2016年日本
111分

ねぼけ

 大谷翔平の元通訳で、銀行詐欺罪ほかで現在アメリカ合衆国ペンシルベニア州の連邦刑務所収監中の水原一平に対して、世間から轟々たる非難と罵倒が寄せられたのは記憶に新しい。
 その中でソルティが「なるほどな~」と頷いたのは、「落語家界隈では水原人気は非常に高い」という、どこかの咄家による記事であった。

 落語の演目には、与太郎という天然ボケの“どうしようもないダメ男”が登場し、客席の笑いを引き出す大切な役を担う。与太郎のいない落語なぞ考えられない。
 また、落語家そのものも、社会常識からちょっとはずれた“変わり者”が昔から多い。
 「師匠に庭木の手入れを頼まれ、自分が乗っている枝を切り落とした」八代目春風亭小柳枝とか、「高座中に居眠りしている姿を見て客が喜んだ」五代目古今亭志ん生とか、「あの人が戦争に行ったのだから日本は勝てるわけない」と言われた林家三平(どーもすみません)とか、奇人変人のたまり場というイメージがある。
 テレビが娯楽の中心となり、戦後民主主義教育を受けた咄家ばかりとなり、ましてやコンプライアンスのきびしい昨今では、昔のような常識はずれの落語家は生まれなくなった。
 ネットを中心に、他人の失敗や欠点を責め立て、自己責任を追及する人間が多くなった。
 もはや、与太郎が安穏と生きられる場所はない。
 それゆえ、水原一平のような“どうしようもないダメ男”の存在に、かつての偉大なる先輩の芸風をしのぶ落語家たちは、狂喜乱舞するのだろう。
 
 本作の主人公の落語家も、絵に描いたような“どうしようもないダメ男”である。
 酒に溺れ、女に溺れ、パチンコにはまり、寄席をすっぽかす。
 師匠の教えに背き、弟子の女を横取りし、尽くしてくれる恋人を裏切り、つねに金欠で、言い訳ばかりしている。
 当然、芸は荒れて、たまの高座では笑いの一つも生み出せない。

 この“どうしようもないダメ男”と、ダメ男に尽くすことが生き甲斐のような女との関係が、物語の一方の主軸である。
 精神科領域の言葉で言えば、この2人の関係は「共依存」ということになるのだろう。
 が、「共依存関係に気づいて、そこから脱して、精神的に自立しましょう」という健全な道筋からは、たぶん、お笑いは生まれない。
 自分で自分をどうすることもできない与太郎と、その与太郎をどうにも放っておけない周囲のお節介がいて、そこに人情が絡み合うからこそ、物語は生まれ、笑いや涙が生じる。
 つまり、これは与太郎の恋物語である。

 もう一方の軸は、一人の男の落語家としての成長を描く芸道物語。
 昨年、日本中を席巻した歌舞伎をテーマにした映画『国宝』と同じく。
 落語という芸の難しさ、落語にかける男たちの情熱、おのれの才能に対する不安、師匠と弟子とのあるいは弟子同士の複雑な関係、一つの演目(『代わり目』)をマスターするまでの苦労、芸に憑りつかれた者たちの生きざま。
 『国宝』ほど徹底したものではないけれど、サラリーマン(サラリーパースン?)生活とはかけ離れた別世界の様相をかいま見る面白さがある。

 主役の落語家・仙栄亭三語郎を演じる友部康志については、まったく聞いたことがなかった。
 ウィキによると、つかこうへい劇団出身の俳優らしい。
 難しい役を見事に演じている。
 ラストシーンで恋人の亡きがらを前にして『代わり目』を演じるところなど、鬼気迫るものがある。
 俳優と名のつく者なら誰でも羨む、一生に一度出会えるかどうかの役であろう。

 三語郎の恋人役の村上真希という女優も素晴らしい。
 存在感で演じるというか、演じ過ぎない自然なたたずまいが美しい。

 三語郎の師匠・仙栄亭点雲扮するのは落語家の入船亭扇遊。
 生活が荒れに荒れ、破門直前の弟子の三語郎のために、実際に舞台で『代わり目』を演じてみせるシーンがある。
 落語家としての技量は言うまでもない。
 が、同時に、この渾身の芸によって不肖の弟子の三語郎を目覚めさせるという、師匠としての思いの込められた高度な演技も求められている。
 それがまた見事。
 一流の咄家は、一流の役者でもあるってことを証明している。

 壱岐監督自身による撮影も、フィルムのざらざらした手触りを感じさせ、ドキュメンタリーのようなリアリティを生み出すのに成功している。
 
 罪をつぐなったら、水原一平は落語家を目指したらどうだろうか?





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損