介護フォーラム1 なぜかは知らねど、11/11は「介護の日」。
 
 東京都福祉人材センター主催の上記イベントが、日曜の午後いっぱいかけて開催された。
 介護業界は、働き手不足(というか高齢化に供給が追ッつかないのが実情だろう)なので、介護職で働きたいという人をこの機会に増やしたいという意図も当然ある。会場には、福祉系らしき学生たちのみならず、これから介護にかかわろうという転職組、求職組(自分だ)の働き盛り世代などがあふれていた。


介護フォーラム2 高齢者とは65歳以上を言う。これは国際標準である。
 高齢化率とは、総人口に対する高齢者の割合。
 これが、先進国の中で日本は飛びぬけて高い。
 2010年現在で23.1%、まもなく4人に1人になろうとしている。
 2015年には団塊の世代が高齢者となる。
 平均寿命と少子化がこのままの推移で続けば、2030年時点で3人に1人が、2050年には人口の約4割が高齢者になると予測されている。
 まさに、チョ~超高齢社会である。
 
 介護フォーラム4それだけでない。
 65歳~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼ぶが、団塊の世代が後期高齢者に達する2025年の時点で、介護が必要となる高齢者の総数は500万人以上(日本人の20人に1人)、そのうち認知症の老人が323万人と予測されている。

 日本の、いや世界の歴史上かつてない、未曽有の状況が、ここ日本に到来しようとしているのである。

 一体、どうなるのだろう?

 介護の人手不足、施設の不足、年金の枯渇、若い世代の負担増。
 チョ~超高齢社会を前に不安要素はいろいろあるけれど、逆に良い点はないものだろうか。

 こんなのはどうだろう?

 高齢者が増えると、

1.生活ペースが全体的にゆっくりとなる。
 切符を買うのに手間取っているお年寄り、階段を一歩一歩確かめるように上り下りするお年寄りにいちいち目くじら立ててもしようがない。みんな、慣れていくだろう。
「前を高齢者の一団が歩いていたので遅刻しました。」
「そうか、仕方ないな。」
という会話が会社でされるようになるかもしれない。

ボケ老人マーク2.車が安全運転するようになる。
 認知症の老人(以下ボケさん)がいつ飛び出してくるかわからない。事故を恐れ、車の運転手は気をつけて走るようになるだろう。「このあたりボケさん多し。徐行」のボケ老人マークが作られるかもしれない。(左イラスト参照)

3.外を歩く人々が、周囲のお年寄りに気を使うようになる。
 ボケさんたちはゾンビのように町に繰り出す。それが当たり前になれば、一人でさまよっているお年寄りを見た人たちは、「あの人の家族はいま捜索中かも・・・」と気を使うようになるだろう。

4.バリアフリーの拡大

5.標識や看板の文字が見やすく大きくなる。

6.他人にも自分にもやさしくなる。(日本人のラテン化)
 社会全体で間違いや失敗が多発するようになるだろう。それは、A型気質完璧主義者の多い日本人にとって、「いい加減」を学ぶ良い機会になるだろう。多少のことは、互いに大目に見るゆとりが生まれてくる。

7.笑いが生まれる。(日本人のラテン化)
 ボケさんの天然ボケにあちこちで笑いの渦が起こり、世の中は明るくなるだろう。

8.見知らぬ者同士の助け合いが当たり前になる。
 
もはや他人ごとではないのだから、「情けは人の為ならず」(元来の意味で)

9.介護することが当たり前の社会になる。
 原則、介護の社会化は維持するにしても、圧倒的な人材不足から、身内の要介護者のちょっとした介護は家族ができるようになる必要がある。あるいは、外出時に困っている人を見かけたときに誰でもさっと手助けできるようになる必要がある。
 すべての人が基礎的な介護技術を身に着けざるを得なくなるだろう。義務教育あるいは高校の授業で必修になるかもしれない。
 それは、民度を高める良い手段である。

10.お年寄りだけでなく、障がい者にとってもよりいっそう暮らしやすくなる。

11.介護の人手不足から、若い外国人ヘルパーを受け入れざるを得なくなる。結果として、多文化共生社会への足掛かりとなる。

12.「老いること」「死ぬこと」が巷にあふれているから、若者にとっては、それが当たり前の風景となる。そこを前提とした新たな価値観、世界観が生まれてくる可能性がある。

 
 考えようによっては、結構面白い世の中になるかもしれない。