1994年シャローム図書
2011年岩波書店
渡部良三は1922年山形県生まれ。
中央大学在学中の1944年春、学徒出陣で中国河北省の駐屯部隊に配属された。
本作は、渡部の一連の従軍体験を詠んだ短歌集である。
経時的に言うと、学徒動員が始まり、徴兵検査で「甲種合格」を受け、家族と別れて大陸に渡り、厳しい新兵教育を経たのち戦地に派遣され、筆舌に尽くしがたい地獄の日々を送り、1945年敗戦とともに復員し、帰国した日本で極東軍事裁判の模様を追うまでの、約5年間のことが詠まれている。
総数は900首を超える。
実際にリアルタイムで詠んだのは、動員中すなわち従軍期間の歌であり、動員前と復員後のものはあとから足したという。
派遣された部隊で見聞きしたことに衝撃を受け、記録を残そうと思い立ったが、
当時、日記を綴るには紙数がない。仮にあったとしても書き足りるものではない。定期的に私物検査の行なわれる野戦で、反戦日記は当然没収される。そこで短歌で・・・・と考えた。
といっても、渡部は歌人ではないし、短歌を専門的に習ったわけでもなかった。
軍事訓練や実戦のせわしない日々の合間に、一人きりになれる便所などで歌をメモに書きつけ、それを隠し運びながら帰国したのであった。
素人の20代の青年が作った歌であり、プロの目から見たら稚拙そのものなのかもしれない。
が、命のかかった極限状況のなかで、「詠まずにはいられない」から詠んだ歌の数々は、詠み手の置かれている現場のリアルな映像をまざままと立ち上がらせ、強烈な磁力を発し、歌集を開く者を圧倒せずにはいない。
時系列でいくつかの歌を紹介する。
《動員前》
いつわりて暴虐を強いて傲り果て 「聖戦」という新語つくれり
いつわりて暴虐を強いて傲り果て 「聖戦」という新語つくれり
いつわりて あらびをしいて おごりはて せいせんという しんごつくれり
恩寵の二十年余りのこの生命 天皇のための死を拒みたし
みめぐみの はたとせまりの このいのち すめらぎのための しをこばみたし
反戦を生き来し父の歳々をきく 弾圧え厳しき時代の最中に
はんせんを いききしちちの ささをきく おさえきびしき ときのさなかに
良三の父親は熱心なキリスト教(プロテスタント)の伝道師であり、良三は幼い頃から父の影響を受け、クリスチャンとして育ったのである。
《捕虜虐殺》
今朝戦友と掘り上げたりし大き穴 捕虜の墓穴とは思いよらざり
けさともと ほりあげたりし おおきあな ほりょのはかとは おもいよらざり
纏足の女は捕虜のいのち乞えり 母ごなるらし地にひれふして
てんそくの おんなはほりょの いのちこえり ははごなるらし ちにひれふして
「殺す勿かれ」そのみおしえをしかと踏み 御旨に寄らむ惑うことなく
ころすなかれ そのみおしえを しかとふみ みむねによらむ まどうことなく
捕虜虐殺こばめる夜半の星河見る ゆばりをしつつ明日をいたみつ
ほりょころし こばめるよわの せいがみる ゆばりをしつつ あすをいたみつ
「度胸をつける」という名目で、新兵たちは中国人捕虜の串刺しを命じられた。
良三はただひとりそれを拒み、以後、上官から絶えまないリンチや差別を受けることになる。
《戦友逃亡》
逃げおおせにげのび行けよ地の涯に 兵の道などとるに足らねば
にげおおせ にげのびいけよ ちのはてに へいのみちなど とるにたらねば
逃亡兵岡部も農の子なりしか 麦畝踏まぬ心残せり
とうぼうへい おかべものうの こなりしか むぎうねふまぬ こころのこせり
捕虜虐殺の夜、新兵の岡部が脱走した。
が、その後捕まえられ、営倉送りとなった。
が、その後捕まえられ、営倉送りとなった。
《教練と生活》
かすめうばい女を犯し焼き払う おごる古兵も「赤子」とうかや
かすめうばい おんなをおかし やきはらう おごるこへいも せきしとうかや
「汝が父は反戦となえ逮捕さる」 まなこきびしき憲兵の声
ながちちは はんせんとなえ たいほさる まなこきびしき けんぺいのこえ
日本にいる良三の父も非国民とののしられ、抑留拷問を受けた。
家族は村八分の憂き目を見ることになる。
家族は村八分の憂き目を見ることになる。
《中国共産党第八路軍および抗日民間人との戦い》
靴底に擦れるマッチの青き火に 炎あがりぬ民家を焼くなり
くつぞこに すれるマッチの あおきひに ほのおあがりぬ いえをやくなり
三光の余りに凄しきしわざなり 叫び呻きの耳朶より消えず
さんこうの まりにさむしき しわざなり さけびうめきの みみよりきえず
※三光とは、「殺し尽くす・盗み尽くす・焼き尽くす」の意。
自がせる尿の匂う地に伏しつ 八路の弾丸の頭かすめて
おのがせる ゆばりのにおう ちにふしつ はちろのたまの あたまかすめて
「死」に怯え思想も信仰もあとかたなし ひと日のいのち延びし安らぎ
しにおびえ しそうもしんも あとかたなし ひとひのいのち のびしやすらぎ
遺言の如くに言いつ古里の 残雪を食むべき希いを戦友は
ゆいごんの ごとくに言いつ ふるさとの ゆきをはむべき ねがいをともは
これほどの数多若きを死なしむる 権力とはなに国家とはなに
これほどの あまたわかきを しなしむる ちからとはなに こっかとはなに
死への道保証されたる人群を 「兵隊」という賜いものとや
しへのみち あかしされたる ひとむらを へいたいというたまいものとや
古兵らは深傷の老婆をやたら撃ち なお足らぬげに井戸に投げ入る
こへいらは ふかでのろうばを やたらうち なおたらぬげに いどになげいる
観念に戦争は知れどかくまでに 酷きものとは知らず今日まで
かんねんに いくさはしれど かくまでに ひどきものとは しらずきょうまで
生きのびよ獣にならず生きて帰れ この酷きこと言い伝うべく
いきのびよ けものにならず いきてかえれ このひどきこと いいつたうべく
危険思想の持ち主とされ「除け者」扱いとなった良三は、兵科を転々と回された。
が、そのことが逆に幸いし、生き残ることができた。
《最後の駐屯地、徐州にて》
南方戦線に征くべき募り貼りださる 「特攻」なれば次三男のみとう
なんなみに ゆくべきつのり はりださる とっこうなれば にさんなんのみとう
江岸にののしりあぶる生霊の 恨みの声を天皇よ聞け
こうがんに ののしりあぶる いきりょうの うらみのこえを すめらぎよきけ
※「江」は揚子江のこと。ときの天皇は昭和天皇ヒロヒト。
《復員後》
権力もて時代の青春剥ぎとりし この祖国みよ焼野原なり
ちからもて ときのせいしゅん はぎとりし このそこくみよ やけのはらなり
子の背を流しいし母は手をとめつ 小さき傷ひとつの謂れ告ぐれば
このせなを ながしいしははは てをとめつ ちいさききずひとつの いわれつぐれば
国内を廻りて止まぬ天皇に 開戦責任国民は問わざり
くなうちを めぐりてやまぬ すめろぎに かいせんせきにん たみはとわざり
渡部良三は、戦後は国家公務員として勤務。
定年退職後に本格的に本歌集を編み始めた。
日本人の命の尊さに対する意識の希薄を憂いつつ、2014年4月に亡くなった。
92歳だった。
変えるべき思想などなし戦争に 骨の髄まで諍い生きて
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損


