1987年岩波新書刊行
2026年講談社学術文庫

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 新刊かと思ったら、40年前の本だった。
 学術書の復刊はうれしいけれど、古い本だと情報も古いままなので、書いてあることをそのまま鵜呑みにしてしまうと、とんだ勘違いをしてしまいかねない。
 この40年間の研究の進展により、情報が刷新されている可能性があるからだ。
 その点が気になったものの、巻末に現役の仏像研究者による補足説明を兼ねた解説がとくに付与されていないのは、「仏像の誕生」に関する研究の現在地が40年前とたいして変わっていないためなのだろうと思い、読むことにした。(解説のかわりに、仏像マニアとして有名なみうらじゅんの解題が載っている)
 編集サイドにおいては、学術書を復刊する際には、研究の現在地とのギャップの有無を付記してほしいものである。

 さて、仏像の誕生に関しては、いくつかの謎がある。
  1.  なぜ、お釈迦様が亡くなられてからおよそ500年以上もの間、仏像が作られなかったのか?
  2.  それが突然、紀元前後に作られるようになったのはなぜか?
  3.  最初に仏像が作られたのはどこか? いつか?
  4.  それはどういう像であったか?
  5.  紀元前後の大乗仏教の興隆と仏像の誕生との間には因果関係があるのか?
 たとえば、1の謎については、宗教学者の島田裕巳が、「インドに仏像が誕生するのはブッダが亡くなって600年以上経ってから。こんなタイムラグが生じたのは、仏像のモデルとなるブッダの存在が曖昧だったから」といった趣旨の驚くべき見解を、『ブッダは実在しない』(2015年角川新書)という著書の中で述べている。

 3の謎については、現パキスタン北西部のガンダーラ地方と現インド北部の都市マトゥラーの2つの候補地が、過去100年近くにわたり熾烈な元祖争いを続けている。
 とくにお釈迦様生誕地=仏教発祥地のインド(マトゥラー)勢にしてみれば、仏像誕生の栄誉が異国とりわけ因縁深きパキスタンにとられるのは、許しがたきところであろう。

 5の謎については個人的に興味がある。
 仏像の誕生も、大乗仏教の興隆も、紀元前後のほぼ同じ時期に起こっている。
 これは偶然ではなく、そこに何らかの因果関係があるはずと勘繰るのはむしろ自然であろう。
 「諸行無常」「無執着」「私(釈迦)ではなく法を拠り所にしなさい」というのが、お釈迦様の教えの根幹なので、本来、偶像崇拝はまったく非仏教的である。
 それを500年以上守り抜いてきた原始仏教が、在家主義で信仰祈願の要素の強い大乗仏教の大波にさらわれたとき、仏像が生まれたのではないかとソルティは考えるわけである。
 そのあたりはどうなのだろう?

 本書において著者の高田は、上記5つの謎について、これまでの主要な学説を紹介しつつ、歴史学的・美術史的・考古学的根拠に基づいて、自分なりの推理を述べている。
 文庫版で180ページにも満たない分量で、簡潔にわかりやすく、論理的かつ広い視野を持って要点をまとめあげる筆力は素晴らしい。
 復刊に値する書であると十分納得した。
 高田修(1907-2006)は、インド哲学・仏教美術を専門とし、職歴の最後は東北大学名誉教授であった。

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 以下、高田の説をポイントを絞って紹介する。

1 なぜ、お釈迦様が亡くなってからおよそ500年以上もの間、仏像が作られなかったのか?

 私は『増一阿含経』に説かれている経文にもとづき、より妥当な説明ができると考える。その文は漢訳だけにあってこれに相当する原典が伝わっていないが、この経の二カ所には次のような注目すべき文言が見出される。必要な部分だけを示すと、「如来の身は不可思議である。如来の身は造作することも、またこれを模則して長いとか短いとかいうこともできない」(巻21〈29-6〉)、また、「如来はこの世界で最も尊く、諸天(神々)の中にもこれと等しいものはなく、また像猊することもできない」(巻22〈30-3〉)とある。
 すなわち仏は造作することも、長短などを憶測する(測る)ことも、また像猊(形象化)することもできない存在である。いいかえると、滅尽してしまった仏だから再現できないというのではなく、偉大で特別な存在、神以上の神であるがゆえに、普通の人間の能力ではこれを具体的に色や形で表出することが不可能であるという意味にほかならない。

 お釈迦様があまりにも偉大過ぎて、畏れ多くて、とうてい人間業では表現できないということだろう。
 それゆえ、最初期の仏伝図においては、お釈迦様の姿は明示されず、方形の台座や樹下の仏座、傘蓋を立てた仏座、仏足跡、仏塔、菩提樹、輪宝などで象徴的に表現されたのである。

仏足跡
仏足跡

 実は、この謎は日本人にとってはあまり不思議なものではないはずである。
 というのも、日本で神像が作られ始めたのは、やっと平安時代に入ってから(9世紀初め)であり、天照大神にせよ須佐之男命にせよ、神を形象化するという発想を日本人もまた持たなかったからである。
 平安時代に神像の制作が始まったのも、先に仏像というモデルがあり、神仏習合という思想が起こったればこそ。
 ゼウスやアポロやヴィーナスはじめ、神像をバンバン作った古代ギリシア・ローマ人と日本人とでは、(おなじ多神教文化であっても)感性が異なるのだ。

男女神坐像
平安時代の男女神坐像
(奈良国立博物館・仏像館)

2 仏像が突然、紀元前後に作られるようになったのはなぜか?
 高田はその原因をガンダーラ地方へのギリシア・ローマ文化の伝播に帰している。
 すなわち、神像を作ることになんの抵抗も持たないギリシア・ローマ出身の彫工たちの存在である。

 最初期の仏伝図に見られる主役の仏の現われ方はきわめて自然で、そこにいささかのためらいとか抵抗とかがあったような形跡はない。これはガンダーラ美術が仏像不表現に固執した古代初期の中インド仏教美術とは無関係に発生してきたことを示すもので、同時に当地方で制作に当たった最初期の彫工たちの立場とも密接に関連したからに相違ない。すなわち西方的な文化基盤を持ち、中インドの先例を全く知らない彼ら彫工たちが、仏伝図の主役を描くのに、果して思想的あるいは技法的に何らかの抵抗を覚えたであろうか。神々を擬人的に考え、人間の姿に表現し慣れてきたギリシア系美術の伝統からすれば、たとえ超人的で偉大な存在の仏であると教えられたとしても、これを仏伝図に登場する主役の人物として表現するのに何のはばかるところもなかったのではないか。

 そうして、これまで仏座や菩提樹などで象徴的にしか表現されなかったお釈迦様が、人間の姿として表されるようになった。
 つまり、仏像の誕生である。

3 最初に仏像が作られたのはどこか? いつか?
 上記の見解が示唆するように、高田はギリシア・ローマ文化の洗礼を受けたガンダーラ地方を仏像誕生の地と想定しており、仏伝図から単独仏像への流れを次のように記している。

 この美術(ソルティ注:ガンダーラ美術)がもっぱら仏教に奉仕する美術としてスタートするのは、仏教建造物の荘厳に仏伝図を扱い始めてからであり、まず主役の仏がごく自然な姿で仏伝図のなかに登場し、やがてその主役だけが強調されて大きく表現されるようになる。・・・・(略)・・・・。単独の仏像は仏伝図におけるこのような主役強調の段階からさらに進んで、その主役である仏だけを独立させ、礼拝供養のための像としたもので、ここに偶像崇拝の対象である仏の像が成立したことを意味する。

 高田は、ガンダーラにおける仏伝図の中の仏像の登場を紀元1世紀末期、単独仏像の出現を紀元2世紀前半と推定している。
 一方、マトゥラーの仏像の出現を紀元2世紀初期とし、ガンダーラで仏が形象化されたという事実がマトゥラーに伝わって、マトゥラーでもとより栄えていた仏教文化に影響を及ぼしたものとみている。

 マトゥラーの仏の出現を促したのは、仏像不表現の殻がすでにガンダーラで破られたというその事実の情報であったという以外には考えられない。すなわちマトゥラーの仏教徒はこの事実を伝聞することによっていち早く反応し、独自の手法になる仏の像表現に踏切るに至ったと推定される。

4 それはどういう像であったか?
 ガンダーラとマトゥラーとでは違いがある。

ギリシア・ローマ風の写実的な手法により、インドの生んだ仏教の主題や思想を表現した美術であり、東西文化の交流によって生まれた混血の美術

なので、その像は古代ギリシア・ローマ彫像によく似た作風である。ぶっちゃけて言えば、欧米人っぽい。
 一方、マトゥラーの仏像は、

インド固有の古い伝統的な手法になる純インド様式のもの

で、インド人っぽい。
 詳細に比較すれば、相好や衣の表現などにさまざまな違いが指摘できるのだが、ソルティ思うに、衣の表現が薄く体の線が強調され、よりエロティックなのがマトゥラー仏の特徴の一つではなかろうか。
 温暖な地中海性気候のギリシア・ローマと、暑季には45℃を超えるインドの気候の差の反映と言えよう。

ガンダーラブッダ
ガンダーラ・ブッダ
(東京国立博物館蔵)

5 紀元前後の大乗仏教の興隆と仏像の誕生とには因果関係があるのか?

 ガンダーラにおける造像のはじまりに対し、大乗教徒の関与があったらしい徴証はなく、また一方、当地方で部派仏教とくに有部の仏教が優勢であったにしても、その実在論的な仏教思想が仏像の起源に積極的な根拠を与えたとも断言できないであろう。

 大乗仏教がマトゥラー仏の出現に関与したと見られるような証跡はどこにも求められないのである。それよりも見逃せないのは、マトゥラーにおける造像の初期に、新たに表出された仏の形像が、抵抗もなく容易に仏教徒によって受容されている事実でなければならない。

 どうやら、「大乗仏教の興隆=仏像の誕生」というわけではないらしい。
 むしろ銘記すべきは、大乗と小乗の別なく、出家集団でなく在家信者らこそが、お釈迦様の形象化を望み、喜んだという点ではなかろうか。
 世界中どこであっても、偶像崇拝は大衆の常である。

 ただし、大乗仏教の興隆と拡大が、仏像の多様化と量産を促進したのは間違いない。
 それは、日本の仏像事情を見ても明らかで、日本のお寺で、根本教祖たるお釈迦様の像(釈迦如来像)が本尊として祀られているのを見ることは非常に稀で、阿弥陀如来や薬師如来や観音菩薩が圧倒的に多い。
 逆に、テーラワーダ仏教(旧小乗仏教)国のタイやミャンマーやスリランカでは、仏像と言えば釈迦如来像である。

深大寺釈迦如来
釈迦如来像
(東京深大寺)

 日本の仏像は、ガンダーラ系仏像がシルクロードに乗って中国に到来し、同地で中華的変容を遂げたあと、朝鮮半島を経由し、6世紀前半に百済からもたらされた。
 すなわち、ギリシア・ローマ・西アジア・インド・中国・朝鮮の味が混じり合った“多国籍仏”として到来したということになる。
 そこに和風が加わっていったわけだから、仏像最終変態形と言ってもよいだろう。
 面白いのもあたりまえ。
 仏像を観れば世界が見える。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損