1962~1963年雑誌『若い女性』連載
1976年講談社
2023年講談社文庫

IMG_20260526_204337

 本作は未読であった。
 これまでに3度テレビドラマ化されているが、それも観ていない。
 現代の日本社会(と言っても1960年代)を舞台にした殺人ミステリーである。
 清張ミステリーと言えば「社会派」だが、掲載されていたのが“若い女性”向け雑誌だったためか、社会派っぽさは希薄である。
 構成も変わっている。一流企業に勤める2人のOLの手記を並べる形になっている。
 つまり、女性読者を意識した、女性視点の小説と言える。
 読みやすさ抜群。 
 ちなみに、発表当時、OL(オフィス・レディ)という言葉はなかった。
 BG(ビジネス・ガール)と呼称していたらしいが、これは「商売女=売春婦」を連想させるという理由から使用中止となり、週刊『女性自身』の公募の結果、OLが選ばれたという。
 そのOLという言葉も、いまや死語になりつつある。

 三上田鶴子と的場郁子は同じ会社の同じフロアに勤める女性社員。
 2人とも独身で、ルックスに自信がなく、人づきあいが得意でない。
 毎年恒例の課の慰安旅行で伊豆修禅寺に行った先で、女性社員に人気あるダンディな課長が行方不明となり、数日後に伊豆山中でバラバラ遺体で発見される。
 犯人は土地勘ある人物らしい。
 警察の捜査が行き詰まりを見せるなか、三上と的場はそれぞれ別個に、事件の真相究明に乗り出し、記録を取り始める。

 さすが清張、読み始めたら止まらない面白さ。
 巧みなストリーテリングでぐいぐい引き込まれる。
 最初の三上の手記に描かれるのは、課内の複雑な人間関係、出世をめぐる男たちの攻防、タイピングやお茶くみのような単純作業しか任せてもらえない女子社員の鬱憤、水面下で密かに発展している社内恋愛、女子社員間の嫉妬や見栄の張り合い、同僚の外見や性格に対する遠慮ない評価・・・・。
 組織や人間の醜い面がこれでもかとばかり描き出され、えげつないことこの上ない。
 発表後60年以上が過ぎた令和現在の感覚からすれば、殺人事件の真相そのものより、むしろ、昭和時代の会社生活の実態のほうが、極めて奇っ怪なものにうつり、興味をそそられる。
 ソルティも昭和時代の会社員を経験した一人だが、「昭和の会社って、こんなだったかなあ?」と思わず昔を振り返った。
 ソルティが都内で会社勤めをしていたのは、40年近くも前のことで、スーツを着なければならないような仕事には6年ほどしか就かなかったから、よくわからんというのが正直なところ。
 出世競争にも、社内派閥にも、人事にも、興味なかった。 
 いろいろな面における男女格差や、(義務感しかない)慰安旅行や、(奥さんにばれて大ごとになった)社内不倫スキャンダルは、記憶の片隅にあるけれど・・・。

 純粋にミステリーとしては、ちょっとびっくりさせられた。
 清張が、“この種”のトリックを使ったものを書いているとは思わなかった。
 ネタばれになるので詳しくは書かないが、女性2人の手記の形にしたことの意味が最後に明かされ、「そう来たか!」と唸った。
 これをどうテレビドラマ化したんだろう?

IMG_20260516_175424

 それにしても、本作は女性の容貌に関する言及が非常に多い。
 対象読者が女性であったためが大きいと思うが、令和の今では「ルッキズム」と批判されるところだろう。
 清張は、それを三上田鶴子と的場郁子の口を借りて(すなわち手記の中で)書いているのだが、実は清張自身の見解なのではないかと思う。

 いったい、美とは何であるか。醜とはなんであろうか。
 わたしは美に関するさまざまな本をよんだ。美学も、哲学も。・・・・それから、いわゆる文化人のかいた教養書の中にもそれをさがした。
 結局、どの本にも美醜の関係はきわめてまわりくどいあいまいな記述しかなかった。ひどい書になると、美を最上の価値におくと同時に、醜にたいしては精神的な宥和をこころみている。たぶん、読者の中に美しくない女のいることを意識したからかもしれない。言葉は最高に思想的であり、美学的であり、哲学的だが、ただよむ者は抽象的な言葉の迷路にふみこむだけであった。
 結局、美にたいして醜は対立するものであり、美は幸福な雰囲気にとりまかれている。これにたいし、醜はたえず不幸な中に孤立し、自分自身からもつきはなされてうずくまっている。――としかおもえない。

 清張には容貌コンプレックスがあったらしい。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損