1992年読売新聞社
1998年中央公論社
全4巻
『長屋王残照記』(講談社)に続き、満智子センセーの天平歴史ドラマを堪能。
孝謙・称徳――二人の天皇の物語?
と思う人もいるやもしれない。
孝謙天皇は天平宝字2年(758)、いったん淳仁天皇に位を譲り、上皇となった。
が、天平神護元年(765)、称徳天皇として重祚した。
孝謙=称徳、同一人物である。
孝謙=称徳、同一人物である。
ちなみに、歴代の天皇の中で重祚したのは二人だけで、もう一人は飛鳥時代の皇極=斉明天皇(天智・天武の母親)である。
どちらも女性であるという点が興味深い。
孝謙・称徳天皇にまつわるイメージの最たるものは、怪僧・道鏡にこまされて、王道を見失ったイタい女帝というものだろう。
昔から道鏡はよく、ロシア帝国末期に出現し、宮廷女性たちの信奉を一身に集め、政治を混乱させた怪僧ラスプーチンと比されてきた。
道鏡が孝謙・称徳天皇を虜にできたのは、ラスプーチン同様の逸物の大きさと精力絶倫による、と面白おかしく語られてきた。
そこには世の男たちの(女たちではない!)巨根幻想――女は大きい逸物をもっている絶倫男に弱い――がある。
実際に道鏡が巨根の持ち主だったかどうかはわからない。
が、未婚の称徳天皇が、病を法力で治してくれた道鏡を重用し、道鏡の出身である弓削一門を引き立てたのは確かであるし、宇佐八幡宮の神託を真に受けて(?)道鏡を次の天皇に据えようと考えたことは、『続日本記』などの史書に記されている。
道鏡が女帝に寵愛されたのは間違いない。
そこを踏まえた上で、里中はこの漫画を描いた動機を次のように「あとがき」で記している。
称徳女帝と道鏡の二人にまつわる、下劣でいかがわしい噂は、後の時代に脚色されて広まったものらしい。ベースにされたエピソードのほとんどは唐の女帝のものだった。おもしろおかしいスキャンダルは無責任にひとり歩きしてしまいがちだ。信憑性のない話はいつしか忘れ去られてしまうものだが、称徳女帝と道鏡の“恋”そのものは真実だったので、付け足しの“おもしろおかしい部分”も、まことしやかに語り伝えられてしまったのだろう。女帝と道鏡の恋が、真実であるならば、そして女帝が「堅くて一途」で、道鏡が「素直」な人だったら、二人のイメージは語り伝えられたものとは違うはずだ。そう思ったのがこの作品を書きたいと思ったきっかけだった。
さすが、満智子センセー。
少女漫画界を切り開いてきたパイオニアのことだけある。
「歴史は勝者によって作られる」とよく言われるが、その勝者の中には、藤原氏や徳川家のような政治的勝者、三井・住友財閥や松下幸之助のような経済的勝者ばかりでなく、後世の歴史家や学者や小説家や映画監督のような「歴史を調べ・書き・語り・伝える者」も含まれる。
そのほとんどがつい最近まで男ばかりであったことは言うまでもない。
そのほとんどがつい最近まで男ばかりであったことは言うまでもない。
つまり、我々が教科書を通して学校で習い、テレビドラマや映画や小説によって何重にもインプットされてきた“日本の歴史”は、男によって作られた“世界線”である。
満智子センセーが本作でやろうとしたことは、男社会の物の見方や価値観によって、歪められ、捏造され、伝えられてきた日本の歴史の一コマを、女性の視点から語りなおす試みだったのである。(それゆえ本作は「手記」すなわち孝謙・称徳天皇の一人語りのような形をとっている)
少女漫画と言えば、「白馬に乗ったイケメン王子様が幸せを運んできてくれる」というステレオタイプがあり、実際、令和の今でもそういった作品は一定の人気を保っている。
が、満智子センセーは初期の頃から、ステレオタイプとは違う女性のキャラや生き方や恋愛を模索し、果敢に描いてきた。
満智子センセーの政治思想は知らないが、戦後日本のフェミニズムの旗手の一人であることは間違いない。
最初は藤原仲麻呂(恵美押勝)、次は道鏡との恋愛に女としての幸せを求めながら、国家元首の自覚にめざめていく孝謙・称徳天皇の物語が説得力をもつのは、ひとりの女性の心理描写に嘘がないからであろう。
満智子センセーのさまざまな経験が裏打ちされているからであろう。
藤原一族の乳母日傘のもと、母である光明皇后や従兄弟である仲麻呂の言いなりになって生きてきた孝謙天皇が、道鏡との出会いによって藤原一族の呪縛から解き放たれ、自分の道を自分で選ぶように成長していくさまは、「父の手から夫の手へ」のパタナリズムから脱した『人形の家』の主人公ノラを思わせる。
圧倒的な越え難き壁として娘の前にそそり立つ光明皇后のキャラも魅力的である。
平城宮に接した豪邸の一角(現在の法華寺)に施薬院と悲田院を設置し、病人や貧者や孤児の保護・治療・施薬をみずから率先して行ったエピソードから、名前の通り神々しい慈悲深い聖女とイメージされることが多いけれど、ここでの光明皇后像は一筋縄でいかない傑女。
不比等の娘であり、聖武の妻であり、安倍内親王(孝謙)や基の母であり、日本国の慈母であり、熱心な仏教信者であり・・・。多面性ある個性的な女性像は男性作家には生み出せまい。
不比等の娘であり、聖武の妻であり、安倍内親王(孝謙)や基の母であり、日本国の慈母であり、熱心な仏教信者であり・・・。多面性ある個性的な女性像は男性作家には生み出せまい。
それに引きかえ、夫の聖武天皇のなんとも頼りないこと!
メンタル弱の腺病質のキャラは、『長屋王残照記』に引き継がれている。
たしかに、平城京という立派な都がありながら、幾度も遷都を繰り返し、臣下や民衆に多大な負担を強いた聖武天皇の彷徨五年は、精神的要因でも持ち出さなければ説明がつかない愚行である。
ステレオタイプなジェンダー認識というそしりは避けられないかもしれないが、本作のテーマを一言でいうならば、こうである。
男は政治のために愛を利用するが、女は愛のために政治を利用する(それのどこが悪い!)
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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