国で上映されることもなかった。
今回の渋谷のイメージフォーラムでのSF《文明の終焉4部作》の上映が、日本劇場初公開だという。
《文明の終焉4部作》
『ゴーレム』(1979)
『宇宙戦争 次の世紀』(1981)
『オビ・オバ 文明の終わり』(1985)
『ガガ 英雄たちに栄光あれ』(1986)
4部作の一つを観て、「こんな監督がいたんだ!」、「こんな怖ろしい作品が、日本中がバブルに浮かれていた頃に撮られていたんだ!」という衝撃に襲われた。
4部作を連続で観ることもできたのだが、あまりの衝撃の重さにとても消化しきれず、1本だけ観て渋谷の街をあとにした。(残り3本はおいおい観たい)
難しい映画ではない。
陳腐と言えるほどオーソドックスなSF映画である。
地球にやって来た火星人が、友好の顔を見せながら、人類を支配下に置き、洗脳していくさまが描かれる。
当然、CGやVFXなんてないし、ハリウッドSF大作のように金をかけているわけもない。
しかし、観ている間じゅう背筋が凍るようなリアリティと怖ろしさとで、場内の暖房がいつの間にか冷房に切り替わったのではないかと思うほどだった。
怖ろしさのもとは、火星人ではない。
白いもこもこしたダウンジャケットを着たゴムまりのような体型の“平たい顔族”の火星人は、バブルの頃の日本人をモデルにしたんじゃないかと一瞬思ったが、自己卑下が過ぎるかもしれない。
彼らは、人類をはるかに超越した知能と技術で人間たちを意のままに操っていく。
あくまでも表面上は、人間側が火星人への友情を示すために“進んで”火星人に協力している、という自己決定の形を装いながら。(GHQに進んで協力した戦後日本人のように)
怖ろしさの源は、最高権力者である火星人に忖度して、自ら支配機構の従順な番犬や羊になり下がっていく地球人の姿である。
独裁体制が成立するのは、カリスマ的な独裁者の力のみならず、さまざまな動機からそれを陰に陽に支えていく民衆あってのことなのである。
むろん、この映画が揶揄しているのは、すなわちシュルキン監督が火星人侵略に仮託して描き出そうとしたのは、ソ連の番犬となったポーランド社会主義&全体主義国家の現実であった。
であればこそ、この作品は上映禁止になったのだろうし、国外にフィルムが流れることもなかったのである。
しかるに、ソルティが観ていて感じた怖ろしさは、80年代のポーランドをはじめとするかつての社会主義国家の全体主義の様相だけではなかった。
トランプのアメリカが今まさに“火星人侵略”の過程にあり、それに追随する日本もまた、この作品で描かれている不条理を現実化しようとしている。
その予感に震えたのである。
作品中で、シュルキン監督が主人公の男の口を借りて語るポーランド人の国民性、すなわち、「従順で受動的で他者に迷惑をかけないことを美徳とする」は、まさに日本人のことではないか。
45年以上前のポーランド映画が、こんなにも現代日本に重ねられる日が来るとは!
こんなに怖ろしい映画体験は滅多ない。おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損

