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2014年吉川弘文館

 隠れキリシタンと聞いてソルティの脳裏に思い浮かぶイメージは、次の2つである。

 まず、遠藤周作著『沈黙』とマーティン・スコセッシ監督によるその映画化
 すなわち、徳川幕府の禁教政策下における迫害・殉教・潜伏のシリアスなイメージ。
 外国からの宣教師がいなくなったあとも、密かに暗がりに集まって十字架やマリア観音を拝みながら、キリストの教えと信仰を守り、子孫に伝え続ける敬虔な村人たちの姿。

 いま一つは、諸星大二郎のコミック『妖怪ハンター・生命の木』で描かれた、東北の山中の「かくれキリシタン」の末裔が暮らす部落の物語。
 こちらは、聖ジョン(ヨハネ)を「さんじゅわん(3人のじゅわん)」と解したり、ジーザス(イエス)を「善ず」となまったり、300年以上の潜伏で変容しきったキリスト教の奇怪な姿が描き出され、しまいには「おらといっしょに、ぱらいそさ、いくだ‼」の衝撃展開。
 コミカルなまでの邪教色と怪奇色。
 諸星の非凡な創造力に感嘆した。

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 本書を読む前に、いくつかの疑問があった。
  1.  なぜ戦国・江戸時代にこれほど多くの民がキリスト教に改宗したのか?(江戸初期において総人口の約3%=約30万人)
  2.  彼らはどこまでキリスト教を理解していたのか?
  3.  なぜ秀吉や家康はキリスト教を禁止したのか?
  4.  なぜ多くのキリシタンは迫害にかかわらず棄教しなかったのか?
  5.  隠れキリシタンはいつまで存在したのか?
 著者の宮崎賢太郎は、1950年長崎生まれ。
 学生時代に地元長崎の生月島のカクレキリシタンのフィールドワークを行ったことをきっかけに、30年以上にわたり長崎県下のカクレキリシタンの調査研究を行ってきた。
 本書には、長年の研究から見えたカクレキリシタンの実像が報告されている。
 それは冒頭に書いたソルティの2つの「隠れキリシタン」イメージとは相当に異なるものであった。

 ここで宮崎が「カクレキリシタン」というカタカナ表記を用いたのには理由がある。
 徳川幕府がキリスト教を禁止し外国人宣教師を追放・抹殺してから、キリシタンは地下に潜らなければならなくなった。実際に“隠れ”る必要があった。
 が、明治に入って1973年に禁教令が撤廃されたあと、江戸時代から先祖代々のキリシタン信仰を守り続けてきた人々は、キリシタンであることを秘して“隠れ”る必要はなくなった。
 この両者を同じ「隠れキリシタン」という言葉で表現するのは適当でないからである。
 そこで宮崎は、キリシタン禁教令が出されていた江戸時代の信徒を「潜伏キリシタン」、禁教令が撤廃された後も潜伏時代の信仰形態を続けている人々を「カクレキリシタン」と区別しているのである。

 なので本書は、主として、明治~昭和・平成までのカクレキリシタンの実態について書かれているわけであるが、かと言って、潜伏キリシタンとカクレキリシタンの信仰形態に大きな違いがあるわけではない。
 重要なのは、宣教師がいなくなって日本人キリシタンだけになってから、もともとのキリスト教の教義が失われ、儀礼の方法も自己流になっていき、代が変わるにつれ変容の度合いを深め、表面上はキリスト教っぽい形態を残しながらも中身はまったく異なるものに様変わりしたという点である。

 本書は、1549年にフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本にもたらされた経緯からはじまって、キリシタンが爆発的に増えた理由や日本人の理解レベル、秀吉や家康が禁教令を出した理由、転ばずに殉教を選んだ者の心理、潜伏時代のキリシタンの状況、そして明治以降のカクレキリシタンの信仰に関する実態――組織形態、信仰対象、祈り、行事、洗礼・葬送儀礼、本書執筆時における現状など――が、読みやすくまとめられている。
 小説や漫画やマスメディアを通して得られる紋切り型のイメージではなく、地道で粘り強い長年のフィールドワークを通して得られた研究結果であるだけに信頼が置けるし、そうした実証的な報告によらずにイメージだけで何かを判断することの軽率さとリスクを思わされた。

ザビエル銅像
鹿児島市内にあるフランシスコ・ザビエルの肖像
教科書の肖像画とまったく似てない
 
 宮崎は、江戸時代の潜伏キリシタン、および明治以降のカクレキリシタンの実像について、以下のように述べている。

 唯一絶対なる神の存在を説くキリスト教に改宗することは、仏壇や位牌も焼き捨て、その他あらゆる日本の諸神仏は偽りの神として否定するということにほかなりません。
 ご先祖様をこれほど大切にする日本人が、そんなに簡単に仏壇や位牌を焼き捨てることができたはずがありません。筆者は高山右近のような一部の例外的な人物を除けば、日本人の中で本当の(一神教としての)キリスト教信仰を理解し、実践することができた人はほとんどいなかったのではなかろうかと考えています。

 キリシタンは南蛮渡来の新たな仏教の一派として、在来の神仏よりも一層願いを叶えてくれる力ある神として仲間に加えられたのです。・・・・神も仏も、キリストもマリアも、彼らの願いを等しく叶えてくれるありがたい存在であり、在来の多神教的神仏信仰の上にさらにキリシタンという新たな神を一つ重ねたにすぎませんでした。

 カクレキリシタンは隠れているのでもなければ、キリスト教徒でもなく、キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的な日本の民俗宗教の一つといっていいでしょう。

 カクレキリシタン信仰の本質を一言で言い表すとすれば「フェティシズム的タタリ信仰」といえるのではないでしょうか。

 潜伏時代より明治以降現代に至るまで、日本におけるキリシタン信仰の本質はキリスト教と見なすことができるようなものではなく、日本の民衆社会における呪術的信仰に根ざしたものであるということができるでしょう。

 まったくのところ、日本における仏教受容の様相と変わるところがない。
 末木文美士著『日本仏教史』の記述を思い出した。

 こうした仏教の受容の仕方は、単にその時点だけの問題だけでなく、日本仏教全体の問題として後まで尾を引くことになる。すなわち、法(教理・思想)や僧(教団)よりも仏の崇拝が中心であること、難しい理論ではなく現世利益が重んじられること(のちにはこれに死者供養が加わる)、古来の神の崇拝と一体化することなど・・・

 つまるところ、日本の民衆がキリスト教を理解することはなく、日本にキリスト教が根付くことはなかったのである。

 本書により、冒頭の5つの疑問に対する答えが得られた。

1 なぜ戦国・江戸時代にこれほど多くの民がキリスト教に改宗したのか?
 イエズス会は上層から下層への改宗を企んだ。
 つまり、日本の厳しい身分制度を利用して、トップ(大名)をまず改宗させ、下の者がそれに倣うよう仕向けた。また、できるだけ早く信徒を増やすため、とりあえず洗礼を授けることを優先した。
 トップの者が改宗した一番の理由は、南蛮貿易の利得のためであった。

2 彼らはどこまでキリスト教を理解していたのか?
 上記引用どおり。
 カクレキリシタンに伝わる祈り(オラショという)では、キリスト教における重要な用語にいろいろな漢字が当てられた。たとえば、
   デウス(Deus=神)⇒出臼
   ヒィリョウ(Fillio=キリスト)⇒肥料
   サンタマリア(Sancta Maris=聖母マリア) ⇒三太丸屋
   クロス(Cruz=十字架) ⇒黒須
 こうした例を見ても、原義をほとんど理解しておらず、音(オン)だけを呪文のように大切に唱えていたことが知られる。(考えてみれば、お経の場合も同じではないか)
 諸星大二郎の『生命の木』の話もまったく奇想天外というわけではなく、実際にサン・ジョン(聖ヨハネ)を「三じわん様」と誤って理解していた例もあった。  

3 なぜ秀吉や家康はキリスト教を禁止したのか?
 かつて高校時代の日本史の授業で、「キリスト教の“神の前ではみな平等”という思想が、江戸時代の身分制度を崩壊させる危険があったため」というもっともらしい説明を聞き、そのまま覚えこんだものだが、考えてみるとこの理由はおかしい。
 ヨーロッパ封建時代にキリスト教が全盛を極めた事実と矛盾するからだ。
 現今の日本史教科書(山川出版)には次のように書かれている。

 家康に禁教を決意させたのは、あらたに来日したオランダ人やイギリス人が、スペインやポルトガルの植民地政策の危険を説いたからでもあった。

 一般にキリシタン一揆と言われる島原・天草の乱も、厳しい禁教政策と過酷な年貢の取り立ての結果として起こったのであって、そこに何か体制転覆的な(民権運動的な)性格を見るのは筋違いであろう。
 そういえば、ソルティの高校時代の日本史の先生は全共闘世代だった。

4 なぜ多くのキリシタンは迫害にかかわらず棄教しなかったのか?
 宮崎は次のように推測している。
 まず、大名や武士の場合。

 キリシタンを捨てなければ殺されるからといって、死を恐れて神を捨ててしまう行為は、武士にあるまじき卑怯な振る舞いであり、命より大切な武士としての名誉を失い、恥辱を受けることになってしまうからです。キリストのためではなく武士としての己の名誉を守るための道を選んだのです。

 農民や漁師など民衆の場合。

 日本人は目新しいキリシタン風の衣をまといはしましたが、その下にある現世利益を求める呪術信仰という性格にはほとんど変化はなかったといってよいでしょう。キリシタンに改宗した民衆も、このようなありがたいキリシタンの神をいただいたわけですから、それを捨てろと言われても簡単には捨てられなくなったわけです。

 ちょっと、この理由づけは説得力に欠く気がする。武士の場合の「名誉」のように、命に代えてでも守りたかった、あるいは失いたくなかった何かがあったと思うのだが・・・。
 むしろ、幕末に起きた浦上教徒殉教事件に関して、中村博武(プール学院大学短期大学部)が著書『宣教と変容 明治期キリスト教の基礎的研究』(思文閣)の中で述べている次の説のほうが納得いく。

 浦上の信徒が棄教しなかった外的要因は、村全体で隠し続けてきた共同体の強い精神的絆が断絶しないようにするためであり、内的要因としては、もし棄教すれば、先祖代々隠れて守り伝えてきた祖先や家族との信仰の結びつきが断ち切られることになり、信仰共同体から仲間外れにされることへの恐れであった。

 仲間外れにされることの恐れ・・・・。
 つまり、日本人お得意の「同調圧力」が作用したという見解である。

5 隠れキリシタンはいつまで存在したのか?
 潜伏キリシタンが存在したのは、禁教令が解かれる1873年までである。
 カクレキリシタンは、昭和20年代には九州地方を中心に3万人弱いたらしいが、高齢化と人口減などのため組織の解散が加速し、現在、数えられるくらいしかいない。

マリア観音
秩父美術館のマリア観音

 宮崎は、日本の民衆の間に根付いている諸宗教の特徴として、4点を挙げている。
  1.  重層信仰・・・・・神道、仏教、儒教、修験道、民間信仰などのごった煮
  2.  祖先崇拝・・・・・「家」制度を根底に持つ先祖供養
  3.  現世利益志向・・・商売繁盛、無病息災、五穀豊穣、大漁満足、良縁祈願、厄除開運
  4.  儀礼主義・・・・・教義(ナカミ)の理解よりも儀礼(カタチ)の継続が大切 
 まったくその通りだと思う。
 唯一絶対神を崇拝し、来世志向で教義(教典)重視のキリスト教やイスラム教とはまったく異なる。
 布教や信教の自由が保障されている現在の日本でも、キリスト教の布教はうまくいっていない。
 お隣韓国では人口の30%がクリスチャンだというのに、日本ではカトリックとプロテスタント合わせても1%に満たない。
 いや、キリスト教だけではない。
 仏教もまた、本来の釈迦仏教(原始仏教)は長いこと日本に広まることはなく、上記4つの特徴を兼ね備えた大乗仏教がもてはやされてきた。
 ソルティは原始仏教に近いと言われるテーラワーダ仏教を学んでいるけれど、それが変容を遂げることなしに多くの日本人に取り込まれることはまずないだろう。
 遠藤周作はこのような日本人の根底にある宗教風土を「沼」と表現した。
 カクレキリシタンの実像は、まさに日本人の「沼」的宗教観の典型を示すものなのである。




おすすめ度 :★★★★

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