久しぶりの山登り。

 昨年8月に会津駒ケ岳で滑落し、右膝の靭帯を負傷して以来である。
 今年の初めにはすっかり良くなって、「さあ、春山シーズンで取り戻すぞ」と思っていたところに、
震災。
 しばらくハイキング気分ではなかった。

 めっきり涼しくなって山が呼んでいるので再開しようと思うけれど、なにしろ一年以上のブランク。最近は水泳やジムで鍛えてはいるけれど、いきなりヘビーな山は避けたほうが無難だろう。何が起こるかわからないのが山。
 御前山は、奥多摩三山に数えられる人気ある山で、ルートもしっかりしているし、登山客も多い。ガイドブックによると、歩行時間5時間40分、最高標高差1045mとある。結構登って歩くことになるが、難易度は高くないようだ。
 再デビューには手ごろな山と判断した。

●10月26日(木)晴れときどき曇り、風なし、肌寒し

●ルートとタイムスケジュール
奥多摩・御前山 01608:40 JR青梅線・奥多摩駅で西東京バス乗車
08:50 「境橋」停留所着
      歩行開始
12:15 登頂
      昼食
12:45 下山開始
15:30 奥多摩湖到着
      歩行終了
15:32 「奥多摩湖」停留所で西東京バス乗車
15:45 奥多摩駅着

●所要時間 6時間40分(=歩行5時間30分+休憩70分)



奥多摩・御前山 001境橋~栃寄大滝
 停留所は山の中の橋の上にある。見下ろすと深い渓谷の底に多摩川の清流。ここも東京なのだ。
 一緒にバスを降りたもう一人の男性は、すたすたと早足で先に行ってしまった。
 結局、それ以後、山の8分目くらいで後ろから来た3人に抜かれるまで誰とも会わなかった。下山時も8分目までは反対側から登ってきた5~6名とすれ違った(「こんにちは~」)が、そこから奥多摩湖に下りるまで誰とも会わなかった。
 奥多摩・御前山 002この日、御前山に登ったのはせいぜい20名くらいか。

 林道から登山道に入ると、すぐに沢登りが始まる。
 早起きした甲斐があった。
朝の新鮮な大気。樹々の発する霊気。清冽な流れが岩にぶつかってはじけるときに放出するマイナスイオン。すばらしい気が満ちあふれている。
 歩いていると、徐々に周りの気が体内に浸透してきて、頭がぼうっとなり、意識が気に取り込まれそうになる。
  体の中に帯電していた有害な電磁波がすべて抜けていった。
  栃寄大滝は「大滝」というほどではないが、気持ちのいい休憩場所であった。


奥多摩・御前山 005栃寄大滝~山頂
 ここからが結構長くてきつかった。やはりブランクを感じた。足の疲れもあるが、息が続かない。何度も休憩を取りつつ、ゆっくりと歩いた。
 若い頃のように、たったかたったか登ることはもう無理。
 とはいえ、早く登頂したところで何の意味もない。一歩一歩踏みしめながら、時に立ち止まって周囲の自然を観察しながら、ゆっくりと歩く。
 山は登るものではなく、味わうものとようやくわかってきた。


奥多摩・御前山 007山頂
 最後の急な階段を登りきったところに山頂が現れた。
 山登りで4番目にうれしい瞬間。
 
 山頂は広々として、日当たり良く、気持ちのいいところだが、木々にさえぎられて眺望はいまひとつ。北側に石尾根、奥秩父の山々。南側に丹沢、中央線沿いの山々、三ツ峠が見える。条件がよければ富士山も見えるはずなのだが、ちょうどそのあたりに雲が立ち込めていた。
 山頂付近では紅葉と落葉が始まっていた。
奥多摩・御前山 009
昼食
 眺めのいいベンチを見つけて、ようやく昼食。
 山登りで3番目にうれしい瞬間。

 おにぎり2個、ゆで卵、魚の缶詰、漬物が定番。今日はホウレンソウをゆでてきた。
 山頂で景色を眺めながら頬張るおにぎりは、なんでこんなにも旨いのか。
 これにくらべると三ツ星レストランのどんなメニューも色褪せる。


奥多摩・御前山 008


下山路
 ガイドブックに書いてあったので覚悟はしていたが、下りの急なこと半端でない。
 直滑降の急斜面がほぼ平地に降り立つまで延々と続く。もっとも凄い箇所では斜面に沿ってロープが張ってあった。それをたよりに後ろ向きに降りていくと、マンハッタンの高層ビルの屋上から命綱を伝って外壁を蹴りながら降りていくブルース・ウィリスのような気分になってくる。こちらのルートをあえて(?)登りに取ったすれ違った人々への慰労の念がふくらんだ。
 ここでアクシデント発生。
 ひ、膝が痛い。
 昨年怪我した右膝ではなく、左膝の皿の下あたり。数年前から長い急斜面の下りが続くと、警告するかのように現れていた痛みであったが、ちょっと現れるのが早くないか? 年のせいか。
 いったん、この痛みが現れるともうどうしようもない。なるべく負担をかけないように、痛みが悪化しないように、体勢をとりながら、だましだまし歩くしかない。
 杖を持ってくれば良かった。

 と、突然、目の前の木立が開けて、息を呑むような美しい景色が飛び込んできた。
「おおっ!」
 

奥多摩・御前山 011


 崖のはるか下方に、山々に抱かれた奥多摩湖の全景が神秘的なたたずまいを見せて、自分を待っていたのである。
 層なす雲の切れ間から差し込む秋のやわらかい陽光が、遠近法の教科書のように黒から青へと微妙なグラデーションを見せながら折り重なる山々の、そこここの斜面をハイライトしている。東京都民一千万の喉を潤おす水がめの湖面は、翡翠色(あるいは浅田飴グリーン)に染まって、謎めいた静かさのうちに湖岸の家々や道路を領している。
 どこかで見たことある風景と思ったが、今ふと気がついた。
 ダヴィンチのモナリザの背景だ。あれが描かれた当時のように復元されたら、こんな感じなのではないか。
 すっかり、膝の痛みを忘れてしばし立ちつくしていた。

 ガイドブックに書かれていない思いもかけぬ感動にぶつかることがあるから、山登りは楽しい。
 それもたくさん登って、たくさん下って、身も心も疲れたあとの衝撃。
 やはり、このルートが正解である。
 この風景との出会いで、御前山は忘れられない山となった。


奥多摩・御前山 014奥多摩湖~奥多摩駅
 静かな湖畔に降り立つ。
 湖面に映った白い雲はまさしく秋のそれである。
 無事登り終えたことのしみじみした感動にひたる。
 バス停に到着したのが15時30分。次のバスの発車時刻が32分。
 なんというタイミング!
 向こう岸から、もはや他人ではなくなった御前山がやさしく見送ってくれていた。


もえぎの湯
奥多摩・御前山 017 山登りのあとは近場の温泉に浸かるのがお約束である。
 奥多摩駅から徒歩12分の「もえぎの湯」に行く。
 行楽シーズンの休日は芋を洗うような混雑だが、今日は空いていてゆっくりできた。
 2時間750円のところ、午後4時までに入るとプラス1時間のサービスを実施中。自分が受付したのは午後3時58分。
 なんというタイミング!!
 多摩川沿いにある露天風呂がなんとも気持ちよい。
 やわらかく、ちょっとぬめっとした湯に浸かりながら、今日一日のルートを思い返し、疲れた足を揉みほぐしながら、露天の周りの木々のこずえの間からのぞく暮れなずむ空を見上げる。
 山登りで2番目にうれしい瞬間。


 そして、湯上りは休憩所へ。

 今日一日、早朝からの活動のすべて、苦しさも、疲れも、痛みも、コリも、汗も、泥汚れも、喉の乾きも、長湯によるのぼせも、すべてはこの一杯のためにある。

 山登りで1番うれしい瞬間



 人はなぜヤマに登るのか。

 そこにナマがあるから。

奥多摩・御前山 018